聖日礼拝 『マタイの福音書』 より 122 2015年09月24日 マタイの福音書27章57節~61節 先週は、主が「世の罪を取り除く神の小羊」として屠られ、人類の贖いを成し遂げられるご最期の厳粛な場面に学んだ。 46節の「どうして」とは、捨てられた理由を尋ねられたのではない。十字架上で主が、罪人の受けるべき罪の報酬としての呪いの死を代わって受け、聖父から捨てられている今、死の現実に戦慄されてのお言葉であり、後の&thinsp…続きを読む
聖日礼拝 『マタイの福音書』 より 121 2015年09月15日 マタイの福音書27章45節~56節 先週は、遂にゴルゴダの丘で十字架刑に処せられた主が、39節~40節 「道を行く人々」、41節~43節 「祭司長・・・律法学者、長老たち」、44節 「イエスといっしょに十字架につけられた強盗」からの口を揃えての罵倒〈 自分を救ってみろ。〉を浴びせ掛けられながらも、彼らのその皮肉の言葉から、いみじくも…続きを読む
聖日礼拝 『マタイの福音書』 より 120 2015年09月07日 マタイの福音書27章33節~44節 先週は、夜を徹して行われた不条理の裁判で死刑判決が下されて後、拷問を受けられた主がゴルゴダに向かわれた時のこと。32節、「シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。」という各福音書で一節でしか語られていない出来事ではあるが、決して軽く見過ごしに出来ない主の御心があると学んだ。 &emsp…続きを読む