2013年04月06日

夕拝『詩篇』からの霊想〈150篇〉 完


「その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。2節/息のあるものはみな( こぞって、誰でも、さあ ! あなたも )、主をほめたたえよ。ハレルヤ。6節」

本篇は、詩篇を総括して《 主の「すぐれた偉大さのゆえに」あらゆる手立てを尽くして、主は賛美されるべきお方である 》と伝えているではないか !

詩篇には至る所で 「うめき・・・ 5篇1節/恐れおののき・・・ 6篇2節〜3節、嘆きで疲れ果て、私ので、夜ごとに寝床を漂わせ・・・ 同6節/主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。10篇1節、13篇1節/どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。51篇2節/深い淵から、私はあなたを呼び求めます。130篇1節/シオンを思い出して泣いた。137篇1節/私の霊が私のうちで衰え果てたとき、142篇3節、143篇4節」 という、霊肉のお扱いがある。

このように叫びながら、詩人たちは「主に信頼せよ。37篇5節、主を待ち望め。同34節/神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。42篇1節/汝等しずまりて、我の神たるを知れ。46篇10節 文語訳」との姿勢に導かれ、遂には試みの直中で、「しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。59篇16節」と、信仰に手応えを頂いてきている。

詩篇をこのように味わう時、詩篇の鍵の句として、ダビデによる「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。34篇1節」が浮かび上がってくる !

詩篇は《 私たちに・・・

@ 主の聖前で赤裸々に自らの内面を告白し、

A 主を信頼して待ち望む信仰に立っては、

B 主の偉大さに感動して、

心から「神をほめたたえる」者であるようにと 》勧めている。


※ 詩篇を愛して口ずさむ生活を送りたい。


posted by luckyfachan at 00:24| Comment(0) | 詩篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月26日

夕拝『詩篇』からの霊想〈149篇〉


「ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。1節」

本篇の賛美への勧めは、「主は御自分の民を喜び、貧しい人を救いの輝きで装われる。4節 新共同訳」 故に、「造り主にあって喜べ。・・・王にあって楽しめ。2節/御名を賛美せよ。・・・主にほめ歌を歌え。3節/高らかに歌え。5節b/神への称賛・・・があるように。6節a」である。

@ 主の御業への賛美を。

御業の最たるものは、何と言っても「貧しい人を救いの輝きで装われる」ことであり、詩篇 103篇「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し・・・いやし・・・贖い、2節〜5節」と《 罪の赦しから始まる霊的全行程における祝福──コリント 第二 3章18節 》である。

A 主の「御名 ── ご性質」への賛美を。

a. 「ご自分の民を愛し( 喜ぶ )」主。

この「民を」とは、貧しい ── 「価なしに義と認められ・・ ローマ 3章24節」た者をであり、一方的に恵む慈しみ深いお方。

b. 「貧しい者を」赦す主。

「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。ヤコブ 4章6節」とある。事実、あの悪王マナセをすら 「 ・・・大いにへりくだって、神に祈った・・・ 歴代誌 第二 33章12節〜13節」時、十字架に掛けられた犯罪人を、主を否んだペテロを、主は赦された。過去の一切に固執せず、完全に罪を葬られるお方。

c. 「国々に報復し、諸国の民を懲らしめ、王たちを鎖につなぎ、君侯の枷をはめ、定められた裁きをする。7節〜9節a 新共同訳」公正を行わせる義なる主。

これらの句にそれぞれ「それは・・・ため」とあるが、主がご自身で公正を行われるため、「聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。5節〜6節」と《 主を信頼するところから来る賛美と、御霊の剣・みことばを握る生活 》を勧めておられることには留意を。


※ この賛美への勧めに生きる者でありたい。


posted by luckyfachan at 00:18| Comment(0) | 詩篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月11日

夕拝『詩篇』からの霊想〈148篇〉


「彼らに主の名をほめたたえさせよ。 5節、13節」

この「彼らに」とは、1節以下の「天において」とある 「すべての御使い、主の万軍【2節】/日、月、星【3節】/天の天、天の上にある水【雲・4節】」 にであり、7節以下の「地において」とある 「海の巨獣、すべての淵【7節】/火、雹、雪、煙、あらし【8節】/山々、丘、実のなる木、杉【9節】、獣、家畜、はうもの、翼のある鳥【10節】/地の王、すべての国民、君主、さばきづかさ【11節】/若い男、若い女、年老いた者と幼い者【12節】」 にである。

バイブルナビには《 すべての被造物は、壮麗な交響曲、または主への賛美の歌を共に捧げるための、調和の取れた多くのパートからなる聖歌隊のようである。それぞれの部分( 独立しているが、全体の一部である )が、賛美の渦に巻き込まれ、運ばれて行く 》とあるが、これはうがった表現ではないか !

それでは ?

@ 何故「彼ら」をして、「ほめたたえさせ」なければならないのか ?

a. 「主が命じて、彼らが造られた。5節b」、即ち、主が「万物の存在の目的であり、また原因でもある方・・・へブル2章10節」である以上、主は《 当然、万物から礼拝されるべきお方──黙示録4章11節 》だから。

b. にも拘らず、被造物は《 本来のこの存在目的 》を見失い、創造主への賛美どころではない「被造物自体も、滅びの束縛・・・ ローマ8章21節〜22節」状態にあるから。

A 「ほめたたえさせよ」との命に従うのは、誰なのか ?

主の聖徒たち、主の近くにいる民、イスラエルの子ら ・・・14節b」ではないか。それは、「主はご自分の民の角を高く上げて【力を顕示して】くださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。14節a 新共同訳」とあるように、主の血によって経験した力【贖い】の故に、聖徒には、その任務【宣教】が課せられているからである( ピリピ2章10節〜11節 )。


※ 主は、被造物から賛美されるべきお方 !


posted by luckyfachan at 23:40| Comment(0) | 詩篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする