マルコの福音書1章21~34節
先週は、本格的ご奉仕の開始が、先ず17節 「わたしについて来なさい」と、《 弟子を募る働き 》にあったと学んだ。【16、19節】でこの招きにあずかった四人は、既に一年余り前、主イエスに引き寄せられて働きの同行者だったこと、更に3章13節以降で、正式に《 十二人の任命をもって直々の訓練を授けられたこと 》から、その宣教に臨まれる姿勢に注目した。
ⅰ ひとりの人の子としての地上生涯における関心事が、ただ、《 人々の魂を救うこと 》にのみ置いておられたこと。
主はお独りで多くの奇跡を行われるや否や、ヨハネ3章2、3節【主を訪ねたニコデモから、メシア到来によるローマからの解放を匂わせた《 主の「※しるし」への称賛 》を受けられたが・・・】。主は世の価値に染まる彼の期待を退け、ローマ帝国からの解放による救いを期待する心を正し、彼を救いに導く為、「神の国」への待望と入国に関心を向けさせられた。
ⅱ 貧しく、ガリラヤ周辺の地方で育った四人、漁師たちへの招きであったこと。
彼らは、使徒4章13節 「無学な普通の人」であったが、主イエスからの、直截に指摘して頂ける人々であり、既にバプテスマのヨハネの弟子として、宗教の形骸化しているユダヤ社会に問題意識を抱く、霊的資質にあずかっている人々だった。
【ルカ5章1~11節】自らの罪深さに気づいて恐れた時、ペテロは主イエスからその自覚こそ適任者だと言われて、他の三人も同様、直ちに「網を捨てて」全面的に従った人々。
※ 第二コリント4章7節は、詳しくは「〔弱い、人間の〕・・・」であり、器としてその人を選び、ご自身の力を最大限に示される、主の知恵と覚えたいと。
この朝は、主の安息の出来事が記されている記事から、22節 「人々はその教えに驚いた。イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである」に注目を!!
主は四人の弟子を従えて、カぺナウム入りされた。主の安息のその日、21節 「会堂に入って教えられた」、29節 「会堂を出るとすぐに」、32節 「夕方になり・・・」とある。主の安息は、金曜日の日没に始まり、土曜日の日没で終わるので、安息の規定から解かれた時、人々がこぞって病気の人や悪い霊につかれた人をみな、「イエスのもとに連れて来た」と。
安息のその日、いかに目まぐるしいご様子だったかを見るが、淡々と父なる神の時を意識されて開始されたご奉仕は、《 人々をして、主を「権威ある者」と認めさせた 》として学びたい。
① イエスが、22節 「律法学者たちのよう」ではなかったからだ。
「その教えに驚いた」人々は、マタイ23章2節、律法学者たちやパリサイ派の人たちが「モーセの【権威の】座に着いて」いたことから、これまで会堂で彼らの教えを聞いてはいたが、一度たりとも、主イエスに感じた感動を、彼らからは感じたことがなかったようだ。
その理由は、同3~7節 「彼らは言うだけで実行しないからです。また彼らは、重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしません。彼らがしている行いはすべて人に見せるため・・・人々から先生と呼ばれることが好きです」とあるからだ。
講壇が「権威の座」と言われているのは、聖書が神のことばだからであり、その神のことばに権威がある、神の権威を帯びていることからである。
にも拘らず、律法学者はその権威を蔑ろにしている為、同13節 「(神のみもと、そこへ至る門を)閉ざしている。おまえたち自身も・・・人々も・・・」入ることが出来ないと。聞く人々を神に導けず、神への礼拝、讃美が生まれない。
彼らの説教は、彼らの生活、生き方に受肉されてはいないからだ。ローマ2章17~24節 「あなたが自らユダヤ人と称し、律法を頼みとし、神を誇り、みこころを知り、律法から教えられて、大切なことをわきまえているなら、また、律法のうちに具体的に示された知識と真理を持っているので、目の見えない人の案内人、闇の中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だ、と自負しているなら、どうして、他人を教えながら、自分自身を教えないのですか。・・・」とは、実にユダヤ人を代表する律法学者への警告である。
従って、人々が《 マルコ1章22節、教えている主を「権威ある者」 》と認めざるを得なくされたのは、又、主の教えを聞いた人々がみな驚いて、互いに論じ合い、《 同27節 「これは何だ。権威ある新しい教えだ・・・」と言ったのも 》、主イエスご自身が《 聖書を神のことばとして自らの生活に実践され、自らの栄誉を求めず、人々の益の為との動機の純潔 》に生きておられたからだ。
ご自身を空しくして、完全に父なる神に委ねられたからこそ、神の権威を帯びていたのだ。
② 「これは何だ。権威ある新しい教えだ」と言われて、※ひとたび主が、けがれた霊にお命じになると、「彼らは従う」という結果を引き起こしたからだ。
その出来事は、※主が会堂でお話をされた、23~26節でのこと。けがれた霊につかれた人が、「ナザレの人イエスよ・・・私たちを滅ぼしに来たのですか。私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です」と叫んだ時、イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。すると、けがれた霊はその人を引きつけさせ、「大声をあげて、その人から出て行った」と。27節で《 けがれた霊を従わせた 》ことに見る、神的権威である。
③ 事実、影響があったからだ。28節 「こうして、イエスの評判はすぐに、ガリラヤ周辺の全域、いたるところに広まった」、32節 「夕方になり」、人々は病気の人や悪い霊につかれた人を、「イエスのもとに連れて来た」、33節 「こうして・・・」と。
同じ日に起こった〈奇跡のニュース〉があっという間にガリラヤ周辺の全域に広がり、多種多様な病める人々への、神の干渉が及ぶところとなった。
※ 今も、人々に主を「権威ある者として教えられた」と驚かせた、律法学者たちのようではない《 みことばに生きられた主 》を凝視し、宣教のために清めを頂いて、神的権威に期待を!!
先週は、本格的ご奉仕の開始が、先ず17節 「わたしについて来なさい」と、《 弟子を募る働き 》にあったと学んだ。【16、19節】でこの招きにあずかった四人は、既に一年余り前、主イエスに引き寄せられて働きの同行者だったこと、更に3章13節以降で、正式に《 十二人の任命をもって直々の訓練を授けられたこと 》から、その宣教に臨まれる姿勢に注目した。
ⅰ ひとりの人の子としての地上生涯における関心事が、ただ、《 人々の魂を救うこと 》にのみ置いておられたこと。
主はお独りで多くの奇跡を行われるや否や、ヨハネ3章2、3節【主を訪ねたニコデモから、メシア到来によるローマからの解放を匂わせた《 主の「※しるし」への称賛 》を受けられたが・・・】。主は世の価値に染まる彼の期待を退け、ローマ帝国からの解放による救いを期待する心を正し、彼を救いに導く為、「神の国」への待望と入国に関心を向けさせられた。
ⅱ 貧しく、ガリラヤ周辺の地方で育った四人、漁師たちへの招きであったこと。
彼らは、使徒4章13節 「無学な普通の人」であったが、主イエスからの、直截に指摘して頂ける人々であり、既にバプテスマのヨハネの弟子として、宗教の形骸化しているユダヤ社会に問題意識を抱く、霊的資質にあずかっている人々だった。
【ルカ5章1~11節】自らの罪深さに気づいて恐れた時、ペテロは主イエスからその自覚こそ適任者だと言われて、他の三人も同様、直ちに「網を捨てて」全面的に従った人々。
※ 第二コリント4章7節は、詳しくは「〔弱い、人間の〕・・・」であり、器としてその人を選び、ご自身の力を最大限に示される、主の知恵と覚えたいと。
この朝は、主の安息の出来事が記されている記事から、22節 「人々はその教えに驚いた。イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである」に注目を!!
主は四人の弟子を従えて、カぺナウム入りされた。主の安息のその日、21節 「会堂に入って教えられた」、29節 「会堂を出るとすぐに」、32節 「夕方になり・・・」とある。主の安息は、金曜日の日没に始まり、土曜日の日没で終わるので、安息の規定から解かれた時、人々がこぞって病気の人や悪い霊につかれた人をみな、「イエスのもとに連れて来た」と。
安息のその日、いかに目まぐるしいご様子だったかを見るが、淡々と父なる神の時を意識されて開始されたご奉仕は、《 人々をして、主を「権威ある者」と認めさせた 》として学びたい。
① イエスが、22節 「律法学者たちのよう」ではなかったからだ。
「その教えに驚いた」人々は、マタイ23章2節、律法学者たちやパリサイ派の人たちが「モーセの【権威の】座に着いて」いたことから、これまで会堂で彼らの教えを聞いてはいたが、一度たりとも、主イエスに感じた感動を、彼らからは感じたことがなかったようだ。
その理由は、同3~7節 「彼らは言うだけで実行しないからです。また彼らは、重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしません。彼らがしている行いはすべて人に見せるため・・・人々から先生と呼ばれることが好きです」とあるからだ。
講壇が「権威の座」と言われているのは、聖書が神のことばだからであり、その神のことばに権威がある、神の権威を帯びていることからである。
にも拘らず、律法学者はその権威を蔑ろにしている為、同13節 「(神のみもと、そこへ至る門を)閉ざしている。おまえたち自身も・・・人々も・・・」入ることが出来ないと。聞く人々を神に導けず、神への礼拝、讃美が生まれない。
彼らの説教は、彼らの生活、生き方に受肉されてはいないからだ。ローマ2章17~24節 「あなたが自らユダヤ人と称し、律法を頼みとし、神を誇り、みこころを知り、律法から教えられて、大切なことをわきまえているなら、また、律法のうちに具体的に示された知識と真理を持っているので、目の見えない人の案内人、闇の中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だ、と自負しているなら、どうして、他人を教えながら、自分自身を教えないのですか。・・・」とは、実にユダヤ人を代表する律法学者への警告である。
従って、人々が《 マルコ1章22節、教えている主を「権威ある者」 》と認めざるを得なくされたのは、又、主の教えを聞いた人々がみな驚いて、互いに論じ合い、《 同27節 「これは何だ。権威ある新しい教えだ・・・」と言ったのも 》、主イエスご自身が《 聖書を神のことばとして自らの生活に実践され、自らの栄誉を求めず、人々の益の為との動機の純潔 》に生きておられたからだ。
ご自身を空しくして、完全に父なる神に委ねられたからこそ、神の権威を帯びていたのだ。
② 「これは何だ。権威ある新しい教えだ」と言われて、※ひとたび主が、けがれた霊にお命じになると、「彼らは従う」という結果を引き起こしたからだ。
その出来事は、※主が会堂でお話をされた、23~26節でのこと。けがれた霊につかれた人が、「ナザレの人イエスよ・・・私たちを滅ぼしに来たのですか。私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です」と叫んだ時、イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。すると、けがれた霊はその人を引きつけさせ、「大声をあげて、その人から出て行った」と。27節で《 けがれた霊を従わせた 》ことに見る、神的権威である。
③ 事実、影響があったからだ。28節 「こうして、イエスの評判はすぐに、ガリラヤ周辺の全域、いたるところに広まった」、32節 「夕方になり」、人々は病気の人や悪い霊につかれた人を、「イエスのもとに連れて来た」、33節 「こうして・・・」と。
同じ日に起こった〈奇跡のニュース〉があっという間にガリラヤ周辺の全域に広がり、多種多様な病める人々への、神の干渉が及ぶところとなった。
※ 今も、人々に主を「権威ある者として教えられた」と驚かせた、律法学者たちのようではない《 みことばに生きられた主 》を凝視し、宣教のために清めを頂いて、神的権威に期待を!!
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