使徒の働き28章30、31節
先週は、航海に適さなかった三か月をマルタ島で過ごした後、遂に約六か月の旅の終着点であるローマ入りした記事に注目。
ローマを訪ねることについては、ローマ1章8~15節、15章22~29節に《 未だ見ぬローマのキリスト者を慕う思いと救いへの情熱 》を見て、ローマ入りの感動がどれ程のものであったのかを垣間見た。そこには、会いたいと切望しながらも幾度となく妨げられて来た悲しみの吐露と、切望の理由として彼らとの交わりを、また宣教拡大への思いに言及していることに。パウロの念願は叶った。
ⅰ 《 許された一週間、キリスト者同士の互いの間の交わり 》を14、15節に。
30節、※パウロの「二年間」の幽囚生活には、ある程度の自由が許されていたとは言え、囚人の身。従って、こうして信仰の友がいてくれたことで、特別な元気づけを与えられたことは間違いのないこと。パウロの経験した《 互いの間の愛によって生きることは、極めて重要な意味合いを持つ 》と見て実践を!!
ⅱ 《 機会を与えられての宣教の結果 》を、23~28節に。
拘束の身のパウロは、ユダヤ人の会堂を訪ねられないので、17~20節、ユダヤの指導者たちを呼び集め、何故囚人としてローマ入りしたかを説明した。21、22節、反応は友好的。
その後、23節で精力的に福音を語った※その結果は、24節。信じようとしなかった人々には、渾身の力を振り絞って、26~28節、叱責し、魂への責任を果たす。
※ 28節 「この救いは、異邦人に・・・」と、70年ローマ軍によるエルサレム崩壊によってユダヤ人は捨てられ、再臨まで、福音は異邦人の全世界に運ばれて今に至っている。
今朝は、2020年7月から78回学んで来た『使徒の働き』連講も、30、31節 「パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国・・・主イエス・キリストのことを教えた」、このおことばをもって最終回となる。
※実に『使徒の働き』の鍵句、1章8節のお約束の通り、ローマ(その当時の地の果て、地中海沿岸)にまで福音が運ばれて今に至っている、世界宣教の礎を築く《 力である、聖霊ご自身を明らかに示したパウロ 》に注目したい!!
その為、30、31節を学ぶに際してもこれまで同様、その折々の状況を知るのに、パウロの三回に及ぶ各地での伝道の傍ら、誕生した教会教会を励まそうと送られた書簡から情報を得て来たようにしたい。それはこの二年間、「訪ねて来る人たちをみな迎えて・・・神の国・・・主イエス・キリストのことを教えた」と同時に書かれたもので、《 エペソ、コロサイ、ピリピ、ピレモン 》からの情報を得てである。
これらの手紙が獄中書簡と呼ばれるもので、これらから私たちも幽囚生活を送っているパウロを知ることで、《 パウロと教会との有機的繋がりを見つつ、使徒的教会の在り方 》に学び、教会総会に臨みたい。
先ずは、二年間の幽囚生活を支えた要因の鍵が、書簡冒頭自らを、「キリスト・イエスの【ための】囚人パウロ」と伝えた信仰にある。エペソ3章1節、4章1節。ピレモン1節、9節、23節。
この自覚は、神と彼との間に、【ネロ、ユダヤ人の陰謀、境遇】による被害者意識の入る余地を皆無としている。
パウロのこの自覚によって、苦境の中、淡々と過ごすことが出来た。30、31節を詳しく訳すると、「会いに来る人をみな喜び迎え入れ、大胆に〈全く公然と〉、またじゃまされる〈妨害される〉ことなく・・・」と。
① 精力的・情熱的に恵みの裡に宣教に励んだこと。
エペソ6章21、22節 「私の様子や私が何をしているかを、あなたがたにも分かってもらうために・・・知らせます。・・・あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです」と。ピリピ1章18節 「これからも喜ぶでしょう」、2章17、18節 「あなたがたも喜んでください」、4章10節、11~14節 「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました」。コロサイ4章7~9節 「私の様子は・・・ティキコが、あなたがたに知らせます。・・・様子を知って、心に励ましを受けるためです・・・」とは、《 聖霊の喜びが漲っている奉仕 》を見る。
② 豊かな極めて貴重な結実があったこと。
ピリピ1章12節 「私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです」と、その実際について、13~18節に見る。
a. 13節 「親衛隊【※総督官邸、皇帝の警護に当たる兵士たち】の全員」に及ぼした福音の影響が、4章22節 「すべての・・・特にカエサルの・・・人たち【皇帝の家族の一員ではなく、皇帝の多くの宮殿で働く皇室の奴隷を意味する】が、よろしくと言っています」と、彼らの中に信仰を明白にした人々が起こされたこと。
b. 14節 「兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、・・・確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました」と、ローマのキリスト者たちに霊的覚醒を与えたこと。
c. 15~18節と、異なる群れの人々の宣教に刺激を与え、主を知らしめる役割を果たしていること。
又ピレモン10節 「獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたい」、11、12節 「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は・・・」と、主人ピレモンに不正を働いてローマに逃亡した奴隷のオネシモが、獄中のパウロに会って回心。コロサイ4章9節 「彼は・・・オネシモと一緒に行きます」とあるのは、パウロの嘆願はピレモンに受け入れられた証。パウロの愛は実った。
③ 《 教会とパウロとの愛による有機的関係による結実 》として見るべきこと。
パウロが「少しもはばかることなく、また妨げられることもなく」貴重な二年間の奉仕をなし終えられたのには、教会の祈りと極めて実際的支援があったことを覚えたい。エペソ6章18、19、20節 「また、私のためにも・・・大胆に知らせることができるように、祈ってください」、ピリピ4章15~18節 「私はすべての物を受けて、満ちあふれています」と。
※ 教会総会の朝への Message として受け止め従いたい!!
先週は、航海に適さなかった三か月をマルタ島で過ごした後、遂に約六か月の旅の終着点であるローマ入りした記事に注目。
ローマを訪ねることについては、ローマ1章8~15節、15章22~29節に《 未だ見ぬローマのキリスト者を慕う思いと救いへの情熱 》を見て、ローマ入りの感動がどれ程のものであったのかを垣間見た。そこには、会いたいと切望しながらも幾度となく妨げられて来た悲しみの吐露と、切望の理由として彼らとの交わりを、また宣教拡大への思いに言及していることに。パウロの念願は叶った。
ⅰ 《 許された一週間、キリスト者同士の互いの間の交わり 》を14、15節に。
30節、※パウロの「二年間」の幽囚生活には、ある程度の自由が許されていたとは言え、囚人の身。従って、こうして信仰の友がいてくれたことで、特別な元気づけを与えられたことは間違いのないこと。パウロの経験した《 互いの間の愛によって生きることは、極めて重要な意味合いを持つ 》と見て実践を!!
ⅱ 《 機会を与えられての宣教の結果 》を、23~28節に。
拘束の身のパウロは、ユダヤ人の会堂を訪ねられないので、17~20節、ユダヤの指導者たちを呼び集め、何故囚人としてローマ入りしたかを説明した。21、22節、反応は友好的。
その後、23節で精力的に福音を語った※その結果は、24節。信じようとしなかった人々には、渾身の力を振り絞って、26~28節、叱責し、魂への責任を果たす。
※ 28節 「この救いは、異邦人に・・・」と、70年ローマ軍によるエルサレム崩壊によってユダヤ人は捨てられ、再臨まで、福音は異邦人の全世界に運ばれて今に至っている。
今朝は、2020年7月から78回学んで来た『使徒の働き』連講も、30、31節 「パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国・・・主イエス・キリストのことを教えた」、このおことばをもって最終回となる。
※実に『使徒の働き』の鍵句、1章8節のお約束の通り、ローマ(その当時の地の果て、地中海沿岸)にまで福音が運ばれて今に至っている、世界宣教の礎を築く《 力である、聖霊ご自身を明らかに示したパウロ 》に注目したい!!
その為、30、31節を学ぶに際してもこれまで同様、その折々の状況を知るのに、パウロの三回に及ぶ各地での伝道の傍ら、誕生した教会教会を励まそうと送られた書簡から情報を得て来たようにしたい。それはこの二年間、「訪ねて来る人たちをみな迎えて・・・神の国・・・主イエス・キリストのことを教えた」と同時に書かれたもので、《 エペソ、コロサイ、ピリピ、ピレモン 》からの情報を得てである。
これらの手紙が獄中書簡と呼ばれるもので、これらから私たちも幽囚生活を送っているパウロを知ることで、《 パウロと教会との有機的繋がりを見つつ、使徒的教会の在り方 》に学び、教会総会に臨みたい。
先ずは、二年間の幽囚生活を支えた要因の鍵が、書簡冒頭自らを、「キリスト・イエスの【ための】囚人パウロ」と伝えた信仰にある。エペソ3章1節、4章1節。ピレモン1節、9節、23節。
この自覚は、神と彼との間に、【ネロ、ユダヤ人の陰謀、境遇】による被害者意識の入る余地を皆無としている。
パウロのこの自覚によって、苦境の中、淡々と過ごすことが出来た。30、31節を詳しく訳すると、「会いに来る人をみな喜び迎え入れ、大胆に〈全く公然と〉、またじゃまされる〈妨害される〉ことなく・・・」と。
① 精力的・情熱的に恵みの裡に宣教に励んだこと。
エペソ6章21、22節 「私の様子や私が何をしているかを、あなたがたにも分かってもらうために・・・知らせます。・・・あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです」と。ピリピ1章18節 「これからも喜ぶでしょう」、2章17、18節 「あなたがたも喜んでください」、4章10節、11~14節 「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました」。コロサイ4章7~9節 「私の様子は・・・ティキコが、あなたがたに知らせます。・・・様子を知って、心に励ましを受けるためです・・・」とは、《 聖霊の喜びが漲っている奉仕 》を見る。
② 豊かな極めて貴重な結実があったこと。
ピリピ1章12節 「私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです」と、その実際について、13~18節に見る。
a. 13節 「親衛隊【※総督官邸、皇帝の警護に当たる兵士たち】の全員」に及ぼした福音の影響が、4章22節 「すべての・・・特にカエサルの・・・人たち【皇帝の家族の一員ではなく、皇帝の多くの宮殿で働く皇室の奴隷を意味する】が、よろしくと言っています」と、彼らの中に信仰を明白にした人々が起こされたこと。
b. 14節 「兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、・・・確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました」と、ローマのキリスト者たちに霊的覚醒を与えたこと。
c. 15~18節と、異なる群れの人々の宣教に刺激を与え、主を知らしめる役割を果たしていること。
又ピレモン10節 「獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたい」、11、12節 「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は・・・」と、主人ピレモンに不正を働いてローマに逃亡した奴隷のオネシモが、獄中のパウロに会って回心。コロサイ4章9節 「彼は・・・オネシモと一緒に行きます」とあるのは、パウロの嘆願はピレモンに受け入れられた証。パウロの愛は実った。
③ 《 教会とパウロとの愛による有機的関係による結実 》として見るべきこと。
パウロが「少しもはばかることなく、また妨げられることもなく」貴重な二年間の奉仕をなし終えられたのには、教会の祈りと極めて実際的支援があったことを覚えたい。エペソ6章18、19、20節 「また、私のためにも・・・大胆に知らせることができるように、祈ってください」、ピリピ4章15~18節 「私はすべての物を受けて、満ちあふれています」と。
※ 教会総会の朝への Message として受け止め従いたい!!
この記事へのコメント