聖日礼拝『使徒の働き』より 78


使徒の働き28章11~28節

 先週は、難破によって漂着した28章1節、※マルタ島での手厚いもてなしによって、11節、※三か月滞在することになった中、そこで明らかにされた《 神の主権的権威 》に注目した。

ⅰ ローマに到着する直前まで、神が挑戦を受けられたこと。
 それは3節、パウロが枯れた枝を抱えて火にくべると、熱気の為に一匹のまむしが出て来て、「彼の手にかみついた」というハプニングが起こった時、※目撃した4、6節 「島の人々」は〈パウロは今に死ぬだろう〉と見ていた。

ⅱ しかし、その挑戦をすら《 神はご自身のご計画の支障とはなさらず、ご自身を示される 》好機とされたこと。
 パウロが※5節 「何の害も受けなかった」ので、6節 「人々は・・・考えを変えて、『この人は神さまだ』と言い出した」に導き、パウロを※ローマ8章35~37節《 圧倒的な勝利【征服】者として、ご自身を至高の存在 》であるとされた。
a. 7節 「その場所の近くに、島の長官でプブリウスという名の人の所有地があった」、8、9節 「たまたまプブリウスの父が、発熱と下痢で苦しんで・・・パウロはその人のところに行って」と、これらによってマルタ島にキリスト信仰を根付かせて現在にまで及び、彼の家はキリスト教会になったと言われているとのこと。
b. 10節、至れり尽くせりの好意をもって。
 ヨハネ14章30節 詳訳 「彼は私に対してなんの権限も持たない〈私となんの関係もない、私には彼のものは何もない、彼は私を支配するなんの力も持っていない〉」のだ。

※ 神のご計画が成就するまでに挑戦として何が持ち込まれようと、粛々と御心を行われるそこに信頼して従うのみと。


 今朝は、航海に適さなかった三か月をマルタ島で過ごして、11節 「アレクサンドリアの船で出発」したパウロが、12節 「シラクサ(シチリア島)」、13節 「レギオン・・・プテオリ」に寄港しながら、遂に、終着点ローマ入りを果たした記事に注目。27章1節 「さて」と、パウロがイタリアに向けてカイサリアを出発してから、船旅も難航しながら約六か月経ってのこと。パウロの感動はどれ程のものだっただろうか。
 第三次伝道旅行中、コリントから書かれた【ローマ1章8~15節、15章22~29節】に綴られている、《 未だ見ぬローマのキリスト者を慕う思いと救いへの情熱 》を読むと、多少なりとも想像することが出来る。ここにあるのは・・・
a. 幾度となく、会いたいと切望しながらも妨げられて来た悲しみの吐露に。1章13節 「何度もあなたがたのところに行く計画を立てましたが、今に至るまで妨げられて」、15章23節 「あなたがたのところに立ち寄ることを長年切望して・・・」と。
b. その切望の理由に。1章11、12節 「御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです」、15章24節 「しばらくの間あなたがたとともにいて、まず心を満たされてから・・・」との交わり、1章13節 「あなたがたの間でもいくらかの実を得ようと」、15節 「福音を伝えたい」との、宣教の拡大を。
 パウロの長年のその念願は叶った。

① 《 キリスト者同士の互いの間の交わり 》を14、15節に。

 14節 「私たちは兄弟たちを見つけ、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した」、15節 「ローマからは、私たちのことを聞いた兄弟たちが・・・私たちを迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた」と。
 この交わりは、パウロが兵士の監視付きで、16節 「一人で生活することを許され」る前の貴重な一週間でのこと。※これからの30節 「二年間」、ある程度の自由が許された範囲での拘束期間であるとは言え、ローマでの囚人としての生活である。今後の為に備えられた、恵みの期間だったに違いない。
 パウロはこのローマ第一次幽囚後、一度釈放されての宣教が許されるが、再度の捕縛で第二次幽囚の折、やはりキリスト者同士の交わりによって力づけられたとの言及がある。第二テモテ1章16~18節 「オネシポロの家族を主があわれんでくださるように。彼はたびたび私を元気づけ【私をぎゅっと抱き上げてくれたの意】私が鎖につながれていることを恥と思わず、【それどころか反対に】ローマに着いたとき、熱心に私を捜して見つけ出してくれました。・・・エペソで彼がどれほど多くの奉仕をしてくれたかは、あなた自身が一番よく知っています」。信仰の友がいてくれたことを回顧して《 特別な元気づけが与えられている 》と言うパウロに、《 互いの間の愛によって生きることは極めて実際的 》と見て実践を!!

② 《 機会を与えられての宣教の結果 》を、23~28節に。

 ローマ在住のキリスト者たちからの激励を受けてから早速、何処ででも、その地の異邦人にではなく、ユダヤ人に話をするのが常であったパウロは、拘束の身であり、ユダヤ人の会堂を訪ねられないことから、17~19節 「三日後、パウロはユダヤ人のおもだった人【指導者】たちを呼び」集めて、「兄弟たち【同胞の民の意】。私は・・・何一つ背くことはしていない」と、かいつまんで20節 「私がこの鎖につながれているのは、イスラエルの望みのため」と、【これはユダヤ教を覆す為にではなく、《 救い主の到来を預言した聖書が成就した 》と伝えたことによる】もので、何故囚人としてローマ入りしたかを説明した。21、22節と、極めて友好的だった。
 その後、23節 「そこで彼らは・・・さらに大勢でパウロの宿にやって来た。パウロは・・・イエスについて彼らを説得しようと、朝から晩まで説明を続けた」と、精力的に福音を語った。
 24節がその結果で、「ある人たちは彼が語ることを受け入れたが、ほかの人たちは信じようとしなかった」と、ここで新たなキリスト者が起こされたことは素晴らしい。だがその時パウロは、その「信じようとしなかった」人々を捕らえて渾身の力をこめて、26~28節 「あなたがたは聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが、決して知ることはない・・・神のこの救いは、異邦人に送られました・・・」と叱責して魂への責任を果たす。

※ 28節 「この救いは、異邦人に送られました」とは、間もなく70年のローマ軍による《 エルサレム崩壊によってユダヤ人は一時的に捨てられることになり 》、再臨まで、福音は異邦人の全世界に運ばれて今に至っている。

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