使徒の働き24章22~27節
先週は、主の顕現によってローマ行きの勇気を得、《 エルサレムからカイサリアに護送された 》パウロが、24章1節 「大祭司アナニア」が立てた弁護士の告訴後、10節 「喜んで私自身のことを」と弁明した記事に注目した。
パウロと弁護士テルティロとは共に総督の前に出ているが、法廷に臨むその動機に極めて対照的な違いを見るからである。
ⅰ テルティロを見るに、パウロの抹殺を求めて告訴する為に使った手立てに顕著。総督フェリクスがどのような人物であるかを知りながら、自らの願欲を満たす為に総督を誉めそやし、好意を勝ち取ろうとする動機。
フェリクスが弾圧的にユダヤ社会の治安を図ろうとして、反ローマ主義の過激分子を徹底的に殺害するなどした為、ユダヤ人の代表者たちからネロ皇帝に訴えられることになり、27節 「フェストゥスが」後任となったのである。
総督の思惑に叶うようテルティロは《 パウロの三つの罪状 》を突き付け、平和を乱すとして死罪判決を求めて告訴!!
5節a 反ローマ主義の/5節b 革命家で/6節 宮を汚そうとした、と。ユダヤ人の反感を買うように仕向け、彼にあるのは必死さのみ!!
ⅱ パウロも※10節で讃辞を送っているが、自らの個人的救いを求めてではなく、正しい裁きを行うことへの感謝が動機。
従って彼の答弁は、「喜んで」と極めて明るい。テルティロが是が非でもと躍起になって獲得した機会であったのとは違い、パウロには、委ねて与えられた機会であったから。
パウロの先の三つの罪状に基づく弁明は淡々としている。
※ 主の顕現【23章11節】こそその力、ピリピ1章28節。
今朝から私たちは、12月19日クリスマス(2021年)を記念する聖日を待ち望む節季を迎える《 待降節 》に入りましたので、主のご降誕の意義に思いを馳せつつ、礼拝を捧げていきたい。
今朝は、パウロの弁明後、22節、総督フェリクスが裁判の延期をもって判決の明言を避け、パウロがローマの市民権を持っていることから、23節b 「ある程度の自由を与え」た上で《 パウロと個人的面談の機会 》とした記事に注目したい。
フェリクスは、24節 「数日後、・・・ユダヤ人である妻ドルシラとともにやって来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰について話を聞いた」とある。それは、22節a 「この道についてかなり詳しく知っていた」こともあって、恐らく先に聞いた、10~21節で語った《 パウロの弁明 》に興味を持ったからでは? 面談を求めた。
彼を迎えた時、25節 「しかし、パウロが」とある。この「しかし」には、フェリクスの関心が単に、自らのキリスト知識に新たな教養的満たしを求めてのことでしかないと洞察したからか? その内容を退け、《 総督に最も必要と見ていた福音の本質、罪からの救い 》を求めさせようとする心意気、無駄な談話を避け、単刀直入に内面に切り込みを入れる好機をとの心意気が感じられる。
それは極めて的確な導きで、25節a 詳訳 「正しさと純潔な生活〈情欲の抑制〉と審判が来ることについて」論じ続けると、案の定、25節b 「フェリクスは恐ろしくなり、『今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする』と言った」とある。
パウロは、目の前にいる〈フェリクスの恐ろしくなっている様子を見て取って〉何を思っただろうか? 実に、その恐れを感じる心こそ、聖霊がその人の心に触れられた証であるから。彼を知るパウロは、彼の永遠を思いながら、どのように応えるか? 固唾を呑んで見守る時でもあった筈。
何故ならパウロは、二人の不義を知っていたからだ。
従って、ここでフェリクスは紛れもなく、パウロの語る言葉によって《 自らの罪の事実が明るみにされた 》のだが、今朝はこのフェリクスに《 ヨハネ3章16~21節 》の絵を!!
それは悲しいかな《 光よりも闇を愛する人 》の姿である。
① フェリクス自らに恐怖をもたらした罪の事実とは?
フェリクスがローマからユダヤ総督として派遣された時、シリア王アジザスの妻だったドルシラと出会って好意を抱き、彼からドルシラを奪って結婚し、ドルシラも同罪で夫と離婚しフェリクスと結婚した。極めて破廉恥な罪の事実である。
因みに、ドルシラは、12章1節 「ヘロデ王(使徒ヤコブを殺害)」の娘、25章13節 「アグリッパ王」とは、ベルニケと共に兄妹という関係にある人物。
又、フェリクスが裁判を延期した理由として、22節a 「この道についてかなり詳しく知っていたので」とあるが、それは、彼がキリスト者に対してある程度の好感を抱いたから? が上がるが、ここに罪の問題がある。
ほぼ七年間はユダヤ総督として、キリスト者に接する機会があったことだろう。特に、カイサリアと言えば二十数年前、10章に、イタリア隊百人隊長コルネリウスの回心《 ペテロを迎えて聖霊の注ぎを経験し、皆バプテスマを受けた 》によって、ローマ人のキリスト者の群れが誕生、更には、21章8節 「ピリポ」の影響もあり、カイサリア地方はキリスト教化されていた。
従って、フェリクスは、主の十字架の日、その時総督だったピラト同様のジレンマを味わったのだ。パウロへの無罪を宣言したいが、もしそうなれば、最高法院が何と出て来るか? ピラトは、主の無罪を認めつつも《 キリストを十字架に付けろと叫ぶ 》群衆に屈し、「おまえたちで始末するがよい」と言って自らの命を救う為その場を去ったが、フェリクスは最も無難な方法、22節d 「延期」で難を逃れた。
この出方は、27節b’ 「ユダヤ人たちの機嫌を取ろう」と、判決は最後まで自らでは下さず、後任に任せる卑怯さ無責任さ。26節 「パウロから金をもらいたい下心」に見る《 パウロにお金で釈放を求められることを期待する 》貪欲さ。
② フェリクスには「折を見て」は最早なかったことは厳粛。
聖霊による認罪が与えられながら、その自覚を放置し、「折【詳訳:私の都合の良い時にあなたを呼びにやる】」という機会を後回しにすることは、永遠の悔いであるとの自戒を。
どれだけの人々が「折」を逃していることか。この良い時とは、第二コリント6章1、2節 「今は」である。
※ 世界も、クリスマスの事実を受けて光に従う節季を!!
先週は、主の顕現によってローマ行きの勇気を得、《 エルサレムからカイサリアに護送された 》パウロが、24章1節 「大祭司アナニア」が立てた弁護士の告訴後、10節 「喜んで私自身のことを」と弁明した記事に注目した。
パウロと弁護士テルティロとは共に総督の前に出ているが、法廷に臨むその動機に極めて対照的な違いを見るからである。
ⅰ テルティロを見るに、パウロの抹殺を求めて告訴する為に使った手立てに顕著。総督フェリクスがどのような人物であるかを知りながら、自らの願欲を満たす為に総督を誉めそやし、好意を勝ち取ろうとする動機。
フェリクスが弾圧的にユダヤ社会の治安を図ろうとして、反ローマ主義の過激分子を徹底的に殺害するなどした為、ユダヤ人の代表者たちからネロ皇帝に訴えられることになり、27節 「フェストゥスが」後任となったのである。
総督の思惑に叶うようテルティロは《 パウロの三つの罪状 》を突き付け、平和を乱すとして死罪判決を求めて告訴!!
5節a 反ローマ主義の/5節b 革命家で/6節 宮を汚そうとした、と。ユダヤ人の反感を買うように仕向け、彼にあるのは必死さのみ!!
ⅱ パウロも※10節で讃辞を送っているが、自らの個人的救いを求めてではなく、正しい裁きを行うことへの感謝が動機。
従って彼の答弁は、「喜んで」と極めて明るい。テルティロが是が非でもと躍起になって獲得した機会であったのとは違い、パウロには、委ねて与えられた機会であったから。
パウロの先の三つの罪状に基づく弁明は淡々としている。
※ 主の顕現【23章11節】こそその力、ピリピ1章28節。
今朝から私たちは、12月19日クリスマス(2021年)を記念する聖日を待ち望む節季を迎える《 待降節 》に入りましたので、主のご降誕の意義に思いを馳せつつ、礼拝を捧げていきたい。
今朝は、パウロの弁明後、22節、総督フェリクスが裁判の延期をもって判決の明言を避け、パウロがローマの市民権を持っていることから、23節b 「ある程度の自由を与え」た上で《 パウロと個人的面談の機会 》とした記事に注目したい。
フェリクスは、24節 「数日後、・・・ユダヤ人である妻ドルシラとともにやって来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰について話を聞いた」とある。それは、22節a 「この道についてかなり詳しく知っていた」こともあって、恐らく先に聞いた、10~21節で語った《 パウロの弁明 》に興味を持ったからでは? 面談を求めた。
彼を迎えた時、25節 「しかし、パウロが」とある。この「しかし」には、フェリクスの関心が単に、自らのキリスト知識に新たな教養的満たしを求めてのことでしかないと洞察したからか? その内容を退け、《 総督に最も必要と見ていた福音の本質、罪からの救い 》を求めさせようとする心意気、無駄な談話を避け、単刀直入に内面に切り込みを入れる好機をとの心意気が感じられる。
それは極めて的確な導きで、25節a 詳訳 「正しさと純潔な生活〈情欲の抑制〉と審判が来ることについて」論じ続けると、案の定、25節b 「フェリクスは恐ろしくなり、『今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする』と言った」とある。
パウロは、目の前にいる〈フェリクスの恐ろしくなっている様子を見て取って〉何を思っただろうか? 実に、その恐れを感じる心こそ、聖霊がその人の心に触れられた証であるから。彼を知るパウロは、彼の永遠を思いながら、どのように応えるか? 固唾を呑んで見守る時でもあった筈。
何故ならパウロは、二人の不義を知っていたからだ。
従って、ここでフェリクスは紛れもなく、パウロの語る言葉によって《 自らの罪の事実が明るみにされた 》のだが、今朝はこのフェリクスに《 ヨハネ3章16~21節 》の絵を!!
それは悲しいかな《 光よりも闇を愛する人 》の姿である。
① フェリクス自らに恐怖をもたらした罪の事実とは?
フェリクスがローマからユダヤ総督として派遣された時、シリア王アジザスの妻だったドルシラと出会って好意を抱き、彼からドルシラを奪って結婚し、ドルシラも同罪で夫と離婚しフェリクスと結婚した。極めて破廉恥な罪の事実である。
因みに、ドルシラは、12章1節 「ヘロデ王(使徒ヤコブを殺害)」の娘、25章13節 「アグリッパ王」とは、ベルニケと共に兄妹という関係にある人物。
又、フェリクスが裁判を延期した理由として、22節a 「この道についてかなり詳しく知っていたので」とあるが、それは、彼がキリスト者に対してある程度の好感を抱いたから? が上がるが、ここに罪の問題がある。
ほぼ七年間はユダヤ総督として、キリスト者に接する機会があったことだろう。特に、カイサリアと言えば二十数年前、10章に、イタリア隊百人隊長コルネリウスの回心《 ペテロを迎えて聖霊の注ぎを経験し、皆バプテスマを受けた 》によって、ローマ人のキリスト者の群れが誕生、更には、21章8節 「ピリポ」の影響もあり、カイサリア地方はキリスト教化されていた。
従って、フェリクスは、主の十字架の日、その時総督だったピラト同様のジレンマを味わったのだ。パウロへの無罪を宣言したいが、もしそうなれば、最高法院が何と出て来るか? ピラトは、主の無罪を認めつつも《 キリストを十字架に付けろと叫ぶ 》群衆に屈し、「おまえたちで始末するがよい」と言って自らの命を救う為その場を去ったが、フェリクスは最も無難な方法、22節d 「延期」で難を逃れた。
この出方は、27節b’ 「ユダヤ人たちの機嫌を取ろう」と、判決は最後まで自らでは下さず、後任に任せる卑怯さ無責任さ。26節 「パウロから金をもらいたい下心」に見る《 パウロにお金で釈放を求められることを期待する 》貪欲さ。
② フェリクスには「折を見て」は最早なかったことは厳粛。
聖霊による認罪が与えられながら、その自覚を放置し、「折【詳訳:私の都合の良い時にあなたを呼びにやる】」という機会を後回しにすることは、永遠の悔いであるとの自戒を。
どれだけの人々が「折」を逃していることか。この良い時とは、第二コリント6章1、2節 「今は」である。
※ 世界も、クリスマスの事実を受けて光に従う節季を!!
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