聖日礼拝『使徒の働き』より 68


使徒の働き23章11~35節

 先週は、パウロが、ユダヤ人騒動を受けて急きょ招集された最高法院議会で※2節・大祭司アナニアからの憎悪に満ちた反感を招いた《 1節の宣言 》に注目した。

ⅰ キリスト者となる以前のユダヤ教徒としての宣言。
 パウロは、22章3節、26章9~11節では《 迫害を自らの義務だと思い込んでいた 》と、良心的咎めは無い。
 何故なら彼は、律法を守ること【克己、熱心、厳格な生活態度、人との比較における優越した正しい生活】によって神の聖前に義と認められるという信仰で生きていたからだ。
 大祭司はパウロのこの「良心にしたがって、神の前に生きてきました」の宣言が、未だユダヤ教徒としての告白ならばごもっともと、咎めを感じ激怒することにはならなかった。

ⅱ パウロは最早ユダヤ教徒ではなく、回心している身の今現在、キリスト教徒としての宣言。
 彼はステパノを殺害することに賛同していたが、殉教者ステパノの、未だかつて見たことのない品格に触れて信仰の究極を感じ、ダマスコ途上復活の主の顕現を受けて画期的回心に至った。
 回心後、ピリピ3章9節 「私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持」つと、パウロの律法の理解が変わった。

※ パウロの1節の宣言は、大祭司に回心の必要性を訴えることとなり、ローマ3章20~24節 「・・・律法を通して生じるのは罪の意識です。しかし今や・・・神の義が示されました」と迫った彼の魂への情熱にあやかりたい、と。


 今朝は、エルサレム最高議会でのパウロを巡って起こった騒動【10節 「論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと恐れた。それで兵士たちに、降りて行ってパウロを彼らの中から引っ張り出し、兵営に連れて行くように命じた」】から、パウロが救い出されたその夜※11節 「主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』と言われた」のおことばに学びたい。

① 主の顕現は一度ならず、最も必要と思われる《 パウロの意気消沈している時 》にも与えられている。

 第二次伝道時コリントでの※18章9、10節 「ある夜、主は幻によってパウロに言われた。『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない・・・』」と。
 ここエルサレムでは、23章の弁明について主から、11節b 詳訳 「あなたがエルサレムで私について忠実な証言をした」と評価されているが、先ず、11節a 「勇気を出しなさい」と励まされていることから、パウロの内心は《 今後のローマ行きに不安を感じていた 》と推察できる。
 又後日、ローマ行きの船でのこと、27章23、24節 「昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、こう言ったのです。『恐れることはありません。パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』」と。

② 主の顕現は《 ご自身の御心を信仰で受け止めて従う者への報いとしての保証 》である。

 パウロの《 ローマ行きは 》単なる個人的な思い付きや願望、救霊の情熱・重荷によってではなく、エペソ滞在の折、宣教の主から出たビジョンであったことを想起しなければならない。19章21節 詳訳 「このようなできごとののち、パウロは、マケドニアとアカヤ〔ギリシアの大部分〕を巡ってからエルサレムに行こうと〔聖〕霊に導かれて決意し、『私は、そこに行ったのち、ローマをも尋ねなければならない』と言った」と。
 20章22~24節では、エペソ教会の長老たちを前に、「私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます・・・」と決意し、エペソで啓示されたビジョンに従うには、どうしても避けられない通過点として受け入れた。
 主の為にと願って行われる働きの全ては《 神の御心に適っているか否か 》が大前提であり、その限りにおいてのみ、行き詰りのその都度、主は顕現をもって保証とされる。
 しかし主の為にと動き回っていても、独善的熱心さによる働きは【マタイ7章21~23節 「・・・『・・・あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』」と、《 不法を動機とする肉的行為 》、その特色は《 彼の恩着せがましさ 》にある】その限りではない。御心を生きる者の特色は、同25章35~39節 「いつ・・・したでしょうか」と自己顕示欲から解放された謙虚さにあると覚えたい。

③ パウロに《 証人としてローマに立つ日の保証を与えた 》主の顕現は〈そのビジョン実現の前に立ちはだかる、阻止する勢力を〉退却させた主の権威の証である。

 ローマ行きのビジョンに対するここ迄の動きを見ると、エペソでのパウロの宣教は、19章26節、27節で商売の損失を被ったとされたが、その告訴は却下され【同23~41節】/20章3節〈パウロに対する陰謀が起こった為〉ギリシアからシリアへの航路【エルサレムへの船便】を変更せざるを得なくされて、「マケドニアを通って帰ることに」なったが、かえって教会教会との最後の交わりの機会を持つこととなり〈ミレトス、ツロ、カイサリア〉では涙する弟子たちの信仰を再確認させて強め/遂にエルサレム入りした時の捕縛で※22章22節 「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない」と狂気の声に遭遇するが、ローマ市民権を保持する者としての待遇を受ける。
 そしてたった今、23章10節 「論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと恐れた。それで・・・」と救出された。
 更には、12~15節《 パウロ殺害計画の陰謀 》も、16節 「ところが」と千人隊長の知る所となって難を逃れ、遂には、23節 「カイサリアに向けて出発できるように」との《 何とも厳重な警備のもとでの護送 》によって、35節 「保護」され、着々とローマ行きに備えられることとなった。

※ イザヤ14章24、27節、46章10節《 唯、主への礼拝のみ 》。

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