使徒の働き21章31節~22章21節
先週は、多難な全ての伝道旅行も終盤を迎えたカイサリアでの別れの後、エルサレムに向かって南に100キロ余り、捕縛覚悟で臨んだパウロが、16節 「キプロス人ムナソン」宅に一泊し、兄弟たちに温かく迎えられる中、エルサレム教会側では、パウロを敵視する伝統的律法主義キリスト者たちからの非難回避の為に提案した《 22、23節に、教会が抱えていた苦悩を垣間見て、留意すべき点に 》注目した。
ⅰ 20節 「みな律法に熱心な人たち」であることには自戒を。
未だに行いによって義と認められようとする生き方から抜け出られずにいる点、ローマ3章20節、ピリピ3章9節を。
ⅱ 22節 「それで、どうしましょうか」と出た《 エルサレム教会の指導者たちの考案 》には熟慮が必要だったのでは?
《 パウロに対する21節の誤解を解こうと出された提案事項は 》23、24節 「・・・あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、皆に分かる・・・」為にであったが、十年余り前の会議で決着済みの問題が未だ是正されず、残っていた難題に悩まされていたことからのものだから。
パウロがこの助言に従ったことについては、信仰的問題はない。何故ならこの律法について(民数記6章2~20節)は難なく良きこととして、彼自身実践していたことで、贖あがないに抵触しないから。
ⅲ 27節 「ところが・・・」と別件で訴えられる機会となり、遂に33節、彼の捕縛によりローマ行きは決定的となった。
提案は難を回避できず、むしろ捕縛の機会となったとは!!
※ 如何なる場合でも人間的憂慮を捨て、只管主の道をと!!
今朝は、エルサレム教会が《 パウロへの誤解を回避することで教会内の安定を図ろうと 》するも期待が外れ、聖霊による予告通りの捕縛の舞台となったが、パウロはその事態を受けて公的弁明の機会とし、《 ローマに向けての旅の始まり 》とした記事に入る。
パウロのエルサレム行きには聖霊が捕縛を予告され、その事態を阻止しようとする教会の涙がそこここにあった。エルサレムでの捕縛によるローマ行きについて、既に第三次伝道のアジアで劇的成果を見た19章21節 詳訳 「さて、このようなできごとののち、パウロはマケドニアとアカヤ〔ギリシアの大部分〕を巡ってからエルサレムに行こうと〔聖〕霊に導かれて決意し、『私は、そこに行ったのち、ローマをも尋ねなければならない』と言った」《 世界帝国ローマを福音で満たす聖霊のご計画は 》着々と進められることになる。
捕縛の切っ掛けは、エルサレム教会の提案による宮での清めの期間が終わろうとしていた矢先でのこと〈27、28節、宮の中に居るのを見られたこと〉によってである。
しかし、31節 「彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長【五旬節を祝うエルサレムの秩序を守るべく駐屯していた】に届いた」ことで、殺害の難から逃れられることになったパウロは、弁明のチャンスを迎えることになった。
ここで千人隊長が群衆に尋ねた※33節 「パウロが何者なのか、何をしたのか」の答えを《 22章1節からのパウロの弁明 》に学んで Message としたい。
千人隊長のこの質問は、パウロに対するものではないが、主犯者として縛られた時に身近で耳にした言葉を捕えての弁明であり、到底願っても得られそうにもない機会を捕えての弁明である。
いつも、聖霊の導きを一途に求める霊は機会を逃さない!!
さすが捕縛覚悟で臨んでいたパウロは、殉教未遂に済んだ直後も極めて冷静で、37節 「・・・千人隊長に『少しお話ししてもよいでしょうか』と尋ね」、千人隊長からの「おまえはギリシア語を知っているのか」との〈ギリシア語を話せたことに意外だとの気持ち? 蔑み露わな問い掛け〉、或いは、話せるなら、38節 「・・・あのエジプト人ではないのか【革命運動家たち?】」と見做されたことをも甘受して、39節 「私は」と自らの素性を説明し、「・・・お願いです。この人たちに話をさせてください」と出て、勝ち取った弁明の言葉から、である。
唯、一つのことに留意しておきたい。確かに弁明ではあるが、訴えられている自らの潔白を明らかにする為のものではなく、実に彼らの魂を燃える心で愛する救霊説教であること。
① 「パウロが何者なのか」について。
3~5節 「私はユダヤ人です。キリキアのタルソで生まれ、この町で育てられました【かなり早い時期にエルサレムに連れられている】。私はガマリエルの足下で、最もきびしい・・・教育を受けました。神に対して熱心で〈熱狂的でさえ〉あったことは、今日のあなたがたと同じでした。〔そうです〕私は・・・」と、誰もが認める生粋のユダヤ教徒であったこと、6~9節《 ダマスコ途上での劇的回心経験 》を告白した。
どれだけの人々の耳に届けられたのだろう? 五旬節の祭りで多くの熱心なユダヤ教徒たちが群がっている筈。7、8節《 復活のイエスの顕現 》の大胆な証言は聞くに堪えられなかっただろう。最高法院と共に結託して処刑したイエスの復活証言は、彼らに罪ありと突き付けることになったが《 パウロとは※16節、神に立ち返った者だ 》と。
② 「パウロは何をしたのか」について。
10節 「私が『主よ、私はどうしたらよいでしょうか』と尋ねると、主は私に言われました。『起き上がって、ダマスコに行きなさい。あなたが行うように定められているすべてのことが、そこであなたに告げられる』」に従って出掛けて伝えられたことを、である。
それは、14、15節 「彼(アナニア)はこう言いました。『私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。 あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです・・・』」である。
ところがそれも、18節 「早く、急いでエルサレムを離れなさい・・・」と告げられた《 エルサレムの拒絶 》を受け、一度は辞退したものの、再度※21節 「行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす」に従っての今であると。《 パウロは唯、神の指示に忠実に行動している 》と。
※ ルカ12章11、12節の主のお約束の確かさに信頼を!!
先週は、多難な全ての伝道旅行も終盤を迎えたカイサリアでの別れの後、エルサレムに向かって南に100キロ余り、捕縛覚悟で臨んだパウロが、16節 「キプロス人ムナソン」宅に一泊し、兄弟たちに温かく迎えられる中、エルサレム教会側では、パウロを敵視する伝統的律法主義キリスト者たちからの非難回避の為に提案した《 22、23節に、教会が抱えていた苦悩を垣間見て、留意すべき点に 》注目した。
ⅰ 20節 「みな律法に熱心な人たち」であることには自戒を。
未だに行いによって義と認められようとする生き方から抜け出られずにいる点、ローマ3章20節、ピリピ3章9節を。
ⅱ 22節 「それで、どうしましょうか」と出た《 エルサレム教会の指導者たちの考案 》には熟慮が必要だったのでは?
《 パウロに対する21節の誤解を解こうと出された提案事項は 》23、24節 「・・・あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、皆に分かる・・・」為にであったが、十年余り前の会議で決着済みの問題が未だ是正されず、残っていた難題に悩まされていたことからのものだから。
パウロがこの助言に従ったことについては、信仰的問題はない。何故ならこの律法について(民数記6章2~20節)は難なく良きこととして、彼自身実践していたことで、贖あがないに抵触しないから。
ⅲ 27節 「ところが・・・」と別件で訴えられる機会となり、遂に33節、彼の捕縛によりローマ行きは決定的となった。
提案は難を回避できず、むしろ捕縛の機会となったとは!!
※ 如何なる場合でも人間的憂慮を捨て、只管主の道をと!!
今朝は、エルサレム教会が《 パウロへの誤解を回避することで教会内の安定を図ろうと 》するも期待が外れ、聖霊による予告通りの捕縛の舞台となったが、パウロはその事態を受けて公的弁明の機会とし、《 ローマに向けての旅の始まり 》とした記事に入る。
パウロのエルサレム行きには聖霊が捕縛を予告され、その事態を阻止しようとする教会の涙がそこここにあった。エルサレムでの捕縛によるローマ行きについて、既に第三次伝道のアジアで劇的成果を見た19章21節 詳訳 「さて、このようなできごとののち、パウロはマケドニアとアカヤ〔ギリシアの大部分〕を巡ってからエルサレムに行こうと〔聖〕霊に導かれて決意し、『私は、そこに行ったのち、ローマをも尋ねなければならない』と言った」《 世界帝国ローマを福音で満たす聖霊のご計画は 》着々と進められることになる。
捕縛の切っ掛けは、エルサレム教会の提案による宮での清めの期間が終わろうとしていた矢先でのこと〈27、28節、宮の中に居るのを見られたこと〉によってである。
しかし、31節 「彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長【五旬節を祝うエルサレムの秩序を守るべく駐屯していた】に届いた」ことで、殺害の難から逃れられることになったパウロは、弁明のチャンスを迎えることになった。
ここで千人隊長が群衆に尋ねた※33節 「パウロが何者なのか、何をしたのか」の答えを《 22章1節からのパウロの弁明 》に学んで Message としたい。
千人隊長のこの質問は、パウロに対するものではないが、主犯者として縛られた時に身近で耳にした言葉を捕えての弁明であり、到底願っても得られそうにもない機会を捕えての弁明である。
いつも、聖霊の導きを一途に求める霊は機会を逃さない!!
さすが捕縛覚悟で臨んでいたパウロは、殉教未遂に済んだ直後も極めて冷静で、37節 「・・・千人隊長に『少しお話ししてもよいでしょうか』と尋ね」、千人隊長からの「おまえはギリシア語を知っているのか」との〈ギリシア語を話せたことに意外だとの気持ち? 蔑み露わな問い掛け〉、或いは、話せるなら、38節 「・・・あのエジプト人ではないのか【革命運動家たち?】」と見做されたことをも甘受して、39節 「私は」と自らの素性を説明し、「・・・お願いです。この人たちに話をさせてください」と出て、勝ち取った弁明の言葉から、である。
唯、一つのことに留意しておきたい。確かに弁明ではあるが、訴えられている自らの潔白を明らかにする為のものではなく、実に彼らの魂を燃える心で愛する救霊説教であること。
① 「パウロが何者なのか」について。
3~5節 「私はユダヤ人です。キリキアのタルソで生まれ、この町で育てられました【かなり早い時期にエルサレムに連れられている】。私はガマリエルの足下で、最もきびしい・・・教育を受けました。神に対して熱心で〈熱狂的でさえ〉あったことは、今日のあなたがたと同じでした。〔そうです〕私は・・・」と、誰もが認める生粋のユダヤ教徒であったこと、6~9節《 ダマスコ途上での劇的回心経験 》を告白した。
どれだけの人々の耳に届けられたのだろう? 五旬節の祭りで多くの熱心なユダヤ教徒たちが群がっている筈。7、8節《 復活のイエスの顕現 》の大胆な証言は聞くに堪えられなかっただろう。最高法院と共に結託して処刑したイエスの復活証言は、彼らに罪ありと突き付けることになったが《 パウロとは※16節、神に立ち返った者だ 》と。
② 「パウロは何をしたのか」について。
10節 「私が『主よ、私はどうしたらよいでしょうか』と尋ねると、主は私に言われました。『起き上がって、ダマスコに行きなさい。あなたが行うように定められているすべてのことが、そこであなたに告げられる』」に従って出掛けて伝えられたことを、である。
それは、14、15節 「彼(アナニア)はこう言いました。『私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。 あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです・・・』」である。
ところがそれも、18節 「早く、急いでエルサレムを離れなさい・・・」と告げられた《 エルサレムの拒絶 》を受け、一度は辞退したものの、再度※21節 「行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす」に従っての今であると。《 パウロは唯、神の指示に忠実に行動している 》と。
※ ルカ12章11、12節の主のお約束の確かさに信頼を!!
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