使徒の働き21章15~36節
先週は、パウロのエルサレム行きに関して、14節 「彼が聞き入れようとしないので・・・」という背景を見つつ、主の※ルカ9章51節 「御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた」ご決意と重ねて学んだ。
ⅰ 《 パウロを愛する人々との互いの涙 》があったこと。
20章36~38節《 ミレトス 》から、21章4~6節《 ツロ 》、8~12節《 カイサリア 》の人々の涙と、パウロの彼らへの熱い思い。主が最後の晩餐の折、ご自身の死を明言された時の弟子たちの深い悲しみに襲われている様子を知られて、ゲツセマネに向かわれる途中《 弟子たちの為に捧げられた長い執り成しの祈り 》には、世に残す弟子たちを想っての立ち去り難いとされる熱い思いが込められている。
ⅱ 「聞き入れようとしない」《 パウロに見る信仰 》。
ツロでの※4b、5節〈信仰〉、カイサリアでの※12、13節 「上って行かないように」と懇願されるも、「私は・・・覚悟して」との献身的信仰は※20章22~24節 「御霊に縛られて」の信仰に他ならない。
ⅲ 「主のみこころがなりますように」との《 見送る人々に見る信仰 》。
パウロの身を案じる人々の熱心な説得はパウロに受入れられず、止むなく見送る形になったが、パウロの献身を尊重して自分たちの願いを退け、主の御心に全幅的信頼を持って委ねられた信仰であるが、主が十字架への道を弟子たちに吐露されるや、主の前に立ちはだかった、ペテロに見た肉的阻止とは違う。
聖霊の満たしによる時にだけ見られる一致がここに。
※ 「主のみこころがなりますように」こそ宣教の鍵と覚えたい、と。
今朝は、多難な全ての伝道旅行を終えたパウロが、カイサリアでの別れの後、馬の背に跨って南に100キロ余り、捕縛覚悟で臨んだ《 エルサレム入り 》の出来事に注目する。
その出来事とは、パウロがエルサレム入りを果たすに際して、自ら予測していたことである。それはパウロが、第三次伝道旅行での折り返し地点ギリシア滞在中に書いた『ローマ』15章22~33節に明白で、特に30~32節 「・・・祈ってください。私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるように・・・」との祈りの要請で分かる。
パウロの懸念は、「ユダヤにいる不信仰な人々」による動きにあったが、二種の人々のことである。
20節 「ユダヤ人の中で信仰に入っている人」で、パウロについて、21節 「・・・モーセに背くように教えている」と、誰かから聞かされる情報を鵜呑みにして、敵対的に言い張る《 伝統主義的ユダヤ人キリスト者たち 》。既に、15章のエルサレム会議開催を余儀なくさせた※5節 「パリサイ派の者で信者になった人たち」である。その会議での取り決め【・・・異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。ただ・・・】が発令されたにも拘らず(同19、20節)、である。十年は経っていたであろうこの時も尚、一向にその信仰を理解せずに、20節c 「みな律法に熱心な人たち」とある。
27節の、「アジアから来たユダヤ人」をはじめ、五旬節で各地から多く集まって来ている巡礼者たちで、《 ユダヤ教徒たち 》。
そのような緊張感の下でパウロは、17節 「エルサレム」着を前に、16節 「キプロス人ムナソン」宅に一泊した。この人物については「古くからの弟子」とあるが、遡ること、あの二十数年前のペンテコステの時の回心者? 十数年前、11章19節 「ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス・・・まで進んで行った」時の実なのか? 分からないが、何れにせよ好意的にもてなしている。又、17節 「兄弟たちは喜んで迎えてくれた」という人々においても然り。恐らく多くは※11章20節 「ヘレニストたち」で、キリスト者だったのでは?
今朝は、22、23節 「それで、どうしましょうか。あなたが来たことは、必ず彼らの耳に入るでしょう。ですから、私たちの言うとおりにしてください」に《 教会が抱えていた苦悩を垣間見ながら、留意すべき点に 》注目したい。
パウロには、異邦人教会から与った支援金をエルサレム教会に届けるという重要な務めがあった(24章17節)。恐らく、エルサレムに着くや、18節 「ヤコブ・・・長老たち」との会談の折に、19節 「パウロは自分の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ説明した」その時、《 その宣教の豊かな実の実際的証しとしての支援金 》を、感謝と共に贈呈したことだろう。
しかしそれ程、重要な出来事であるにも拘らず、ルカによる記述はなく、依然として教会が抱えていた古い課題が言及されているところに、事の重大さがあると見て取るべき?
① 20節 「みな律法に熱心な人たち」であることには自戒を。
未だに行いによって義とされようとする生き方から抜け出られずにいる点、ローマ3章20節、ピリピ3章9節を。
② 22節 「それで、どうしましょうか」と出た《 エルサレム教会の指導者たちの考案 》には熟慮が必要では?
指導者たちが《 21節のパウロに対する誤解を解こう 》と出した提案事項は、23、24節 「・・・誓願を立てている・・・人たちを連れて行って、一緒に身を清め・・・。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも 律法を守って正しく歩んでいることが、皆に分かる ・・・」と。 ⇒ 誤解者が律法を守るのは、十字架では不十分だからであって、パウロが律法を守るのとでは意味が違うにも拘らず。
パウロがこの助言に従ったことについては、信仰的問題はない。何故なら以前、ケンクレアでその類の誓願を果たす為に、頭を剃るという儀式を行っており、主の贖あがないに抵触する行為ではないからだ。パウロは唯、指導者たちの意向に委ねて従うことに徹してのこと。
③ 27節 「ところが・・・」と、別件で訴えられることになり、遂には33節、「二本の鎖」で縛られ、彼のローマ行きは決定的となった。
パウロを誤解から守ろうとした提案は直接的な助けになるどころか、むしろ捕縛の機会となったとは!!
※ 如何なる場合でも人間的憂慮を捨て、只管主の道を!!
先週は、パウロのエルサレム行きに関して、14節 「彼が聞き入れようとしないので・・・」という背景を見つつ、主の※ルカ9章51節 「御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた」ご決意と重ねて学んだ。
ⅰ 《 パウロを愛する人々との互いの涙 》があったこと。
20章36~38節《 ミレトス 》から、21章4~6節《 ツロ 》、8~12節《 カイサリア 》の人々の涙と、パウロの彼らへの熱い思い。主が最後の晩餐の折、ご自身の死を明言された時の弟子たちの深い悲しみに襲われている様子を知られて、ゲツセマネに向かわれる途中《 弟子たちの為に捧げられた長い執り成しの祈り 》には、世に残す弟子たちを想っての立ち去り難いとされる熱い思いが込められている。
ⅱ 「聞き入れようとしない」《 パウロに見る信仰 》。
ツロでの※4b、5節〈信仰〉、カイサリアでの※12、13節 「上って行かないように」と懇願されるも、「私は・・・覚悟して」との献身的信仰は※20章22~24節 「御霊に縛られて」の信仰に他ならない。
ⅲ 「主のみこころがなりますように」との《 見送る人々に見る信仰 》。
パウロの身を案じる人々の熱心な説得はパウロに受入れられず、止むなく見送る形になったが、パウロの献身を尊重して自分たちの願いを退け、主の御心に全幅的信頼を持って委ねられた信仰であるが、主が十字架への道を弟子たちに吐露されるや、主の前に立ちはだかった、ペテロに見た肉的阻止とは違う。
聖霊の満たしによる時にだけ見られる一致がここに。
※ 「主のみこころがなりますように」こそ宣教の鍵と覚えたい、と。
今朝は、多難な全ての伝道旅行を終えたパウロが、カイサリアでの別れの後、馬の背に跨って南に100キロ余り、捕縛覚悟で臨んだ《 エルサレム入り 》の出来事に注目する。
その出来事とは、パウロがエルサレム入りを果たすに際して、自ら予測していたことである。それはパウロが、第三次伝道旅行での折り返し地点ギリシア滞在中に書いた『ローマ』15章22~33節に明白で、特に30~32節 「・・・祈ってください。私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるように・・・」との祈りの要請で分かる。
パウロの懸念は、「ユダヤにいる不信仰な人々」による動きにあったが、二種の人々のことである。
20節 「ユダヤ人の中で信仰に入っている人」で、パウロについて、21節 「・・・モーセに背くように教えている」と、誰かから聞かされる情報を鵜呑みにして、敵対的に言い張る《 伝統主義的ユダヤ人キリスト者たち 》。既に、15章のエルサレム会議開催を余儀なくさせた※5節 「パリサイ派の者で信者になった人たち」である。その会議での取り決め【・・・異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。ただ・・・】が発令されたにも拘らず(同19、20節)、である。十年は経っていたであろうこの時も尚、一向にその信仰を理解せずに、20節c 「みな律法に熱心な人たち」とある。
27節の、「アジアから来たユダヤ人」をはじめ、五旬節で各地から多く集まって来ている巡礼者たちで、《 ユダヤ教徒たち 》。
そのような緊張感の下でパウロは、17節 「エルサレム」着を前に、16節 「キプロス人ムナソン」宅に一泊した。この人物については「古くからの弟子」とあるが、遡ること、あの二十数年前のペンテコステの時の回心者? 十数年前、11章19節 「ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス・・・まで進んで行った」時の実なのか? 分からないが、何れにせよ好意的にもてなしている。又、17節 「兄弟たちは喜んで迎えてくれた」という人々においても然り。恐らく多くは※11章20節 「ヘレニストたち」で、キリスト者だったのでは?
今朝は、22、23節 「それで、どうしましょうか。あなたが来たことは、必ず彼らの耳に入るでしょう。ですから、私たちの言うとおりにしてください」に《 教会が抱えていた苦悩を垣間見ながら、留意すべき点に 》注目したい。
パウロには、異邦人教会から与った支援金をエルサレム教会に届けるという重要な務めがあった(24章17節)。恐らく、エルサレムに着くや、18節 「ヤコブ・・・長老たち」との会談の折に、19節 「パウロは自分の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ説明した」その時、《 その宣教の豊かな実の実際的証しとしての支援金 》を、感謝と共に贈呈したことだろう。
しかしそれ程、重要な出来事であるにも拘らず、ルカによる記述はなく、依然として教会が抱えていた古い課題が言及されているところに、事の重大さがあると見て取るべき?
① 20節 「みな律法に熱心な人たち」であることには自戒を。
未だに行いによって義とされようとする生き方から抜け出られずにいる点、ローマ3章20節、ピリピ3章9節を。
② 22節 「それで、どうしましょうか」と出た《 エルサレム教会の指導者たちの考案 》には熟慮が必要では?
指導者たちが《 21節のパウロに対する誤解を解こう 》と出した提案事項は、23、24節 「・・・誓願を立てている・・・人たちを連れて行って、一緒に身を清め・・・。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも 律法を守って正しく歩んでいることが、皆に分かる ・・・」と。 ⇒ 誤解者が律法を守るのは、十字架では不十分だからであって、パウロが律法を守るのとでは意味が違うにも拘らず。
パウロがこの助言に従ったことについては、信仰的問題はない。何故なら以前、ケンクレアでその類の誓願を果たす為に、頭を剃るという儀式を行っており、主の贖あがないに抵触する行為ではないからだ。パウロは唯、指導者たちの意向に委ねて従うことに徹してのこと。
③ 27節 「ところが・・・」と、別件で訴えられることになり、遂には33節、「二本の鎖」で縛られ、彼のローマ行きは決定的となった。
パウロを誤解から守ろうとした提案は直接的な助けになるどころか、むしろ捕縛の機会となったとは!!
※ 如何なる場合でも人間的憂慮を捨て、只管主の道を!!
この記事へのコメント