礼拝《 献堂二十二周年記念 》
使徒の働き20章1~12節
先週は、19章23節 「その頃」とは、パウロのアジア滞在中でのこと、24~27節で銀細工人デメテリオが、パウロの福音宣教が職人たちの仕事に大打撃を与えたと訴えた所に学んだ。35、36節と、「町の書記官」によって※40節で解散になり、パウロの直接的出番はなかったものの、第二コリント1章8~10節 「死刑の宣告を受けた思い」を経験する騒動だったとある。
この記事から《 パウロの宣教の姿勢 》に何を?
ⅰ パウロの明け渡しの信仰。
29節で同行者二人が捕らえられたことを知って、30、31節、パウロは騒動の中に入ろうとしたが、弟子たちと友人たちとがそれを許さなかった。パウロは募るその思いを退けて、彼らの強硬な忠告に従った。
ⅱ 31節 「アジア州の高官」が「友人」であったこと。
彼らは、皇帝礼拝の為の様々な礼拝所を監督したり、属州議会によって高位の祭司職に任じられていた政務官だったと考えられるが、彼らから好意を抱かれていた。それはパウロが、「町の書記官」をして、37節 「神殿を汚した者でもなく、私たちの女神を冒涜した者でも」ないと《 弁護させている 》ことに証しされている。
アテネ宣教は異文化における宣教の在り方を顕著に示しているが、彼らの神理解の無知に同情を寄せつつ尊敬して福音を直截に語る愛は、人間的な熱心をもってではない、聖霊の満たしによって生きることによったということに尽きる。
※ 同じ異教社会に在って、宣教の鍵が《 何をするかではなく、どの様な人であるか 》にあると弁えて遣わされたい、と。
今朝は、現在の国分寺町に宣教拠点を移転してから、二十二周年を記念する宣教礼拝に寄せて、今一度、宣教者パウロの一貫した宣教スピリットに注目したい。
何と言っても、主が昇天直前、弟子たちに命じられた※マタイ28章19節 「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」に従った姿勢に他ならない。申し上げるまでもなく、この命令の実現は、使徒1章8節 「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受け」るという、《 聖霊経験に与って初めて 》「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」にある。幸い、IGMの宣証する《 聖と宣 》という基本理念が、主のこの宣言に基づいていると見て感謝したい。
今朝の記事は、パウロが続けてきた三回をもって終了する伝道旅行も終盤を迎えているところに入る。
念願であった《 ローマに福音を届けるための宣教拠点として狙った 》エペソでのアジア宣教に手応えを感じ、遂に、19章21節 「パウロは御霊に示され、マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行く」手筈が整った場面である。先程触れたパウロの宣教スピリットが、実に凝縮されている箇所であるとして学んで、宣教礼拝の Message としたい。その理解の為に準備した、cf. プリント《 パウロと弟子たち 》を見て頂くと一目瞭然であるが、宣教は外に向けて福音を届けることを目的としているが、実に、内に向けての働きに、どれ程の時間を割いていることか!! 驚くばかりである。それはパウロが、救霊の最終目標を、救われた一人ひとりの霊的成熟に置いていたことによる。
① cf. プリント《 パウロと弟子たち 》を見ると、パウロが多くの弟子たちとの関わりを持っているのが分かる。
本格的なエペソ伝道に入るや、既に備えられていた十二人ほどの〈聖霊を知らなかった弟子たち〉への指導に始まり、伝道旅行で掘り起こされた人々。
② どのようにして?
a. 直接的な対面によって。
1節 「弟子たちを呼び集めて励まし」、2節 「そして、その地方を通り、多くのことばをもって弟子たちを励まし」とある。第一次伝道旅行を経て、第二次、第三次と、諸教会を重ねて訪ね、激励を怠らなかった。
参考:5節 「トロアスで私たちを待っていた」、6節a 「私たちは・・・ピリピから船出した」とあることから、ここピリピから、再度『使徒』の記者ルカが、第三次伝道旅行の帰路合流することになる。ということは、この「私たち」とは、16章10節 「私たちはただちにマケドニアに・・・」と出ていたが、ルカはこのピリピに留まって、パウロが来るのを待っていたことになる。
6節b 「五日のうちに、トロアスにいる彼らのところに行き、そこで七日間滞在した」時のこと。7~12節 「夜中まで語り続けた。・・・しかし、パウロは・・・『心配することはない。まだいのちがあります』と言った。そして、また上がって・・・明け方まで長く語り合って、それから出発した」には、みことばを伝えようとする並外れた情熱を見る。
b. 手紙によって。
2節 「そして、その地方(マケドニア)を通り」とあるが、マケドニアから、この後で訪問するギリシア(コリント)に向けて『コリント人への手紙 第二』を書いている。同12章14~18節 「私は、あなたがたのところに三度目【一度目は、第二次伝道旅行・18章での開拓伝道。二度目はエペソ滞在中】の訪問をする準備ができています・・・」、同13章1~10節 「あなたがたのところに行くのは、これで三度目です。・・・離れていてこれらのことを書いているのは、私が行ったときに、主が私に授けてくださった権威を用いて、厳しい処置をとらなくてもすむようになるためです」と。その訪問が叶ってコリントに三か月滞在した時、『ローマ人への手紙』を書いているが、1章10~12節 「祈るときにはいつも、神のみこころによって、今度こそついに道が開かれ・・・。私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて・・・強くしたいからです。というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです」との絶え間ない有機的関係を意識してのこと。
手紙の巻末には決まって、同労者たちからの挨拶も交え、安否を伝えながら、自らが出向けない時には、使節を送るなどして、群れの交わりを意識させている。
※ ヨハネ13章34、35節《 宣教は、教会の健全な建て上げあっての実 》と覚え、互いの信仰生活の光としたい。
使徒の働き20章1~12節
先週は、19章23節 「その頃」とは、パウロのアジア滞在中でのこと、24~27節で銀細工人デメテリオが、パウロの福音宣教が職人たちの仕事に大打撃を与えたと訴えた所に学んだ。35、36節と、「町の書記官」によって※40節で解散になり、パウロの直接的出番はなかったものの、第二コリント1章8~10節 「死刑の宣告を受けた思い」を経験する騒動だったとある。
この記事から《 パウロの宣教の姿勢 》に何を?
ⅰ パウロの明け渡しの信仰。
29節で同行者二人が捕らえられたことを知って、30、31節、パウロは騒動の中に入ろうとしたが、弟子たちと友人たちとがそれを許さなかった。パウロは募るその思いを退けて、彼らの強硬な忠告に従った。
ⅱ 31節 「アジア州の高官」が「友人」であったこと。
彼らは、皇帝礼拝の為の様々な礼拝所を監督したり、属州議会によって高位の祭司職に任じられていた政務官だったと考えられるが、彼らから好意を抱かれていた。それはパウロが、「町の書記官」をして、37節 「神殿を汚した者でもなく、私たちの女神を冒涜した者でも」ないと《 弁護させている 》ことに証しされている。
アテネ宣教は異文化における宣教の在り方を顕著に示しているが、彼らの神理解の無知に同情を寄せつつ尊敬して福音を直截に語る愛は、人間的な熱心をもってではない、聖霊の満たしによって生きることによったということに尽きる。
※ 同じ異教社会に在って、宣教の鍵が《 何をするかではなく、どの様な人であるか 》にあると弁えて遣わされたい、と。
今朝は、現在の国分寺町に宣教拠点を移転してから、二十二周年を記念する宣教礼拝に寄せて、今一度、宣教者パウロの一貫した宣教スピリットに注目したい。
何と言っても、主が昇天直前、弟子たちに命じられた※マタイ28章19節 「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」に従った姿勢に他ならない。申し上げるまでもなく、この命令の実現は、使徒1章8節 「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受け」るという、《 聖霊経験に与って初めて 》「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」にある。幸い、IGMの宣証する《 聖と宣 》という基本理念が、主のこの宣言に基づいていると見て感謝したい。
今朝の記事は、パウロが続けてきた三回をもって終了する伝道旅行も終盤を迎えているところに入る。
念願であった《 ローマに福音を届けるための宣教拠点として狙った 》エペソでのアジア宣教に手応えを感じ、遂に、19章21節 「パウロは御霊に示され、マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行く」手筈が整った場面である。先程触れたパウロの宣教スピリットが、実に凝縮されている箇所であるとして学んで、宣教礼拝の Message としたい。その理解の為に準備した、cf. プリント《 パウロと弟子たち 》を見て頂くと一目瞭然であるが、宣教は外に向けて福音を届けることを目的としているが、実に、内に向けての働きに、どれ程の時間を割いていることか!! 驚くばかりである。それはパウロが、救霊の最終目標を、救われた一人ひとりの霊的成熟に置いていたことによる。
① cf. プリント《 パウロと弟子たち 》を見ると、パウロが多くの弟子たちとの関わりを持っているのが分かる。
本格的なエペソ伝道に入るや、既に備えられていた十二人ほどの〈聖霊を知らなかった弟子たち〉への指導に始まり、伝道旅行で掘り起こされた人々。
② どのようにして?
a. 直接的な対面によって。
1節 「弟子たちを呼び集めて励まし」、2節 「そして、その地方を通り、多くのことばをもって弟子たちを励まし」とある。第一次伝道旅行を経て、第二次、第三次と、諸教会を重ねて訪ね、激励を怠らなかった。
参考:5節 「トロアスで私たちを待っていた」、6節a 「私たちは・・・ピリピから船出した」とあることから、ここピリピから、再度『使徒』の記者ルカが、第三次伝道旅行の帰路合流することになる。ということは、この「私たち」とは、16章10節 「私たちはただちにマケドニアに・・・」と出ていたが、ルカはこのピリピに留まって、パウロが来るのを待っていたことになる。
6節b 「五日のうちに、トロアスにいる彼らのところに行き、そこで七日間滞在した」時のこと。7~12節 「夜中まで語り続けた。・・・しかし、パウロは・・・『心配することはない。まだいのちがあります』と言った。そして、また上がって・・・明け方まで長く語り合って、それから出発した」には、みことばを伝えようとする並外れた情熱を見る。
b. 手紙によって。
2節 「そして、その地方(マケドニア)を通り」とあるが、マケドニアから、この後で訪問するギリシア(コリント)に向けて『コリント人への手紙 第二』を書いている。同12章14~18節 「私は、あなたがたのところに三度目【一度目は、第二次伝道旅行・18章での開拓伝道。二度目はエペソ滞在中】の訪問をする準備ができています・・・」、同13章1~10節 「あなたがたのところに行くのは、これで三度目です。・・・離れていてこれらのことを書いているのは、私が行ったときに、主が私に授けてくださった権威を用いて、厳しい処置をとらなくてもすむようになるためです」と。その訪問が叶ってコリントに三か月滞在した時、『ローマ人への手紙』を書いているが、1章10~12節 「祈るときにはいつも、神のみこころによって、今度こそついに道が開かれ・・・。私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて・・・強くしたいからです。というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです」との絶え間ない有機的関係を意識してのこと。
手紙の巻末には決まって、同労者たちからの挨拶も交え、安否を伝えながら、自らが出向けない時には、使節を送るなどして、群れの交わりを意識させている。
※ ヨハネ13章34、35節《 宣教は、教会の健全な建て上げあっての実 》と覚え、互いの信仰生活の光としたい。
この記事へのコメント
昔々のことなので曲名は忘れたのですが高木先生が歌う『♪岡の上に立てる十字架~』と『♪主は我が飼い主、我は羊』が聴きたいです。