使徒の働き19章23~40節
先週は【エペソ宣教に脅威的な手応えを見た後】、21節 「パウロは御霊に示され・・・行くことにした」に学んだ。但し、22節 「なおしばらくアジアにとどまって」と、その理由は、第一コリント16章5~9節 「実り多い働きをもたらす門が私のために広く開かれていますが、反対者も大勢いるから」であるが、《 パウロが聖霊に導かれて決意したこと 》とは?
ⅰ 「マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行く」こと。
その目的は、第一コリント16章1~4節、エルサレム教会への支援献金を集めること。マケドニアの諸教会は、第二コリント8、9章 「満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました」と《 全き明け渡しの信仰から生まれる神的現象 》をもって。
この実践の動機は財的に潤ってきたからではなく、同8章9節《 主の恵み、主の代価による感動 》によって。又、ローマ15章25~29節 「・・・異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、物質的なもので彼らに奉仕すべき」と。
ⅱ 「【エルサレム】に行ってから、ローマも見なければならない」こと。
確かに、この展望について主から、23章11節 「ローマでも証しをしなければならない」と語られている。実にパウロは後、この第三次伝道旅行を終えてエルサレム入りするや、間もなく捕らわれの身となって最高法院での裁判に臨むことになり、自由の身をもってではないが、遂に、使徒28章30、31節でローマ入りするのを見る。
※ パウロの宣教の展開はいつでも、「御霊に示され」ての行動であることに注視しては、お互いの今に光をと!!
今朝は、パウロが、22節 「テモテとエラストをマケドニアに遣わし、自分自身はなおしばらくアジアにとどまっていた」、23節 「そのころ、この道のことで、大変な騒ぎが起こった」という出来事に《 パウロの宣教の姿勢を見て 》Message としたい。こうしたエペソでの出来事は既に学んでいるように、第一コリント16章8、9節 「五旬節まではエペソに滞在します。実り多い働きをもたらす門が私のために広く開かれていますが、反対者も大勢いるからです」と、迫害を覚悟した上でのこと。
事の発端は、24節 「デメテリオという名の銀細工人」が、「銀でアルテミス神殿の模型を造り、職人たちにかなりの収入を得させていたが」、25~27節で《 パウロの福音宣教によってこの仕事が大打撃を受けた 》ということにあった。更に民衆を巻き込む為にと、27節 「・・・私たちの仕事の評判が悪くなる恐れがあるばかりか、偉大な女神アルテミスの神殿も軽んじられ、全アジア、全世界が拝むこの女神のご威光さえも失われそうです」と訴えたことから、29節《 町中を大混乱に陥らせること 》になった。
この「アルテミス神殿 ⇒ 女神アルテミスを安置する巨大な神殿」、古代世界の七不思議【名高いエジプト・ギザの大ピラミッドとその名を並べる《 七つの建造物の一つ 》】である。
35節 「町の書記官」の、「エペソの町が、偉大な女神アルテミスと、天から下ったご神体との守護者であることを知らない人が、だれかいるでしょうか。これらのことは否定できないことですから、皆さんは静かにして、決して無謀なことをしてはなりません」は《 町の秩序を乱し、暴動を起こし兼ねないとした言葉で 極めて説得力 》があり、40節で解散に。
この騒動にはパウロの直接的出番なく、20章1節 「騒ぎが収まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げ、マケドニアに向けて出発した」とある。しかし実際、出向いたそのマケドニアからの手紙によると、第二コリント1章8~10節 「兄弟たち。アジアで起こった私たちの苦難について、あなたがたに知らずにいてほしくありません。・・・死刑の宣告を受けた思いでした・・・」と、かなりの苦境にあったが、淡々と聖霊の導きに身を委ねて進んでいる。
この出来事に学ぶ《 パウロの宣教の姿勢 》に何を?
① パウロの明け渡しの信仰:
30、31節で「パウロはその集まった会衆の中に入って行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった【詳訳:許そうとはしなかった】。パウロの友人でアジア州の高官であった人たちも、パウロに使いを送り、劇場に入って行かないようにと懇願【詳訳:入って行くような冒険をしないようにと忠告】した」とあるのには、パウロが騒動に何とか加わろうとしたようだが、周囲の忠告に従っているのを見る。それは、29節 「パウロの同行者である、マケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ」たとあるのを知って傍観できなかったからだ。
【コリントからの】ローマ16章23節 「私と教会全体の家主であるガイオも」と、コリント教会においてガイオは重要な奉仕に携わっており、第一コリント1章14節によると、パウロから洗礼を受けている。しかしその募る思いを退け、弟子たちを信頼して従った。
② 31節 「アジア州の高官」が「友人」であったこと。
パウロの身を案じて引き止めた人々の中に、このような人々が加えられていることは見逃せない。彼らは、皇帝礼拝の為の様々な礼拝所を監督したり、属州議会によって高位の祭司職に任じられていた政務官だったのでは? と。その彼らから好意を抱かれていたことになる。驚くに値しない。それは、35節 「町の書記官」が37節で、「皆さんは、この人たちをここに連れて来ましたが、彼らは神殿を汚した者でも、私たちの女神を冒涜した者でもありません」と、パウロの働きを弁護しているかのようなことにも見られる《 福音宣教者の霊的健康・ホーリネス 》である。
第二コリント2章14、15節 「神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。私たちは・・・神に献げられた芳かぐわしいキリストの香りなのです」とあり、その鍵は、3章2、3節 「心の板に・・・」にある。人間的な熱心、勢いによる肉は悉く処理され、聖霊の満たしによって生きることによるからだ。
真理を伝えようとして、この世を蔑んで誹謗するようなことがあってはならない。哲学の町アテネでの伝道を顧みる時、異教徒に最大の理解を表した上で【17章22~31節】、創造者を啓示している場面で知ることが出来る。
※ 同じ異教社会に在って、宣教の鍵が《 何をするかではなく、どの様な人であるか 》にあると弁えて、遣わされたい。
先週は【エペソ宣教に脅威的な手応えを見た後】、21節 「パウロは御霊に示され・・・行くことにした」に学んだ。但し、22節 「なおしばらくアジアにとどまって」と、その理由は、第一コリント16章5~9節 「実り多い働きをもたらす門が私のために広く開かれていますが、反対者も大勢いるから」であるが、《 パウロが聖霊に導かれて決意したこと 》とは?
ⅰ 「マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行く」こと。
その目的は、第一コリント16章1~4節、エルサレム教会への支援献金を集めること。マケドニアの諸教会は、第二コリント8、9章 「満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました」と《 全き明け渡しの信仰から生まれる神的現象 》をもって。
この実践の動機は財的に潤ってきたからではなく、同8章9節《 主の恵み、主の代価による感動 》によって。又、ローマ15章25~29節 「・・・異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、物質的なもので彼らに奉仕すべき」と。
ⅱ 「【エルサレム】に行ってから、ローマも見なければならない」こと。
確かに、この展望について主から、23章11節 「ローマでも証しをしなければならない」と語られている。実にパウロは後、この第三次伝道旅行を終えてエルサレム入りするや、間もなく捕らわれの身となって最高法院での裁判に臨むことになり、自由の身をもってではないが、遂に、使徒28章30、31節でローマ入りするのを見る。
※ パウロの宣教の展開はいつでも、「御霊に示され」ての行動であることに注視しては、お互いの今に光をと!!
今朝は、パウロが、22節 「テモテとエラストをマケドニアに遣わし、自分自身はなおしばらくアジアにとどまっていた」、23節 「そのころ、この道のことで、大変な騒ぎが起こった」という出来事に《 パウロの宣教の姿勢を見て 》Message としたい。こうしたエペソでの出来事は既に学んでいるように、第一コリント16章8、9節 「五旬節まではエペソに滞在します。実り多い働きをもたらす門が私のために広く開かれていますが、反対者も大勢いるからです」と、迫害を覚悟した上でのこと。
事の発端は、24節 「デメテリオという名の銀細工人」が、「銀でアルテミス神殿の模型を造り、職人たちにかなりの収入を得させていたが」、25~27節で《 パウロの福音宣教によってこの仕事が大打撃を受けた 》ということにあった。更に民衆を巻き込む為にと、27節 「・・・私たちの仕事の評判が悪くなる恐れがあるばかりか、偉大な女神アルテミスの神殿も軽んじられ、全アジア、全世界が拝むこの女神のご威光さえも失われそうです」と訴えたことから、29節《 町中を大混乱に陥らせること 》になった。
この「アルテミス神殿 ⇒ 女神アルテミスを安置する巨大な神殿」、古代世界の七不思議【名高いエジプト・ギザの大ピラミッドとその名を並べる《 七つの建造物の一つ 》】である。
35節 「町の書記官」の、「エペソの町が、偉大な女神アルテミスと、天から下ったご神体との守護者であることを知らない人が、だれかいるでしょうか。これらのことは否定できないことですから、皆さんは静かにして、決して無謀なことをしてはなりません」は《 町の秩序を乱し、暴動を起こし兼ねないとした言葉で 極めて説得力 》があり、40節で解散に。
この騒動にはパウロの直接的出番なく、20章1節 「騒ぎが収まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げ、マケドニアに向けて出発した」とある。しかし実際、出向いたそのマケドニアからの手紙によると、第二コリント1章8~10節 「兄弟たち。アジアで起こった私たちの苦難について、あなたがたに知らずにいてほしくありません。・・・死刑の宣告を受けた思いでした・・・」と、かなりの苦境にあったが、淡々と聖霊の導きに身を委ねて進んでいる。
この出来事に学ぶ《 パウロの宣教の姿勢 》に何を?
① パウロの明け渡しの信仰:
30、31節で「パウロはその集まった会衆の中に入って行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった【詳訳:許そうとはしなかった】。パウロの友人でアジア州の高官であった人たちも、パウロに使いを送り、劇場に入って行かないようにと懇願【詳訳:入って行くような冒険をしないようにと忠告】した」とあるのには、パウロが騒動に何とか加わろうとしたようだが、周囲の忠告に従っているのを見る。それは、29節 「パウロの同行者である、マケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ」たとあるのを知って傍観できなかったからだ。
【コリントからの】ローマ16章23節 「私と教会全体の家主であるガイオも」と、コリント教会においてガイオは重要な奉仕に携わっており、第一コリント1章14節によると、パウロから洗礼を受けている。しかしその募る思いを退け、弟子たちを信頼して従った。
② 31節 「アジア州の高官」が「友人」であったこと。
パウロの身を案じて引き止めた人々の中に、このような人々が加えられていることは見逃せない。彼らは、皇帝礼拝の為の様々な礼拝所を監督したり、属州議会によって高位の祭司職に任じられていた政務官だったのでは? と。その彼らから好意を抱かれていたことになる。驚くに値しない。それは、35節 「町の書記官」が37節で、「皆さんは、この人たちをここに連れて来ましたが、彼らは神殿を汚した者でも、私たちの女神を冒涜した者でもありません」と、パウロの働きを弁護しているかのようなことにも見られる《 福音宣教者の霊的健康・ホーリネス 》である。
第二コリント2章14、15節 「神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。私たちは・・・神に献げられた芳かぐわしいキリストの香りなのです」とあり、その鍵は、3章2、3節 「心の板に・・・」にある。人間的な熱心、勢いによる肉は悉く処理され、聖霊の満たしによって生きることによるからだ。
真理を伝えようとして、この世を蔑んで誹謗するようなことがあってはならない。哲学の町アテネでの伝道を顧みる時、異教徒に最大の理解を表した上で【17章22~31節】、創造者を啓示している場面で知ることが出来る。
※ 同じ異教社会に在って、宣教の鍵が《 何をするかではなく、どの様な人であるか 》にあると弁えて、遣わされたい。
この記事へのコメント