使徒の使徒の働き19章21、22節
先週は、使徒で節目となる五つ目の※20節 「こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった」に学んだ。
この宣教が勢いを増したのには、二つの出来事がある。
先ず、8、9節の《 迫害による宣教の転向 》。ティラノの講堂では 会衆がユダヤ人中心から異邦人に移り、10節に結果を見た。
更に、ユダヤ人の巡回祈禱師が悪霊によって不名誉にも退散させられたことで※17節、主の御名への恐れが生じたこと。これら背景の下、20節 「こうして」に見た結実の鍵とは・・・
ⅰ 9節に見る《 パウロの一貫した積極的信仰の姿勢 》
迫害に動揺せず毅然とした態度で対応するパウロの信仰。J・ウェスレーは 17節に、“ 悪魔の悪意までが福音の進展の為に協力した ” と言っている。
ⅱ 18、19節に見る《 教会の徹底した霊的覚醒 》
詳訳 「今信者になっていた者たちが多くやって来て、・・・偽りに満ちた、邪悪な行為をすっかり告白して全部曝け出した。そして、奇妙な魔術を行っていた多くの者たちが自分の書物を集めて、それを次々と投げて積み上げ、皆の人の見ている前で焼いた。彼らがその価格を総計したところ、銀貨五万枚にも上った」と。
教会生活を信仰者として 礼拝する者ならば、聖霊が強い光で私たちの心の深奥部を暴かれるその都度、その実際的な行為と肉とを放置せずに、即刻光に従うべきである。その時にだけ、天的祝福が及ぶからだ。
※ 公的 私的を問わず、この「こうして・・・」に見る氾濫的祝福は、使徒たちの現実的従順にあると覚えたいと。
今朝は、21節 「これらのことがあった後、パウロは御霊に示され、マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない』と言った」ことを学んでおきたい。
「これらのことがあった後」とは、先週学んだ出来事を直接受けてのことで、予てより念願だったエペソ宣教に強烈な手応えを見届けた後ということになる。
但し、こうした導きは直ちにではなく、22節 「そこで、自分に仕えている者たちのうちの二人、テモテとエラストをマケドニアに遣わし、自分自身はなおしばらくアジアにとどまっていた」とある。
パウロが何故、「自分自身はなおしばらくアジアにとどま」ろうとしたのか? については、エペソ滞在期間中に書いた『第一コリント』16章5~9節 「私はマケドニアを通って、あなたがたのところへ行きます。・・・あなたがたのところにしばらく滞在したいと願っています。しかし、五旬節まではエペソに滞在します。実り多い働きをもたらす門が私のために広く開かれていますが、反対者も大勢いるからです」で分かる。
使徒19章に戻って※25~27節を見ると、エペソ宣教が【如何に脅威的影響力をアジア全体に与えたかが窺えるが】三年余の働きで健全に建て上げられている教会に対する迫害も尋常ではない現実を知っての牧会者の心がここにある。
こうした牧会者パウロの教会への思いを心に留めながら、パウロが21節 詳訳【※聖霊に導かれて決意した】こととは? を見て、互いの信仰の学びとしたい。
① 「マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行くことにした」こと。
エルサレム教会に支援献金を届ける為、集めること。
ここエペソから書いた『第一コリント』16章1~4節 「さて、聖徒たちのための献金については、ガラテヤの諸教会に命じたとおりに、あなたがたも行いなさい。私がそちらに行ってから献金を集めることがないように、あなたがたはそれぞれ、いつも週の初めの日に、収入に応じて、いくらかでも手もとに蓄えておきなさい・・・」とある。
又、後、立ち寄ったマケドニアから書いた『第二コリント』8、9章の内容は、明らかに同様である ⇒ 「8章1節 さて、兄弟たち。私たちは、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。4 聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。5 そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。9章1節 聖徒たちのためのこの奉仕については、これ以上 書く必要はありません。2 私はあなたがたの熱意を知り・・・」と。
このことは、主の香川教会に対する期待でもある。
マケドニアの諸教会は、「8章2節 満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました」と、全き明け渡しの信仰から生まれる神的現象【9章8節】に与っていたが、得ようとして失い、失って得るという原則が【箴言11章24、25節 「気前よく施して、なお富む人があり・・・」】にある。この実践の動機は、財的に潤ってきたならではなく、8章9節《 主の恵み、主の代価による感動 》によってである。
又、遂に最後のコリント訪問三度目の時、そこで書いた『ローマ』15章25~29節 「しかし今は、聖徒たちに奉仕するために、私はエルサレムに行きます。それは、マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために、喜んで援助をすることにしたからです。彼らは喜んでそうすることにしたのですが、聖徒たちに対してそうする義務もあります・・・」という理由によって。
② 「そこ【エルサレム】に行ってから、ローマも見なければならない」こと。
この展望について主からある夜、23章11節 「あなたは・・・ローマでも証しをしなければならない」と語られている。パウロは、『ローマ』15章22~25節、1章10~15節に、どれだけローマ行きを切望していたかが分かる。
パウロは後、この第三次伝道旅行を終えてエルサレム入りするや、間もなく捕らわれの身となって最高法院での裁判に臨むことになり、自由の身をもってではないが、遂に、使徒28章16節 「私たちがローマに入ったとき」、30、31節 「・・・自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて・・・」と、ローマ入りする。
※ パウロの宣教の展開はいつでも、「御霊に示され」ての行動であることに注視しながら、お互いの今に光を!!
先週は、使徒で節目となる五つ目の※20節 「こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった」に学んだ。
この宣教が勢いを増したのには、二つの出来事がある。
先ず、8、9節の《 迫害による宣教の転向 》。ティラノの講堂では 会衆がユダヤ人中心から異邦人に移り、10節に結果を見た。
更に、ユダヤ人の巡回祈禱師が悪霊によって不名誉にも退散させられたことで※17節、主の御名への恐れが生じたこと。これら背景の下、20節 「こうして」に見た結実の鍵とは・・・
ⅰ 9節に見る《 パウロの一貫した積極的信仰の姿勢 》
迫害に動揺せず毅然とした態度で対応するパウロの信仰。J・ウェスレーは 17節に、“ 悪魔の悪意までが福音の進展の為に協力した ” と言っている。
ⅱ 18、19節に見る《 教会の徹底した霊的覚醒 》
詳訳 「今信者になっていた者たちが多くやって来て、・・・偽りに満ちた、邪悪な行為をすっかり告白して全部曝け出した。そして、奇妙な魔術を行っていた多くの者たちが自分の書物を集めて、それを次々と投げて積み上げ、皆の人の見ている前で焼いた。彼らがその価格を総計したところ、銀貨五万枚にも上った」と。
教会生活を信仰者として 礼拝する者ならば、聖霊が強い光で私たちの心の深奥部を暴かれるその都度、その実際的な行為と肉とを放置せずに、即刻光に従うべきである。その時にだけ、天的祝福が及ぶからだ。
※ 公的 私的を問わず、この「こうして・・・」に見る氾濫的祝福は、使徒たちの現実的従順にあると覚えたいと。
今朝は、21節 「これらのことがあった後、パウロは御霊に示され、マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない』と言った」ことを学んでおきたい。
「これらのことがあった後」とは、先週学んだ出来事を直接受けてのことで、予てより念願だったエペソ宣教に強烈な手応えを見届けた後ということになる。
但し、こうした導きは直ちにではなく、22節 「そこで、自分に仕えている者たちのうちの二人、テモテとエラストをマケドニアに遣わし、自分自身はなおしばらくアジアにとどまっていた」とある。
パウロが何故、「自分自身はなおしばらくアジアにとどま」ろうとしたのか? については、エペソ滞在期間中に書いた『第一コリント』16章5~9節 「私はマケドニアを通って、あなたがたのところへ行きます。・・・あなたがたのところにしばらく滞在したいと願っています。しかし、五旬節まではエペソに滞在します。実り多い働きをもたらす門が私のために広く開かれていますが、反対者も大勢いるからです」で分かる。
使徒19章に戻って※25~27節を見ると、エペソ宣教が【如何に脅威的影響力をアジア全体に与えたかが窺えるが】三年余の働きで健全に建て上げられている教会に対する迫害も尋常ではない現実を知っての牧会者の心がここにある。
こうした牧会者パウロの教会への思いを心に留めながら、パウロが21節 詳訳【※聖霊に導かれて決意した】こととは? を見て、互いの信仰の学びとしたい。
① 「マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行くことにした」こと。
エルサレム教会に支援献金を届ける為、集めること。
ここエペソから書いた『第一コリント』16章1~4節 「さて、聖徒たちのための献金については、ガラテヤの諸教会に命じたとおりに、あなたがたも行いなさい。私がそちらに行ってから献金を集めることがないように、あなたがたはそれぞれ、いつも週の初めの日に、収入に応じて、いくらかでも手もとに蓄えておきなさい・・・」とある。
又、後、立ち寄ったマケドニアから書いた『第二コリント』8、9章の内容は、明らかに同様である ⇒ 「8章1節 さて、兄弟たち。私たちは、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。4 聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。5 そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。9章1節 聖徒たちのためのこの奉仕については、これ以上 書く必要はありません。2 私はあなたがたの熱意を知り・・・」と。
このことは、主の香川教会に対する期待でもある。
マケドニアの諸教会は、「8章2節 満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました」と、全き明け渡しの信仰から生まれる神的現象【9章8節】に与っていたが、得ようとして失い、失って得るという原則が【箴言11章24、25節 「気前よく施して、なお富む人があり・・・」】にある。この実践の動機は、財的に潤ってきたならではなく、8章9節《 主の恵み、主の代価による感動 》によってである。
又、遂に最後のコリント訪問三度目の時、そこで書いた『ローマ』15章25~29節 「しかし今は、聖徒たちに奉仕するために、私はエルサレムに行きます。それは、マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために、喜んで援助をすることにしたからです。彼らは喜んでそうすることにしたのですが、聖徒たちに対してそうする義務もあります・・・」という理由によって。
② 「そこ【エルサレム】に行ってから、ローマも見なければならない」こと。
この展望について主からある夜、23章11節 「あなたは・・・ローマでも証しをしなければならない」と語られている。パウロは、『ローマ』15章22~25節、1章10~15節に、どれだけローマ行きを切望していたかが分かる。
パウロは後、この第三次伝道旅行を終えてエルサレム入りするや、間もなく捕らわれの身となって最高法院での裁判に臨むことになり、自由の身をもってではないが、遂に、使徒28章16節 「私たちがローマに入ったとき」、30、31節 「・・・自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて・・・」と、ローマ入りする。
※ パウロの宣教の展開はいつでも、「御霊に示され」ての行動であることに注視しながら、お互いの今に光を!!
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