聖日礼拝『使徒の働き』より 53


使徒の働き18章1~17節

 先週は、ベレア(マケドニア)で迫害を受けたパウロが、17章14節 「シラスとテモテ」を残して単独アテネ入りし、16節 「・・・町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚え/詳訳:深く悲しんだ【肉的激情ではない】」ことに始まった宣教に注目した。
 アテネの「町が偶像でいっぱい」とは、古代ギリシアで祀られているゼウス神殿の宗教行事として行われた古代オリンピックで、勝者が彫像化されて祀られていたからだ。その為、会堂での働きに絞らず、広場に・・・。18節a 「エピクロス派とストア派の哲学者たち」と議論している時のこと、19節 「アレオパゴス」で説教の機会を得、そこで実を得た ⇒ 34節。
 パウロの《 心に抱いた憤りの意味 》を、22節、彼らの信仰心を尊重して取り次いだ説教に見て、Message とした。

ⅰ 「そこで」と、23節、彼らの偶像礼拝は唯、無知の故に行ってきたことによると理解しつつ《 真の礼拝されるべきお方の存在を伝えることを以って正す 》愛。
 しかも、28節 「・・・あなたがたのうちのある詩人たちも・・・言ったとおり」と、彼らに馴染みの深い詩人たちの言葉を引用しつつ迫った。

ⅱ しかし※29、30節と、相手に媚びず、最終的悔い改めを迫る愛。
 31節で《 死と復活の事実をもって 》。

※ コリントがギリシアの政治的首都であったのに対して、アテネは古代世界の文化的首都だったこと(アクロポリスに建つパルテノン神殿等)、壮麗な美しさを持つ都の故に魅了されていたが、その文化的優秀さを背景に持つ偶像礼拝者たちの永遠を思うが故の《 パウロの悲しみ 》を互いのものに、と!!


 今朝は1節※ギリシアのみならず古代世界の文化的首都【哲学・芸術・建築の都】アテネを去って、ギリシアの政治的首都であり、ローマ総督在住のコリントでの働きに注目したい。
 パウロは2節、「ポントス生まれでアキラという名のユダヤ人と、彼の妻プリスキラに出会った」ことから働きにと導かれるが、3節 「自分も同業者であった」ことが互いの距離を接近させたのだろう、「その家に住んで一緒に仕事をした」とある。
 後、コリントを去る際には、18節 「・・・プリスキラとアキラも同行した」とあり、既にキリスト者だったと考えられる。それは、このコリントでの出会い以降、パウロの同労者として名を連ねる人物【ローマ16章3~5a節】であることから明白。
 彼らの出身地「ポントス」と言えば、ペンテコステの巡礼者たちの国々【2章9~12節】の中にあることから(エルサレムを北上すると黒海南岸にポントスがある)、ペンテコステを経験して郷里に帰った巡礼者たちの伝道によって救いに導かれたのだろう。
 パウロはその初め、彼らと一緒に天幕作りすることで生活の糧を得ては、4節 「安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人を説得しようと」努めていたが、5節 「シラスとテモテがマケドニアから下って来ると、パウロはみことばを語ることに専念し、イエスがキリストであることをユダヤ人たちに証しした」。これはパウロが後、この時のことを、第二コリント11章7~9節 「・・・マケドニアから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれた・・・」、ピリピ4章15節 「・・・私がマケドニアを出たときに・・・」とあることで明らか。

 パウロはこの時以来、生活の為に働くことから解放されて「みことばを語ることに専念」出来るようになり、特に、ユダヤ人を対象にしていた働きが、彼らの※6節 「反抗」を受けることになり、 もっぱ「今から私は異邦人のところに行く」と、コリント人への本格的伝道に向けられることになった。
 コリント宣教で特筆すべきことは、ここまでの働きに結実がなかった訳ではない中、9、10節 「ある夜、主は幻によってパウロに言われた。『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。』」との主の顕現による激励である!!

主のこのおことばから、二つのことを:

① パウロは恐れていたこと。

 第一コリント2章3節 「あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました」と告白している。その前後【1、2、4、5節】に見る《 コリントの町を目の前にして、自らの無力さを知らされ、聖霊によらない限り絶望的であるとの思いによる決意 》に反映されている。 ⇒ コリントは当時、人口60万人のうち、三分の一が自由人、残りの三分の二は奴隷だったと推定される。奴隷は人格として認められずに自由人の肉欲の道具でしかなく、コリント人とは《 不品行の代名詞 》となった。コリントにはびこる異教の宗教上の問題、即ち、無数の職業売春婦、欲望の女神に仕える女祭司たちによるいかがわしい宗教儀式。第一コリント6章9~11節にその様子が窺える。
 これまでのパウロは、石打ち・むち打ち・投獄に遭遇しようが恐れおののくどころか、むしろ大胆に向き合い、辱めを喜んでいた。6節では、「衣のちりを振り払って・・・『あなたがたの血は、あなたがたの頭上に降りかかれ・・・』」と言い放ったパウロであるが。

② しかし、こうした極端な異色とも思われる宣教には、より多くの挑戦はつきものである為、主から、「この町には、わたしの民がたくさんいる」との預言的宣言を受けたこと。

 11節 「そこで」と従ったパウロは、主の宣言の真実を※12~16節 「・・・そうして彼らを法廷から追い出した」に見ることになる。訴えを退けられたユダヤ人たちは17節で、「ソステネ【8節 「会堂司つかさクリスポは、家族全員とともに主を信じた」為、後任の会堂司】を捕らえ、法廷の前で打ちたたいた」ことから、彼が信仰に入ったと見ることが出来る。 ⇒ 第一コリント1章1節 「兄弟ソステネ」
 更に、【第三次伝道旅行でエペソからの手紙】第一コリント16章15~17節 「ステファナの一家、・・・ポルトナトとアカイコ」、同1章11節 「クロエ」、【第三次伝道旅行でコリントからの手紙】ローマ16章1節 「フィベ」、同22節 「テルティオ」、23節 「ガイオ」、「エラストと兄弟クアルト」、後、教会として誕生する。

※ 主の宣言は事実となった。怯ひるむ現実の中で、主ご自身こそ現実であると覚えて、主を信頼して主の実を見たい。

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