聖日礼拝『使徒の働き』より 52


使徒の働き17章16~34節

 先週は、ピリピを去って訪ねたテサロニケでの※2節 「三回の安息日」にわたる宣教にも※4節に見る回心者が起こされたことによって、又してもの迫害を受け、更にベレア、アテネへと歩を進めることになったが、テサロニケ宣教が、2、3節に見る《 強い確信 》によったと言っている内容について、後日書き送った『テサロニケ人への手紙 第一』から学んだ。

ⅰ 1章5節a 「私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に」と。
 即ち、パウロの宣教の「聖書に基づいて」語るとは、聖書の知識的理解でではなく《 主の受難と復活が私の救いとなった 》との霊的経験の確かさによっている。
 それは、2章1~12節 「 心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っている/ 神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたい/10 私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことについては、あなたがたが証人・・・神もまた証人です」と。

ⅱ パウロのその確信は※1章6節a 「多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ」させ、2章13節b 「・・・神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れ」させた。
 その結果、1章6~10節 「6b 私たちに、そして主に倣う者/ マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範に/ あらゆる場所に伝わっています」に見た。

※ 宣教の鍵は、「聖書に基づいて」語り《 自らの十字架経験の確かさ 》にあると覚え、この経験の明確さに留意をと。


 今朝は、テサロニケでの働きに実を見て間もなく起こった迫害によって ベレア(マケドニア)に移されることになったパウロが、ベレアにまでも付き纏うユダヤ人の執拗な敵意を逃れ、「シラスとテモテ」を残して単独アテネ入りし、16節a 「アテネで二人を待」つ傍ら 携わったアテネ宣教に注目したい。
 アテネ宣教の取り掛かりは、16節a’ 「町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚え/詳訳:深く悲しんだ【肉的激情ではない】」ことに始まる。
 17節「それでパウロは」と、「会堂ではユダヤ人たちや神を敬う人たちと論じ、広場ではそこに居合わせた人たちと毎日論じ合った」。その感情は、19節 「・・・※【アレオパゴスの評議会】に連れて行」かれて取り次いだ説教で分かるが、アテネの人々が偶像礼拝者であることへの痛みからだった。
 パウロは芸術的とも思われる彫像が偶像であると知った時、耽美主義者ではあり得なかったこと。
 アテネの「町が偶像でいっぱい」とあるその偶像とは、近代オリンピックの前身である古代オリンピックが、近代の世界平和を願うスポーツの祭典とは目的を異にして、古代ギリシアで祀られているゼウス神殿による宗教行事として、体育、芸術の競技だったこととの兼ね合いがある。古代オリンピック競技での勝者は彫像化されて祀られ、町を行き交う人々の数より多かったとされているのは当然では?
 パウロは、訪ねる町々で先ず会堂を見つけ、集まるユダヤ人とユダヤ教の唯一神を畏れる異邦人に福音を説くのが常だったが、ここでは広場で出会った人々への伝道に注目を!!

 アテネでの宣教は、18節a 「エピクロス派とストア派の哲学者たちも何人か、パウロと議論していた」ことを契機に、19節 「アレオパゴス」での説教で実を得ることになった。
 エピクロス派: 一般的に、快楽主義者と言われ肉欲的・物質主義的な人々と見られがちだが、実はそうであるより《 煩わしさから解放された状態を「快」として、人生をその追求にのみ費やすべきと説く人々 》。
 ストア派: 理性の重要性を強調し、理性に従って生きるべきだとする、ストイック【禁欲的で克己的】な生き方の人々。
 パウロはこの人々から、18節b’ 「このおしゃべり【詳訳:寄せ集めの知識を持って】は、何が言いたいのか/彼は他国の神々の宣伝者のようだ」と言われたが、19、20節 「あなたが語っているその新しい教えがどんなものか、知ることができるでしょうか・・・知りたいのです」は、からかい半分のようでもある。《 21節のアテネ人の気質からして 》好奇心もあり、好意的な意味で知りたいようでもある。
 アレオパゴスでの説教の反応は、32節、34節であるが、他の町々で遭遇した迫害はなかった。嘲あざける人々はいたが、「もう一度聞くことにしよう」と言う声もあり、「ある人々は彼につき従い、信仰に入った」。その中で、「アレオパゴスの裁判官」が救われたことは驚きではないだろうか。
 アテネではその後、どのような進展を見ることになるか? 明らかではないが、パウロのアテネ宣教に見られる特色を見て《 心に抱いた憤りの意味 》を学んでみたい。22節 「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております」と、開口一番彼らの信仰心を尊重して説教を始めるパウロに見えるもの。

① 23節 「・・・そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう」と、彼らの偶像礼拝は唯、無知の故に行ってきたと理解を表しつつ《 真の礼拝されるべきお方の存在を伝えることを以って正そうとする 》愛。

 しかもそれを、24~27節で《 創造主である神を前面に指し示すのに 》28節 「・・・あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです」と、彼らに馴染みの深い詩人たちの言葉を引用しつつ迫った。

② しかし、29、30節 「・・・と、考えるべきではありません。・・・今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます」と、相手に媚びず、最終的悔い改めを迫る愛。

 31節 「なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです」と。

※ コリントがギリシアの政治的首都であったのに対して、アテネは古代世界の文化的首都だったことから、【哲学・宗教・芸術・建築】で有名な丘の一つ アクロポリスに建てられていたパルテノン神殿は余りにも有名であるが、一般的には壮麗な美しさを持つ都の故に魅了されるに違いない。しかしそれらの文化の背後に偶像礼拝者たちの永遠を思った時に持った《 パウロの悲しみ 》を自らのものとしたい。

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