使徒の働き16章11~15節
先週は、パウロが、シラスとテモテとを抜擢して同伴する旅を《 6、7節と二度の禁止令の後、ヨーロッパに面するトロアスまで導かれ、9節の幻をもってマケドニアに渡ることになった 》その経緯に学んだ。
ⅰ 宣教は、主がご自身の栄光を現わす聖霊によっていること。
主が後日、19章10節、26節 「アジアのほぼ全域」と、三年程後の第三次伝道旅行で果たしておられることから、この変更は、16章9節のマケドニア人の叫びが優先されるべきだったからだと見るべきだろう。主にはご計画がある。
ⅱ パウロは、宣教の旅を果たすのに、聖霊の導きを敏感に受け取って従える誠実な器だった(試験済み)こと。
導きによって始めた旅に変更が求められた時、その変更に従えたパウロの信仰に、アブラハムの信仰と重ねた。
創世記22章2節で、イサクを全焼のささげ物とするように命じられたお方の、12節 「その子に手を下してはならない」とされる変更に従った信仰に、である。
アブラハムは、ヤコブ2章23節 「彼は神の友と呼ばれた」器《 主から※イザヤ41章8節 「わたしの友アブラハム」と呼ばれ 》主と親しく交わる人と変えられていたからだ。
パウロは実に、その都度の主からのご指示に、何故? を言わずに柔軟に対応した。従って、9、10節 「・・・パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。・・・神が私たちを召しておられるのだと確信した」との《 内的確信に導かれた 》のも納得できる。
※ 何とスムーズな「生ける水の川が流れ出るよう」になる光景だろうか!! 肉による妨げのない聖霊の自由を見たいと。
今朝は、11節 「トロアスから船出」した一行が、「サモトラケ」経由で「ネアポリス」から※12節 「ピリピに行った」時、最初に起こされた回心者との出会いの記事に学びたい。
「私たちはトロアスから船出して」とあることから『使徒』の著者ルカが、このトロアスから合流してピリピに同行したことが分かる。ほぼ10年後、『使徒』巻末にあるローマでの二年間の幽囚生活をパウロと共に過ごす器の一人であることを考える時、「私たち」と第一人称で記録に残されていることは重要ではないか?
ピリピでの最初の実は、14節 「リディアという名の女の人」、「ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった」とある。ティアティラ市と言えば、黙示録1章で紹介されている小アジア地方七つの教会の四番目に出て来るが、地図によると、エペソの北東に位置している、この市の出身。
「神を敬う人」であったとあるのは、ユダヤ教に改宗していたことを意味するが、15節 「彼女とその家族の者たちがバプテスマを受け」、その後直ちに、「『私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください』と懇願し、無理やり私たちにそうさせた」と、主の弟子として持てる物をもって主に仕える生活に導かれた。
10年後、ローマでの幽囚期間中、ピリピ教会に書き送った手紙で《 この時からの様子を回顧して言っている 》のが、ピリピ1章3~6節 「・・・最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。あなたがたの間で良い働きを始められた方は・・・」である。
この「最初の日から今日まで」とは、同4章15、16節 「福音を伝え始めたころ、私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました」とあり、獄中にある今も気遣って、10節 「あなたがたの心が、今ついによみがえって・・・」、14節 「・・・よく私と苦難を分け合ってくれました」と、無二の教会として健全な成長を見ている。
第二コリント8章1~5節 「マケドニアの諸教会に与えられた神の恵み」とある、代表的教会はピリピ教会である。このピリピ教会の誕生は、先週学んだ《 聖霊主導による結実 》であると頷きつつ、一行をトロアスからピリピに送り込まれた聖霊は、その後どのように働かれたのか?
① 13~14b節 「安息日に、私たちは町の門の外に出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話をした。リディアという名の女の人が聞いていた。・・・神を敬う人であった」ここに。
パウロはユダヤ人が礼拝する会堂での宣教を常としていたが、ユダヤ人が少数だったから? 会堂がなく、又、ローマ植民都市で宗教的会合が許されなかった為、「町の門の外に、祈り場があると思われる」場を求めてのことだった。
その土地ならではの事情が何であれ、聖霊に導かれるままの彼らは、信仰を求める器方との懇談的集いの場を得た。
特別な宣教の場を設けた訳でもない。唯「祈り場」を求めて行きついた場所が救霊の場となった。強引さがなく、無理がなく、人間的気負いもなく、焦りのないパウロたちの聖霊に委ねて動く信仰に働かれる《 聖霊の圧倒的な配剤 》である。
② 14節c 「彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた」、ここに。
第二コリント4章4節 詳訳 「何故なら、この世の神が不信者の心を〈真理を認めることが出来ないように〉盲目にし、彼らが神の似姿であるキリストの栄えある福音の輝く光を見ることができないように妨げているから」と〈サタンの仕業を退けて見えるようにされる〉聖霊の働きがここに。
パウロは、エペソ1章17、18節で、「・・・神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。・・・【詳訳:それは御霊が】あなたがたの心の目がはっきり見えるように・・・」と言っているが、パウロにあったものは、唯、集って来る人々に《 この祈りを捧げるだけ 》。
私たちも聖書の前に座ったならば、詩篇119篇18節 「私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。あなたのみおしえのうちにある奇しいことに」と祈るべきである。
※ 使徒たちは《 行くべき所において、為すべき全てにおいても、徹頭徹尾 聖霊が働かれるのを 》見ただけと覚えたい。
先週は、パウロが、シラスとテモテとを抜擢して同伴する旅を《 6、7節と二度の禁止令の後、ヨーロッパに面するトロアスまで導かれ、9節の幻をもってマケドニアに渡ることになった 》その経緯に学んだ。
ⅰ 宣教は、主がご自身の栄光を現わす聖霊によっていること。
主が後日、19章10節、26節 「アジアのほぼ全域」と、三年程後の第三次伝道旅行で果たしておられることから、この変更は、16章9節のマケドニア人の叫びが優先されるべきだったからだと見るべきだろう。主にはご計画がある。
ⅱ パウロは、宣教の旅を果たすのに、聖霊の導きを敏感に受け取って従える誠実な器だった(試験済み)こと。
導きによって始めた旅に変更が求められた時、その変更に従えたパウロの信仰に、アブラハムの信仰と重ねた。
創世記22章2節で、イサクを全焼のささげ物とするように命じられたお方の、12節 「その子に手を下してはならない」とされる変更に従った信仰に、である。
アブラハムは、ヤコブ2章23節 「彼は神の友と呼ばれた」器《 主から※イザヤ41章8節 「わたしの友アブラハム」と呼ばれ 》主と親しく交わる人と変えられていたからだ。
パウロは実に、その都度の主からのご指示に、何故? を言わずに柔軟に対応した。従って、9、10節 「・・・パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。・・・神が私たちを召しておられるのだと確信した」との《 内的確信に導かれた 》のも納得できる。
※ 何とスムーズな「生ける水の川が流れ出るよう」になる光景だろうか!! 肉による妨げのない聖霊の自由を見たいと。
今朝は、11節 「トロアスから船出」した一行が、「サモトラケ」経由で「ネアポリス」から※12節 「ピリピに行った」時、最初に起こされた回心者との出会いの記事に学びたい。
「私たちはトロアスから船出して」とあることから『使徒』の著者ルカが、このトロアスから合流してピリピに同行したことが分かる。ほぼ10年後、『使徒』巻末にあるローマでの二年間の幽囚生活をパウロと共に過ごす器の一人であることを考える時、「私たち」と第一人称で記録に残されていることは重要ではないか?
ピリピでの最初の実は、14節 「リディアという名の女の人」、「ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった」とある。ティアティラ市と言えば、黙示録1章で紹介されている小アジア地方七つの教会の四番目に出て来るが、地図によると、エペソの北東に位置している、この市の出身。
「神を敬う人」であったとあるのは、ユダヤ教に改宗していたことを意味するが、15節 「彼女とその家族の者たちがバプテスマを受け」、その後直ちに、「『私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください』と懇願し、無理やり私たちにそうさせた」と、主の弟子として持てる物をもって主に仕える生活に導かれた。
10年後、ローマでの幽囚期間中、ピリピ教会に書き送った手紙で《 この時からの様子を回顧して言っている 》のが、ピリピ1章3~6節 「・・・最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。あなたがたの間で良い働きを始められた方は・・・」である。
この「最初の日から今日まで」とは、同4章15、16節 「福音を伝え始めたころ、私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました」とあり、獄中にある今も気遣って、10節 「あなたがたの心が、今ついによみがえって・・・」、14節 「・・・よく私と苦難を分け合ってくれました」と、無二の教会として健全な成長を見ている。
第二コリント8章1~5節 「マケドニアの諸教会に与えられた神の恵み」とある、代表的教会はピリピ教会である。このピリピ教会の誕生は、先週学んだ《 聖霊主導による結実 》であると頷きつつ、一行をトロアスからピリピに送り込まれた聖霊は、その後どのように働かれたのか?
① 13~14b節 「安息日に、私たちは町の門の外に出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話をした。リディアという名の女の人が聞いていた。・・・神を敬う人であった」ここに。
パウロはユダヤ人が礼拝する会堂での宣教を常としていたが、ユダヤ人が少数だったから? 会堂がなく、又、ローマ植民都市で宗教的会合が許されなかった為、「町の門の外に、祈り場があると思われる」場を求めてのことだった。
その土地ならではの事情が何であれ、聖霊に導かれるままの彼らは、信仰を求める器方との懇談的集いの場を得た。
特別な宣教の場を設けた訳でもない。唯「祈り場」を求めて行きついた場所が救霊の場となった。強引さがなく、無理がなく、人間的気負いもなく、焦りのないパウロたちの聖霊に委ねて動く信仰に働かれる《 聖霊の圧倒的な配剤 》である。
② 14節c 「彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた」、ここに。
第二コリント4章4節 詳訳 「何故なら、この世の神が不信者の心を〈真理を認めることが出来ないように〉盲目にし、彼らが神の似姿であるキリストの栄えある福音の輝く光を見ることができないように妨げているから」と〈サタンの仕業を退けて見えるようにされる〉聖霊の働きがここに。
パウロは、エペソ1章17、18節で、「・・・神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。・・・【詳訳:それは御霊が】あなたがたの心の目がはっきり見えるように・・・」と言っているが、パウロにあったものは、唯、集って来る人々に《 この祈りを捧げるだけ 》。
私たちも聖書の前に座ったならば、詩篇119篇18節 「私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。あなたのみおしえのうちにある奇しいことに」と祈るべきである。
※ 使徒たちは《 行くべき所において、為すべき全てにおいても、徹頭徹尾 聖霊が働かれるのを 》見ただけと覚えたい。
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