使徒の働き15章30節~16章5節
先週は、教会会議の議長を務めたヤコブに注目し、教会を分断し兼ねない問題の解決に導いた彼の信仰に学んだ。【『ヤコブの手紙』の著者で主の兄弟】ガラテヤ2章9節 「・・・柱として重んじられているヤコブとケファとヨハネ」と、エルサレム教会で人望の厚い器だったことが随所で伝えられている。十二使徒ではなかったヤコブが何故? 復活の主が、第一コリント15章7節 「ヤコブに現れ」たことにあるのでは? 主はご自身の顕現をもって彼に出会い、彼を「復活の証人」とされた。ご在世中の主に敬意を払わなかったヤコブには衝撃的経験であり、パウロの劇的回心にも匹敵するのでは?
問題解決に《 ヤコブの信仰の賢明さの反映 》を見た。
ⅰ 19節 「ですから、私の判断では」が独善ではないことに。
15~18節 「預言者たちのことば」に基づき、28節 「聖霊と私たちは」と聖霊主導による進行と結論。その時にだけ、25節 「全会一致で」の決議がなされる。
ⅱ その判断の根底に流れている聖霊の愛を見ることに。
a. 異邦人キリスト者への配慮:24~27節《 信仰の混乱を招き兼ねなかった事実 》に、最善の人選によって対応し、彼らへの尊敬の意を表そうとする誠実さに。
b. ユダヤ人キリスト者への配慮:29節の忠告は皆、ユダヤ人の最も忌み嫌っていた行為の一つ一つであるが、ここに注意深くあることをもって、ユダヤ人キリスト者への配慮を欠かすことなく指導している姿勢に。
※ 教会はいつでも、聖霊主導である限り 課題は整然と処理され前進し続けると学び、ここに生きるお互いでありたいと。
今朝は、ユダヤ主義キリスト者によって異邦人を動揺させた問題に※15章28節 「聖霊と私たちは」と決着をつけた教会会議が声明文を公布して、使節を【15章30節】アンティオキア教会に派遣し、16章5節 「こうして諸教会は信仰を強められ、人数も日ごとに増えていった」に注目したい。
① 「こうして」とは、何を受けてのこと?
a. 教会会議によって、教会内に生じた非聖書的動きに的確な手が打たれたこと。
この「こうして」は、使徒に6回出て来る 節目の句の4番目のものだが、最初の※6章7節でも、教会内に生じた問題 ⇒ 聖霊を侮ったアナニアとサッピラ事件と寡婦間の苦情などの解決を受けている。
使徒たちは教会の霊的健康状態を注視していた。第一コリント5章1、2、6~8節 「・・・それなのに、あなたがたは思い上がっています。むしろ、悲しんで、そのような行いをしている者を、自分たちの中から取り除くべきではなかったのですか。・・・古いパン種をすっかり取り除きなさい・・・」と。
この「古いパン種」、即ちキリストのみ体なる教会に組み込まれている肢々の《 清められ続けなければならない肉の性質 》を放置する時、教会は本来の霊的生命を損なうが、注意深く取り除かれることによって、宣教に備えられた。
b. キリスト者の霊的経験が厳密に取り扱われたこと。
15章36節 「それから数日後」と、第二次伝道旅行への導きを受けた時、派遣されるべき器が吟味されたこと。
37、38節 「バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた」という事態を迎え、パウロが《 マルコの霊的必要上、未だその時ではないとの洞察をもって人間的妥協を退け、備えられた時を待っての扱いを容赦なく 》執行したこと。両者に、39節 「激しい議論」を余儀なくさせたが、10年後の成熟したマルコを見る時《 その時には一見厳しく見えた扱い 》は正しかったと立証され納得である。
バルナバによる、マルコを連れてキプロス島に渡っての働きについてはここで姿を消すが、パウロの、40節 「シラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した」働きが《 第二次伝道旅行として 》展開するのを見ていくことになる。
シラスの起用については、15章22節 「兄弟たちの間で指導的な人であった」からだ。32節 「多くのことばをもって兄弟たちを励まし、力づけた」。欄外に※34節として【しかし、シラスはそこに留まることに決めた。】とあるから、ちょうど居合わせた、ということなのだろう。他の書簡に出て来る「シルワノ」と同一人物である。後、ピリピ伝道で拷問を受けて投獄された時、パウロと共に、16章25節 「祈りつつ、神を賛美する歌を歌って」おり、37節 「ローマ市民である私たち」と言っていることから、パウロ同様ローマ市民だったと思われる。実に、ヨーロッパ伝道に適任である。
又、第一ペテロ5章12節 「忠実な兄弟として私が信頼しているシルワノ」とも言われた訓練された器。
テモテの起用についても又、同様。16章1~3節 「そこに【リステラ ⇒ 14章19、20節、目撃者の中に居合わせただろう】テモテという弟子がいた。・・・兄弟たちの間で評判の良い人【テスト済み】であった」とあり、やはり、いざという時に間に合って備えられていた器だった。
人選が、人間的動機によらない 試験済みの器 起用に鍵!!
第二テモテ2章20、21節 「聖なるものとされ、主人にとって役に立つもの、あらゆる良い働きに備えられたものとなる」。
② 「こうして」何が生まれることになったのか?
ヨハネ7章37、38節 「その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります」の証しがここに。
a. 「諸教会は信仰を強められ」たこと。
着実な成長、即ち、信仰者になった一人一人が弟子として作り変えられていった様子が窺える ⇒ マタイ28章19、20節 「弟子としなさい」に向けて、「すべてのことを守るように教えなさい」によって、「心の底」における明確な霊的経験を。
b. 「人数も日ごとに増えていった」こと。
一人一人が弟子として形造られることによって、彼らに内住される聖霊《 詳訳:その人の人格の奥底から生きた水の泉が絶え間なく流れ出るようになります 》。
※ 「こうして諸教会は」との事実がそこここにと願いつつ!!
先週は、教会会議の議長を務めたヤコブに注目し、教会を分断し兼ねない問題の解決に導いた彼の信仰に学んだ。【『ヤコブの手紙』の著者で主の兄弟】ガラテヤ2章9節 「・・・柱として重んじられているヤコブとケファとヨハネ」と、エルサレム教会で人望の厚い器だったことが随所で伝えられている。十二使徒ではなかったヤコブが何故? 復活の主が、第一コリント15章7節 「ヤコブに現れ」たことにあるのでは? 主はご自身の顕現をもって彼に出会い、彼を「復活の証人」とされた。ご在世中の主に敬意を払わなかったヤコブには衝撃的経験であり、パウロの劇的回心にも匹敵するのでは?
問題解決に《 ヤコブの信仰の賢明さの反映 》を見た。
ⅰ 19節 「ですから、私の判断では」が独善ではないことに。
15~18節 「預言者たちのことば」に基づき、28節 「聖霊と私たちは」と聖霊主導による進行と結論。その時にだけ、25節 「全会一致で」の決議がなされる。
ⅱ その判断の根底に流れている聖霊の愛を見ることに。
a. 異邦人キリスト者への配慮:24~27節《 信仰の混乱を招き兼ねなかった事実 》に、最善の人選によって対応し、彼らへの尊敬の意を表そうとする誠実さに。
b. ユダヤ人キリスト者への配慮:29節の忠告は皆、ユダヤ人の最も忌み嫌っていた行為の一つ一つであるが、ここに注意深くあることをもって、ユダヤ人キリスト者への配慮を欠かすことなく指導している姿勢に。
※ 教会はいつでも、聖霊主導である限り 課題は整然と処理され前進し続けると学び、ここに生きるお互いでありたいと。
今朝は、ユダヤ主義キリスト者によって異邦人を動揺させた問題に※15章28節 「聖霊と私たちは」と決着をつけた教会会議が声明文を公布して、使節を【15章30節】アンティオキア教会に派遣し、16章5節 「こうして諸教会は信仰を強められ、人数も日ごとに増えていった」に注目したい。
① 「こうして」とは、何を受けてのこと?
a. 教会会議によって、教会内に生じた非聖書的動きに的確な手が打たれたこと。
この「こうして」は、使徒に6回出て来る 節目の句の4番目のものだが、最初の※6章7節でも、教会内に生じた問題 ⇒ 聖霊を侮ったアナニアとサッピラ事件と寡婦間の苦情などの解決を受けている。
使徒たちは教会の霊的健康状態を注視していた。第一コリント5章1、2、6~8節 「・・・それなのに、あなたがたは思い上がっています。むしろ、悲しんで、そのような行いをしている者を、自分たちの中から取り除くべきではなかったのですか。・・・古いパン種をすっかり取り除きなさい・・・」と。
この「古いパン種」、即ちキリストのみ体なる教会に組み込まれている肢々の《 清められ続けなければならない肉の性質 》を放置する時、教会は本来の霊的生命を損なうが、注意深く取り除かれることによって、宣教に備えられた。
b. キリスト者の霊的経験が厳密に取り扱われたこと。
15章36節 「それから数日後」と、第二次伝道旅行への導きを受けた時、派遣されるべき器が吟味されたこと。
37、38節 「バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた」という事態を迎え、パウロが《 マルコの霊的必要上、未だその時ではないとの洞察をもって人間的妥協を退け、備えられた時を待っての扱いを容赦なく 》執行したこと。両者に、39節 「激しい議論」を余儀なくさせたが、10年後の成熟したマルコを見る時《 その時には一見厳しく見えた扱い 》は正しかったと立証され納得である。
バルナバによる、マルコを連れてキプロス島に渡っての働きについてはここで姿を消すが、パウロの、40節 「シラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した」働きが《 第二次伝道旅行として 》展開するのを見ていくことになる。
シラスの起用については、15章22節 「兄弟たちの間で指導的な人であった」からだ。32節 「多くのことばをもって兄弟たちを励まし、力づけた」。欄外に※34節として【しかし、シラスはそこに留まることに決めた。】とあるから、ちょうど居合わせた、ということなのだろう。他の書簡に出て来る「シルワノ」と同一人物である。後、ピリピ伝道で拷問を受けて投獄された時、パウロと共に、16章25節 「祈りつつ、神を賛美する歌を歌って」おり、37節 「ローマ市民である私たち」と言っていることから、パウロ同様ローマ市民だったと思われる。実に、ヨーロッパ伝道に適任である。
又、第一ペテロ5章12節 「忠実な兄弟として私が信頼しているシルワノ」とも言われた訓練された器。
テモテの起用についても又、同様。16章1~3節 「そこに【リステラ ⇒ 14章19、20節、目撃者の中に居合わせただろう】テモテという弟子がいた。・・・兄弟たちの間で評判の良い人【テスト済み】であった」とあり、やはり、いざという時に間に合って備えられていた器だった。
人選が、人間的動機によらない 試験済みの器 起用に鍵!!
第二テモテ2章20、21節 「聖なるものとされ、主人にとって役に立つもの、あらゆる良い働きに備えられたものとなる」。
② 「こうして」何が生まれることになったのか?
ヨハネ7章37、38節 「その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります」の証しがここに。
a. 「諸教会は信仰を強められ」たこと。
着実な成長、即ち、信仰者になった一人一人が弟子として作り変えられていった様子が窺える ⇒ マタイ28章19、20節 「弟子としなさい」に向けて、「すべてのことを守るように教えなさい」によって、「心の底」における明確な霊的経験を。
b. 「人数も日ごとに増えていった」こと。
一人一人が弟子として形造られることによって、彼らに内住される聖霊《 詳訳:その人の人格の奥底から生きた水の泉が絶え間なく流れ出るようになります 》。
※ 「こうして諸教会は」との事実がそこここにと願いつつ!!
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