聖日礼拝『使徒の働き』より 43


使徒の働き14章8~28節

 先週は、パウロとバルナバとが、ピシディアのアンティオキアで福音を退けたユダヤ人に対して※13章51節 「足のちりを払い落として」向かった※14章1節 「イコニオン」でも働きが祝されたことから迫害に遭遇するが、3節 「それでも・・・」という姿勢に出た使徒たちの信仰に学んだ。

ⅰ 「それでも」について、詳訳 「それで」とあることから《 迫害が起ったにも拘らず尚滞在した!! の意と共に、迫害が起ったからこそ滞在したという宣教への積極性を見た。
 使徒たちの関心が、敵対者の悪意? 個人的損失の如何にはなく、いつも聖霊の求めておられる点にしかないからだ。

ⅱ 従って使徒たちのこの姿勢には、3節b 「主は彼らの手によって」という、主の責任を持っての顕現があった。
 《 主が使徒たちに、行わせ、証しされた 》ことによって、迫害するユダヤ人の妬みは益々炎のように燃え上がり、彼らには皮肉だが、神の実在を認めざるを得なくされた。実に自らの惨めな野獣的・肉的な正体を明らかに知らされることになっていくのだから、神を信じると豪語するユダヤ人は、聖霊の放つ光によって、自らの罪人である事実を認めざるを得なくされて謙るのみなのだが 殺害に走る。

ⅲ しかし聖霊はご自身に従う使徒たちに状況を知らせ、6節 「リステラとデルべ・・・」へと 行くべき道に導かれた。
 聖霊は主を、父の時ならぬ時の死に至らぬよう細心の注意を払わせられたに同様、彼らに身を引くようにされた。

※ 迫害をものともせずに※7節 「福音の宣教を続けた」とは、聖霊に導かれる幸いの証である!! と。


 今朝は、使徒たちがイコニオンを後にして出向いた※8節 「リステラ」でも、19節 「(ピシディアの)アンティオキアとイコニオンから」やって来たユダヤ人によって、パウロが石打ちにされるという、又してもの迫害を受けて※20節 「デルべ」に向かうが、遂にこの町を折り返し地点に《 第一次伝道旅行を終えて 》26節 「アンティオキアに帰った」記事に注目したい。何と、cf. 〈ガラテヤ宣教 紀元48~49年〉のプリントを見ると、全行程【直線距離】1941kmだったとある。
 リステラの働きは、8節 「足の不自由な人」に出会ったことに始まった。9、10節 「彼はパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼をじっと見つめ、癒やされるにふさわしい信仰があるのを見て、大声で・・・」と癒やしが行われ、これを見た群衆から※11節 「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになった」と祀まつられそうになった。しかし、これを契機に14~17節で、「天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている」と説教の機会を得た。
 そうしているうちに、19節 「ところが」と、使徒たちの伝道の阻止を謀るユダヤ人の迫害の手は執拗に付き纏って パウロを石打ちにしたが、「パウロが死んだものと思って・・・」身を引いたようだ。しかし、20節 「弟子たちがパウロを囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバとともにデルべに向かった」とは驚くべきことだが、強靭にも、使徒たちは何事もなかったかのように旅を続ける。

 ここで見ておきたい。使徒たちは、初めて着手した異邦人伝道を終えてアンティオキアに帰ることになるが、26節 「二人が今回成し終えた働き」の基調となる姿勢を、21~23節 「二人はこの町【デルべ】で福音を宣べ伝え、多くの人々を弟子としてから、リステラ、イコニオン、(ピシディアの)アンティオキアへと引き返して、弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めて・・・彼らをその信じている主にゆだねた」に見て学びたい。
 ひと言でそれは《 主のビジョンに忠実 》であるということ。主のビジョンとは、マタイ28章19節 「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」にある。
 『主の弟子として生きる R・E・コールマン著』で、“ この聖句の命令の主動詞は《 人々を弟子とする 》であり、「行って、バプテスマを授け、命じていたことを教えなさい」は分詞である ” と言っている。そして、この「弟子とする」という動詞は《 キリストに学ぶ者・従う者を作る 》の意だとも。
 ということは、伝道によって人が救われさえすればそれで良しというのではなく、その生まれた神の子どもたちを、十字架の主に学び、人生の全てを明け渡して十字架の主に悉く従う者とするまで見届ける姿勢である。

その実現の為に:

① 「【デルべ】で・・・多くの人々を弟子としてから、リステラ、イコニオン、(ピシディアの)アンティオキアへと引き返し」たこと。

 戻って行った町々はどこででもパウロを妬んで迫害し、つい先のリステラでは「パウロを石打ちにした」ばかり。何故あえて、引き返したのだろうか?
 迫害下で生まれた※22節 「弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧め〈警告し・勇気付け〉て、『私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない』と語った」とある。
 正に主が言われた、マタイ28章20節 「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい」に従ったのだ。

② 23節 詳訳 「又、祈りと断食をもって教会毎に、彼らの為に長老たちを任命した後、彼らが【喜びに溢れた信頼を持ってメシヤであると】信じる様になった主に委ねた」こと。

 二人の念入りな指導がここにある。いつまでもこれらの町々に留まることの出来ない現実を前に、教会に仕える長老を立てて牧させ、最終的には「主にゆだねた」こと。但し、生まれた教会への思いは、ここで終わりではない。15章36節から始まる《 第二次伝道旅行 》は、「さあ、先に主のことばを宣べ伝えたすべての町で、兄弟たちがどうしているか、また行って見て来ようではありませんか」と、18章23節から始まる《 第三次伝道旅行 》でも、「ガラテヤの地方やフリュギアを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけ」、更には、ガラテヤ4章19、20節 「再び・・・産みの苦しみを」と。

※ 宣教は、神に立ち返った人々を弟子とすることであるとの目的を明確にし、教会建設の姿勢として心得て実践したい。

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