聖日礼拝『使徒の働き』より 40


使徒の働き13章13~43節

 先週は、キプロス島での働き後、「一行から離れて、エルサレムに帰っ」たマルコを巡る出来事に注目した。
 マルコ離脱後、伝道を続けた二人はアンティオキア教会に戻るが、一年後 第二次伝道旅行に出る。その時 再度マルコ同伴を希望するバルナバと、それを問題視したパウロとの間に※15章37~39節 「激しい議論」が起こって、39節 「互いに別行動をとることに」なるが、このことはマルコには最善だったと。
 それは10年後、ローマでの最初の幽囚生活を送るパウロの傍に留まり、更に数年後、二度目の幽囚の身に在るパウロから、テモテにマルコを伴って来るようにと言われ、ペテロからは「私の子」と呼ばれて共に小アジア伝道に携わった。
 あのマルコを変えた鍵は《 二人の賢明さにある 》と学んだ。

ⅰ パウロの、38節《 マルコを連れて行かないとした 》判断の賢明さ。
 離脱したマルコの過去を払拭できるような霊的手応えがあったならば同行させていただろう。伝道の現場では瞬時、求められる自己の死をもって仕えることのできる《 徹底した聖霊経験 》があるか? その確かさを危惧してのこと。

ⅱ バルナバには、パウロの指導に従う立場に身を置いて、39節《 マルコを引き受けた 》判断の賢明さ。
 二人が激しく議論する程の意見交換が出来たことは、パウロが独裁的ではないとの証であり、バルナバはパウロを聖霊の導きを的確に判断できる指導者と認めることが出来た。

※ 10年後のマルコ変貌は《 二人のこの激しい議論 》に端を発していると覚え、お互い聖霊の主導権の下、主の御心を求めて検討し合う主への愛の有りや無しやを問われたのでは?


 今朝は、マルコの離脱後、パウロとバルナバが訪ねた、14節 「ピシディアのアンティオキア」での宣教に注目を。彼ら二人がこの町を訪ねるや、「安息日に会堂に入って席に着いた」時、15節c 「兄弟たち。あなたがたに、この人たちのために何か奨励のことばがあれば、お話しください」と要請されるが、パウロが躊躇せずに※16節 「立ち上がり、手振りで静かにさせてから言った。『イスラエル人の皆さん、ならびに神を恐れる方々、聞いてください・・・』」と、説教【17~41節】。
 その結果は、42~43節 「二人が会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちがパウロとバルナバについて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みにとどまるように説得した」と、好反応。
 ここで、知っておきたい。パウロが、16節c 「イスラエル人の皆さん、ならびに神を恐れる方々」、26節 「アブラハムの子孫である兄弟たち、ならびに、あなたがたのうちの神を恐れる方々」と呼び掛け、又、説教後、43節 「多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちが」と出て来る人々の背景について、である。
  cf. プリント【福音が広がる】〈ペンテコステの巡礼者たち ─ 出身国〉五旬節の箇所で言及されている人々の国を見ると、東はペルシア湾、西はローマと広範囲に及ぶことが分かる。
 ペンテコステの民族(15の異民族)ユダヤの信仰への異邦人改宗者/神を恐れる者(ユダヤ人の神を礼拝しつつもユダヤ教の儀式には服さない異邦人)/離散のユダヤ人/ユダヤ在住のユダヤ人。

 離散のユダヤ人については、最初の段階 B.C.722のアッシリア人による捕囚時/二段階 B.C.586のバビロニア捕囚 ・・・70年後に一部が、キュロス王指揮下で故郷に帰ってきたものの、その後ペルシア帝国の台頭に伴って、ユダヤ人はこの帝国にある127の州(インドからエチオピア)に住んでいた/ B.C.3世紀エジプトによるパレスチナ支配期にユダヤ人はアレクサンドリア市に移住/ B.C.2世紀シリアのパレスチナ占領による北方移住(小アジア)/ B.C.1世紀ローマ人による征服によって、後に大々的な離散が起こり、150のユダヤ人入植地が出来た。これらのユダヤ人の共同社会の殆んどのところには会堂があり、エルサレムの神殿に献金を納めていた。こうして学ぶならば、4、5節で、パウロが先ずキプロスの「サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた」という理由が理解出来できる。パウロによる《 第一回伝道旅行 》から始まる宣教は、離散しているユダヤ人たちが立てている会堂を利用した。
 ところが、45節 「この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え」たことで、46節 「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし・・・見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます」という流れに徐々に転じ、今もって《 異邦人が救われる時代 》にある。
 ユダヤ人は、ルカ19章41~44節の預言【A.D.70、ローマ軍によるエルサレム崩壊】によって国を失い、1948年に再建するが、異邦人の数満ちて迎える再臨時に及ぶユダヤ人の救い。
 以上踏まえつつ、ピシディアのアンティオキアに於ける《 聖霊に満たされた説教者パウロ 》に結実をもたらした鍵を学んで message を。

① 15、16節 「兄弟たち。あなたがたに、この人たちのために何か奨励のことばがあれば、お話しください」を 受けて、直ちに応じたパウロ。

 彼らには、本土からの来客と見受けた二人に一目置いていたのだろう。要請した「会堂司たち」には謙虚な姿勢が窺える。それは、ユダヤ人は、離散の地に在っても、救い主を待望する姿勢を崩さずに持ち続ける民族だからだ。パウロはこの要請をどんなに期待していたことか!! 伝えたいとの衝動に駆られるところだが、冷静に聖霊の促しを待ち望む霊性がここにはある ⇒ 第二テモテ1章7節。

② 16、26節 「イスラエル人の皆さん、ならびに神を恐れる方々、・・・アブラハムの子孫である兄弟たち」と 会衆を知るパウロ。

 と同時に、必ずや直面する不信仰への警告を【40、41節】。

③ 機会を得たならば、無意味な前置きなしに、 内に委ねられている語るべき使信を淡々と語ったパウロ。

 冒頭、アブラハムが選ばれたことに始まり、キリスト誕生まで二千年の歴史を端的に語りながら、会衆をどこに導くべきかの明確さ。26節 詳訳 「この救い〈イエス・キリストを通して得られる救い〉にことばが送られたのです」、32節 「私たちも・・・神が父祖たちに約束された福音を宣べ伝えています」、38節 「・・・このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられている」、39節 「この方によって・・・」と。

※ 聖霊に満たされることによる働きと覚えて励ましを!!

この記事へのコメント