使徒の働き13章13節、15章36~41
先週は、アンティオキア教会から海外宣教にと二人が、4節 「聖霊によって送り出され」たとは、聖霊による青写真をもっての派遣であったということに注目した。聖霊の青写真は、ⅠⅡⅢ と、遂にはパウロに、23章11節 「ローマでも証しを・・・」との召しを与え、ローマに福音を囚人となって届ける旅である ⇒ 唯、ここで終わってはいない。
その第一歩を、4~6節と先ず、キプロス島から始められた。
ⅰ キプロス島では既に、11章19、20節の働きがあり、バルナバがキプロス生まれ、13章5節の彼の従兄弟ヨハネも加わり、彼らの親族、友人、関係者への働き掛けを起用された。
ⅱ それを契機に、サラミスとパポスとは、キプロス島の東西に位置する主要都市で、特に、ローマの行政機関が設けられていたパポス在住の、7節 「地方総督セルギウス・パウルス【ローマの支配階級の人々に福音をもたらす為】」に出会わせた。
魔術師を抱えていた総督が、7節 「・・・神のことばを聞きたい」としたことで、その魔術師は自らの立場を危惧し、8節 「総督を信仰から遠ざけようとした」時のこと、9節 「すると」とサウロが、異教的魔術に有無を言わせなかったことをもって、福音の力が明らかにされる機会を得た。
12節、「総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った」ことは、ローマ帝国の福音制覇に向けての大きな一歩となったことは、間違いのないこと。
※ 聖霊が主導権をもって働かれるお方であるとの確固たる信仰に立ち続け、唯、聖霊の満たしのみに留意をと。
今朝は、キプロスでの働きに聖霊の手応えを経験したパウロとバルナバが、13節で、「パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡っ」てからのこと、「一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった」マルコ【ギリシア名】と呼ばれるヨハネ【ヘブル名 ⇒ 主は恵み深い】に焦点を当ててみたい。
マルコの名で話を進めたい。聖書に初めて彼を見るのは、最後の晩餐後の出来事としては、マルコ14章51、52節にしか出て来ない「ある青年」という言い方でである。
どのような経緯で彼がここに出て来るのか? 詳細は分からないが、最後の晩餐後、ゲツセマネで捕縛の身となられた主が気になってついて行った【ユダと群衆たちの中に紛れ込んで、「からだに亜麻布を一枚まとっただけで」ゲツセマネに居合わせていたと考えられる】が、「人々が彼を捕らえようとした」為、「亜麻布【夜具】を脱ぎ捨てて、裸で逃げた」とある。
次は、使徒12章12節 「マルコ・・・の母マリアの家」とあり、ペテロが投獄された時、祈りの場として用いられているのを見ると、家族挙げて主に仕えていたのだろう。更に、12章25節 「エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た」とあり、彼が献身を志していたからなのでは?
そして、13章、いよいよアンティオキア教会から、4節 「二人は聖霊によって送り出され」て始まった《 第一次伝道旅行 》に、5節b 「ヨハネも助手として」同行することに。ところが、13節 「一行から離れて、エルサレム」へ。
マルコがペルゲから一行と離れて後、旅を続けた二人は、14章26~28節 「アンティオキアに帰」って、第一次伝道旅行を終えるが、続く、第二次伝道旅行に出ようとした時のこと、15章37~39節 「バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった」とある。
マルコは扱いを受けることになるが、その後の彼は?
10年後、28章30節のローマでの最初の幽囚生活から、コロサイ4章10節 「私とともに囚人・・・マルコが、あなたがたによろしくと・・・」、ピレモン24節 「私の同労者たち、マルコ」、数年後 パウロの晩年、二度目の幽囚生活から、第二テモテ4章11節 「マルコを伴って、一緒に・・・」と言われている。
更には、第一ペテロ5章13節 「私の子マルコ」とあり、ペテロと共に、同1章1節の地方【小アジア】を伝道した。
あのマルコが変えられた。ペテロの通訳者として同行しながら福音記者として準備された器、使徒たちの同労者として信頼される器となった。
この事実に、パウロとバルナバとの※15章39節 「激しい議論」が用いられたとしても異論はないだろう。その為、38節 「しかし」と、パウロがバルナバの※37節 「マルコ・・・を一緒に連れて行くつもり」を拒否した場面に臨んでみたい。
① パウロの、「一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよい」とした判断の賢明さ。
第一次の働きをマルコがどのような理由によって離脱したのか? あれから一年? 経った今、36節 「パウロはバルナバに言った。『さあ・・・また行って見て来ようでは・・・』」とした時、パウロの目には、あの時「同行しなかった者」のままのマルコにしか映らなかったのだろう。マルコの過去を払拭できるような霊的手応えがあったならば同行させていたのでは? 伝道の現場は、キプロス島で起こった魔術師騒ぎどころではない。マルコが離れて以降の※14章8節 「リステラ」では、19節 「パウロを石打ちにし・・・パウロが死んだものと思」われたことも。
初め、二人が助手として連れ出したのだから、パウロも又期待してのこと。しかし、現場での訓練によってとの期待は無理との賢明な判断なのだ。ここに、13章2節《 聖霊による聖別 》の重要性、聖霊による個人的召命の必要性を見る。
② バルナバは、再度現場での訓練を求めたが、パウロの指導に従う立場に身を置き、39節 「マルコを連れて、船でキプロスに渡って行」くとした判断の賢明さ。
二人が激しく議論する程の意見交換が出来たことは、パウロが独裁者ではないとの証。バルナバは、パウロを聖霊の導きを的確に判断できる指導者と認めて従った ⇒ ガラテヤ2章11~13節。別行動後の二人の行動の記録はないが、10年後、マルコの変貌は明らかにこの間でのこと。
※ 聖霊の主導権の下、熱く語る主への愛をもっての服従を。
先週は、アンティオキア教会から海外宣教にと二人が、4節 「聖霊によって送り出され」たとは、聖霊による青写真をもっての派遣であったということに注目した。聖霊の青写真は、ⅠⅡⅢ と、遂にはパウロに、23章11節 「ローマでも証しを・・・」との召しを与え、ローマに福音を囚人となって届ける旅である ⇒ 唯、ここで終わってはいない。
その第一歩を、4~6節と先ず、キプロス島から始められた。
ⅰ キプロス島では既に、11章19、20節の働きがあり、バルナバがキプロス生まれ、13章5節の彼の従兄弟ヨハネも加わり、彼らの親族、友人、関係者への働き掛けを起用された。
ⅱ それを契機に、サラミスとパポスとは、キプロス島の東西に位置する主要都市で、特に、ローマの行政機関が設けられていたパポス在住の、7節 「地方総督セルギウス・パウルス【ローマの支配階級の人々に福音をもたらす為】」に出会わせた。
魔術師を抱えていた総督が、7節 「・・・神のことばを聞きたい」としたことで、その魔術師は自らの立場を危惧し、8節 「総督を信仰から遠ざけようとした」時のこと、9節 「すると」とサウロが、異教的魔術に有無を言わせなかったことをもって、福音の力が明らかにされる機会を得た。
12節、「総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った」ことは、ローマ帝国の福音制覇に向けての大きな一歩となったことは、間違いのないこと。
※ 聖霊が主導権をもって働かれるお方であるとの確固たる信仰に立ち続け、唯、聖霊の満たしのみに留意をと。
今朝は、キプロスでの働きに聖霊の手応えを経験したパウロとバルナバが、13節で、「パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡っ」てからのこと、「一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった」マルコ【ギリシア名】と呼ばれるヨハネ【ヘブル名 ⇒ 主は恵み深い】に焦点を当ててみたい。
マルコの名で話を進めたい。聖書に初めて彼を見るのは、最後の晩餐後の出来事としては、マルコ14章51、52節にしか出て来ない「ある青年」という言い方でである。
どのような経緯で彼がここに出て来るのか? 詳細は分からないが、最後の晩餐後、ゲツセマネで捕縛の身となられた主が気になってついて行った【ユダと群衆たちの中に紛れ込んで、「からだに亜麻布を一枚まとっただけで」ゲツセマネに居合わせていたと考えられる】が、「人々が彼を捕らえようとした」為、「亜麻布【夜具】を脱ぎ捨てて、裸で逃げた」とある。
次は、使徒12章12節 「マルコ・・・の母マリアの家」とあり、ペテロが投獄された時、祈りの場として用いられているのを見ると、家族挙げて主に仕えていたのだろう。更に、12章25節 「エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た」とあり、彼が献身を志していたからなのでは?
そして、13章、いよいよアンティオキア教会から、4節 「二人は聖霊によって送り出され」て始まった《 第一次伝道旅行 》に、5節b 「ヨハネも助手として」同行することに。ところが、13節 「一行から離れて、エルサレム」へ。
マルコがペルゲから一行と離れて後、旅を続けた二人は、14章26~28節 「アンティオキアに帰」って、第一次伝道旅行を終えるが、続く、第二次伝道旅行に出ようとした時のこと、15章37~39節 「バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった」とある。
マルコは扱いを受けることになるが、その後の彼は?
10年後、28章30節のローマでの最初の幽囚生活から、コロサイ4章10節 「私とともに囚人・・・マルコが、あなたがたによろしくと・・・」、ピレモン24節 「私の同労者たち、マルコ」、数年後 パウロの晩年、二度目の幽囚生活から、第二テモテ4章11節 「マルコを伴って、一緒に・・・」と言われている。
更には、第一ペテロ5章13節 「私の子マルコ」とあり、ペテロと共に、同1章1節の地方【小アジア】を伝道した。
あのマルコが変えられた。ペテロの通訳者として同行しながら福音記者として準備された器、使徒たちの同労者として信頼される器となった。
この事実に、パウロとバルナバとの※15章39節 「激しい議論」が用いられたとしても異論はないだろう。その為、38節 「しかし」と、パウロがバルナバの※37節 「マルコ・・・を一緒に連れて行くつもり」を拒否した場面に臨んでみたい。
① パウロの、「一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよい」とした判断の賢明さ。
第一次の働きをマルコがどのような理由によって離脱したのか? あれから一年? 経った今、36節 「パウロはバルナバに言った。『さあ・・・また行って見て来ようでは・・・』」とした時、パウロの目には、あの時「同行しなかった者」のままのマルコにしか映らなかったのだろう。マルコの過去を払拭できるような霊的手応えがあったならば同行させていたのでは? 伝道の現場は、キプロス島で起こった魔術師騒ぎどころではない。マルコが離れて以降の※14章8節 「リステラ」では、19節 「パウロを石打ちにし・・・パウロが死んだものと思」われたことも。
初め、二人が助手として連れ出したのだから、パウロも又期待してのこと。しかし、現場での訓練によってとの期待は無理との賢明な判断なのだ。ここに、13章2節《 聖霊による聖別 》の重要性、聖霊による個人的召命の必要性を見る。
② バルナバは、再度現場での訓練を求めたが、パウロの指導に従う立場に身を置き、39節 「マルコを連れて、船でキプロスに渡って行」くとした判断の賢明さ。
二人が激しく議論する程の意見交換が出来たことは、パウロが独裁者ではないとの証。バルナバは、パウロを聖霊の導きを的確に判断できる指導者と認めて従った ⇒ ガラテヤ2章11~13節。別行動後の二人の行動の記録はないが、10年後、マルコの変貌は明らかにこの間でのこと。
※ 聖霊の主導権の下、熱く語る主への愛をもっての服従を。
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