聖日礼拝『使徒の働き』より 38


使徒の働き13章4~12節

 前回は、ユダヤ人からなるエルサレム教会から宣教拠点の移行を見た異邦人のアンティオキア教会が《 三回に亘る伝道旅行の 》出発点となった、その初めを、2節・聖霊の指示を受けた時に即刻、3節・聖霊に従順だった点に学んだ。
 注目したのは聖霊が語られたのが、2節 「彼らが主を礼拝し、断食している」時だった点、特にこの彼らが既に《 魂に抱いておられる聖霊の重荷を自らの重荷とした上でご指示を待ち望むという 》信仰があってのことだという点だった。
 2節 詳訳 「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロを、私が彼らを召して【させようとして(彼らに授けておいた)】いるその仕事に当たらせるよう、わたしの為に聖別しなさい』と言われた」とあるから。
 アモス書3章7、8節 「まことに、神である主は、ご自分の計画を、そのしもべである預言者たちに示さずには、何事もなさらない」、創世記18章17~19節 「主はこう考えられた。『わたしは、自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか・・・』」と、主は、指示があれば即従おうと備えている者へ臨まれるお方だからだ。
 アンティオキア教会の指導者がそうであれば、その指導をしっかり受けていた教会【11章26節】も又、指導者を信頼し、全面的に支持して、宣教の働きに賛同したのは当然【3節】で、教会が教会建設の為に抜きん出て働いて来た「バルナバとサウロ」を聖霊の指示に従って宣教に捧げたのだ。

※ 聖霊の満たしによって聖霊のみ思いに与り、いつでも命令には即、従える信仰で聖前に出ていた教会に倣いたい、と。


 今朝は、遂に聖霊に従った教会から見送られた二人が伝道旅行の第一歩を踏み出す際、「聖霊によって送り出され」たと言及されている点に注目して Message を。
 この4節 「詳訳:聖霊によって遣わされて」という言葉について、『ウエスレアン聖書注解』には、アダム・クラークの意味深い観察と称して紹介されている解説がある。それは “ 聖霊の動力、権威、絶えざる導きによって。聖霊の動力なしには行く資格がない。聖霊の権威なしには彼らは行く権威がない、聖霊の導きなしにはどこへ行って良いのか分からない ” というもの。
 確かにお互いの今日の信仰生活において理解しているところであり、1章4節 「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」と復活の主が、弟子たちに命じられていたところだった。
 この宣教着手に新しい局面を迎えて「聖霊によって送り出され」たことについて、主がアブラハムを信仰の父祖として召された出来事同様、聖霊ご自身が青写真をもっておられたという点に目を留めたい。主が、創世記12章1節 「わたしが示す地へ行きなさい」と語られた時、アブラハム自身、へブル11章8節 「・・・どこに行くのかを知らずに出て行」ったとある、唯信仰によって従えば良いだけだったと。
 聖霊は、バルナバとサウロを伝道旅行に召された時、既に青写真をもって派遣された。アブラハムが「信仰によって」出て行ったのであれば、バルナバとサウロは、9節 「聖霊に満たされ」て出て行きさえすれば良いだけのことだった。

 聖霊の青写真は、ⅠⅡⅢ と、遂には、23章11節 「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』と言われた」という、パウロへの啓示で明らかにされて、囚人としてローマへの最後の旅で世界帝国を福音で満たすことである。
 この第一歩に注目したい・・・
 13章4~6節 「・・・キプロスに向けて船出し、サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝え・・・島全体を巡回してパポスまで行った」と、聖霊は先ず、キプロス島に送り込まれた。

① キプロス島は既に、11章19、20節によると、そもそもアンティオキア教会の誕生に携わった人々による働きがあった場所であり、その係わりを用いさせた。

 更に使者のバルナバは、4章36節 「キプロス生まれ」で、13章5節 「助手として連れて」行かれたヨハネ【12章25節 「マルコと呼ばれる」】は、コロサイ4章10節 「バルナバのいとこ」ということから、彼らの親族、友人、関係者への働き掛けを起用された。

② それを契機に、サラミスとパポスとは、キプロス島の東西に位置する主要都市で、特に、ローマの行政機関が設けられていたパポス在住の、7節 「地方総督セルギウス・パウルス」という人物に出会わせた。

 総督は、7節 「この男【6節・バルイエス】は・・・総督・・・のもとにいた【詳訳:親しく交際していた】(宮廷に居場所を設けていた)」とあり、魔術師と親しくしていたことから、霊的関心を抱いていた人と考えられる。
 その魔術師について、サウロが10節で、「ああ、あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか」と糾弾している。その内容から、彼が如何に、純朴な求道者総督をたぶらかして私利私欲を求めていたかが見える。
 ところが、7節b 「この総督は賢明な人で、バルナバとサウロを招いて神のことばを聞きたいと願った」とは!!
 ローマの支配階級が福音に好意的関心を寄せたことを意味するが、異教的魔術に有無を言わせない状況が生まれたことは素晴らしい。自分の地位の危うさに恐れをなした魔術師が、8節 「総督を信仰から遠ざけようとした」が、9節 「すると」とサウロが主導権を取るよう導かれて立ち上がった。この時以来、サウロ【ユダヤ名】はパウロ【ローマ世界に通じる名】をもってバルナバとの位置関係が変わる。
 11節を受けて、12節 「総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った」とは、〈ローマ帝国を福音制覇〉に向けての大きな一歩となり、ローマ帝国内におけるキリスト教会の基盤を強固にさせていく働きである。

※ 聖霊が主導権をもって働かれるお方であるとの確固たる信仰に立ち続け、唯聖霊の満たしのみに留意を!!

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