使徒の働き12章1~19節
先週は、11章19節、ステパノの殉教後 迫害で散らされた人々によって、今後、異邦人宣教の拠点となる世界第三番目の富裕都市アンティオキアに誕生した教会に、22節、エルサレム教会から派遣されたバルナバが、23節 「そこに到着し、神の恵みを見て喜んだ」とあることから、アンティオキア教会の今後を予知していると見てその様子に注目した。
ⅰ 指導者【バルナバとサウロ】に恵まれた教会だったこと。
バルナバは、4章36、37節、教会の働きに財をもって仕えて慰めの子と呼ばれ、9章26、27節、回心した迫害者サウロを教会に迎えるように指導した器。更にここ※11章では、アンティオキア教会の必要【24節b】には、サウロこそ適任と認めて、25、26a節 「サウロを捜しにタルソに行き・・・アンティオキアに連れて来た」器。その鍵は、24節 詳訳 「彼は聖霊に満たされ、又信仰に満たされた善い人(彼自身善良【良心的】であると同時に、他の人の善と益の為に)だったことにあると。26節bは《 強力な弟子訓練が行われた様子 》。
ⅱ 26節c【自称ではなく、アンティオキアの人々によって】「キリスト者」と呼ばれるようになった教会。
キリストを救い主として礼拝し、献身し、キリストに従う人々だと認められることになった。ヨハネ13章35節。
ⅲ 29節【母教会であるエルサレム教会を】支援する教会。
何と言ってもエルサレム教会は、ユダヤとサマリアの全土、更にはアンティオキアにおける誕生と成長の母体であり、霊的祝福の発信地である。その教会を支える教会。
※ 健全な成長を見たアンティオキア教会に学びたい!! と。
今朝は、12章1節 「そのころ」と、11章29、30節で物資をエルサレム教会に届ける為「バルナバとサウロ」がアンティオキアを出発したことと、12章25節 「エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た」こととの間に起こった出来事に学ぶ。
その出来事とは、1節 「ヘロデ王」によるヤコブ殺害と、3節 「それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかか」る。が、ヘロデが、23節 「息絶えた」こと。
このヘロデ王とは、神の贖罪計画を阻止しようと、真っ向から挑戦する血筋である。幼子イエスの殺害を企てたヘロデ大王の孫、バプテスマのヨハネを殺害したヘロデ・アンティパスの甥。
彼は、1節 「教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし」とあるが、キリスト教に対して個人的な反感を抱いていた訳ではない。唯単に、自らに委ねられた地域【地図11:ヘロデ大王に属していた全領土】の支配者としての地位の安全と保持の為【3節 「ユダヤ人に喜ばれたのを見て」がそれである】、ユダヤ人のご機嫌を取ろうとの振る舞いによるもの。殊に、キリスト教迫害に熱心なパリサイ派と積極的な関係を持つことが得策だとしたからだ。
従って使徒ヤコブに次いで、4節 「ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいた」とは裁判にかけ、処刑するつもりだった。ところが何と、彼にとっては番狂わせの結果《 ペテロは脱出し、ヘロデは、23節 「虫に食われて、息絶えた」 》なのだ。こうした出来事で最も注目すべきことは、24節 「神のことばはますます盛んになり、広まっていった」という驚くべき結果である ⇒ 第二テモテ2章9節 「・・・苦しみを受け・・・つながれています。しかし、神のことばはつながれてい」ないから。
この危機的状況下で教会のしたことは? 5節 詳訳 「こうしてペテロは牢獄に閉じ込められていた。一方、教会によって彼のために熱烈な祈りが、たゆみなく神に捧げられていた」ことであり、全面的に神を信頼する姿勢のみだった。〈彼のために〉とは、ペテロのことだが、ヤコブの殺害は祈りの猶予もなく即刻、手が下されたからなのではないか? ヨハネの兄弟で、主から、マタイ20章23節 「あながたはわたしの杯を飲むことになります」と言われた器。
実際ペテロの為の祈りは、教会の期待を遥かに超えたようだ。ペテロが救出されるや祈りの家に行った時の教会の反応【12~17節:特に、ペテロが来たと言った召使いの言葉を聞き入れず、15節 「あなたは気が変になっている」と言い、16節 「ペテロは門をたたき続け」なければならなかったこと】で分かる。その祈りは用いられた。
① 6節 「ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた」に見る《 ペテロへの干渉 》に。
兵士と鎖で拘束されているペテロに眠りが与えられていたとは!! 極度の緊張感に襲われ眠れないのでは?
② 7~10節に見る《 御使いの派遣による救出 》に。
この奇跡的救出は、人間的には絶体絶命時に展開した。御使いに起こされたペテロは、御使いの指示を受けるがままに従ってはいるが、9節 「彼には御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ているのだと思って」とある。しかし次から次へと難関を突破して遂に、牢獄から完全に脱出するや、10節 「すると、すぐに御使いは・・・離れた」が、11節 「ペテロは我に返って言った。『今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、・・・救い出してくださったのだ。』」 必要としていた時間仕えられた。
へブル1章14節 「御使いはみな、奉仕する霊で」とある。
③ 敵対する者に対する《 主の使いの派遣による審判 》に。
教会の祈りは、ペテロの為の祈りであって、迫害する者への審判を求める祈りではない。むしろ、ローマ12章14節 「あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません」、同19節 「神の怒りにゆだねなさい」とあるから。何と、厳粛なことが!! 23節 「すると、即座に主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである」と、神への不遜に対する裁きが執行された。
※ 宣教は、使徒として初めての殉教者を出そうが、迫害の手が伸ばされようが、前進し続けるのに障害となるものとて一つもない。宣教の主は神ご自身と覚え、唯信頼して従いたい。
先週は、11章19節、ステパノの殉教後 迫害で散らされた人々によって、今後、異邦人宣教の拠点となる世界第三番目の富裕都市アンティオキアに誕生した教会に、22節、エルサレム教会から派遣されたバルナバが、23節 「そこに到着し、神の恵みを見て喜んだ」とあることから、アンティオキア教会の今後を予知していると見てその様子に注目した。
ⅰ 指導者【バルナバとサウロ】に恵まれた教会だったこと。
バルナバは、4章36、37節、教会の働きに財をもって仕えて慰めの子と呼ばれ、9章26、27節、回心した迫害者サウロを教会に迎えるように指導した器。更にここ※11章では、アンティオキア教会の必要【24節b】には、サウロこそ適任と認めて、25、26a節 「サウロを捜しにタルソに行き・・・アンティオキアに連れて来た」器。その鍵は、24節 詳訳 「彼は聖霊に満たされ、又信仰に満たされた善い人(彼自身善良【良心的】であると同時に、他の人の善と益の為に)だったことにあると。26節bは《 強力な弟子訓練が行われた様子 》。
ⅱ 26節c【自称ではなく、アンティオキアの人々によって】「キリスト者」と呼ばれるようになった教会。
キリストを救い主として礼拝し、献身し、キリストに従う人々だと認められることになった。ヨハネ13章35節。
ⅲ 29節【母教会であるエルサレム教会を】支援する教会。
何と言ってもエルサレム教会は、ユダヤとサマリアの全土、更にはアンティオキアにおける誕生と成長の母体であり、霊的祝福の発信地である。その教会を支える教会。
※ 健全な成長を見たアンティオキア教会に学びたい!! と。
今朝は、12章1節 「そのころ」と、11章29、30節で物資をエルサレム教会に届ける為「バルナバとサウロ」がアンティオキアを出発したことと、12章25節 「エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た」こととの間に起こった出来事に学ぶ。
その出来事とは、1節 「ヘロデ王」によるヤコブ殺害と、3節 「それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかか」る。が、ヘロデが、23節 「息絶えた」こと。
このヘロデ王とは、神の贖罪計画を阻止しようと、真っ向から挑戦する血筋である。幼子イエスの殺害を企てたヘロデ大王の孫、バプテスマのヨハネを殺害したヘロデ・アンティパスの甥。
彼は、1節 「教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし」とあるが、キリスト教に対して個人的な反感を抱いていた訳ではない。唯単に、自らに委ねられた地域【地図11:ヘロデ大王に属していた全領土】の支配者としての地位の安全と保持の為【3節 「ユダヤ人に喜ばれたのを見て」がそれである】、ユダヤ人のご機嫌を取ろうとの振る舞いによるもの。殊に、キリスト教迫害に熱心なパリサイ派と積極的な関係を持つことが得策だとしたからだ。
従って使徒ヤコブに次いで、4節 「ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいた」とは裁判にかけ、処刑するつもりだった。ところが何と、彼にとっては番狂わせの結果《 ペテロは脱出し、ヘロデは、23節 「虫に食われて、息絶えた」 》なのだ。こうした出来事で最も注目すべきことは、24節 「神のことばはますます盛んになり、広まっていった」という驚くべき結果である ⇒ 第二テモテ2章9節 「・・・苦しみを受け・・・つながれています。しかし、神のことばはつながれてい」ないから。
この危機的状況下で教会のしたことは? 5節 詳訳 「こうしてペテロは牢獄に閉じ込められていた。一方、教会によって彼のために熱烈な祈りが、たゆみなく神に捧げられていた」ことであり、全面的に神を信頼する姿勢のみだった。〈彼のために〉とは、ペテロのことだが、ヤコブの殺害は祈りの猶予もなく即刻、手が下されたからなのではないか? ヨハネの兄弟で、主から、マタイ20章23節 「あながたはわたしの杯を飲むことになります」と言われた器。
実際ペテロの為の祈りは、教会の期待を遥かに超えたようだ。ペテロが救出されるや祈りの家に行った時の教会の反応【12~17節:特に、ペテロが来たと言った召使いの言葉を聞き入れず、15節 「あなたは気が変になっている」と言い、16節 「ペテロは門をたたき続け」なければならなかったこと】で分かる。その祈りは用いられた。
① 6節 「ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた」に見る《 ペテロへの干渉 》に。
兵士と鎖で拘束されているペテロに眠りが与えられていたとは!! 極度の緊張感に襲われ眠れないのでは?
② 7~10節に見る《 御使いの派遣による救出 》に。
この奇跡的救出は、人間的には絶体絶命時に展開した。御使いに起こされたペテロは、御使いの指示を受けるがままに従ってはいるが、9節 「彼には御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ているのだと思って」とある。しかし次から次へと難関を突破して遂に、牢獄から完全に脱出するや、10節 「すると、すぐに御使いは・・・離れた」が、11節 「ペテロは我に返って言った。『今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、・・・救い出してくださったのだ。』」 必要としていた時間仕えられた。
へブル1章14節 「御使いはみな、奉仕する霊で」とある。
③ 敵対する者に対する《 主の使いの派遣による審判 》に。
教会の祈りは、ペテロの為の祈りであって、迫害する者への審判を求める祈りではない。むしろ、ローマ12章14節 「あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません」、同19節 「神の怒りにゆだねなさい」とあるから。何と、厳粛なことが!! 23節 「すると、即座に主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである」と、神への不遜に対する裁きが執行された。
※ 宣教は、使徒として初めての殉教者を出そうが、迫害の手が伸ばされようが、前進し続けるのに障害となるものとて一つもない。宣教の主は神ご自身と覚え、唯信頼して従いたい。
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