使徒の働き11章19~30節
先週は、ペテロがカイサリアでの働き後、救いが異邦人にも及んだという情報を受けていたエルサレム教会に戻った時、「割礼を受けている者たち」から非難を受けることになったが、権威をもって弁明し、教会を指導した記事に学んだ。
《 5~10節 ヤッファで見た幻の経験/11~16節 その幻が神からとの裏付けを、カイサリアからの使者の派遣で明確にされたこと/17節 ですからと、主の約束の成就故に否定出来ない 》との弁明に、18節の応答!! ここから・・・
ⅰ 教会に、2節 「彼を非難」する人々の存在があったこと。
十字架による福音に与りながらも、依然として過去のユダヤ的律法遵守に縛られていた人々の存在があったからだ。
異邦人教会である私たちも又、様々な異なる背景と生活史を持って救われ、教会の一肢一肢として組み込んで頂いている故、非難を抱く可能性を否定できない。
ⅱ しかし教会は、この事実がありながらも「非難」は退けられ、18節〈沈黙と神への賛美〉に導かれたこと。
それはペテロによって一度、16、17節〈主が、神が〉と語られたならば、神に従う教会だったからだ。
使徒パウロこそかつてのユダヤ教徒であった時の生活振りをピリピ3章2~11節に見れば、キリスト信仰に立つのは困難だったのではと思われるが、彼は非難した人々のようではなかった。それは、罪の明確な自覚が彼をして律法主義的生き方を捨てさせ、福音経験を明確にしたから。
※ 聖霊の働きが勢いを増しつつある時、古い人を扱われては明け渡して、神を崇めて前進した使徒たちに倣いたいと。
今朝は、19節 「さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々」の内、「フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行」き、遂には、今後、異邦人宣教の拠点【パウロによるⅠⅡⅢ 伝道旅行の出発点】となるアンティオキア教会の誕生を見た記事に注目する。【既に、8章1節 「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされ」、4節 「みことばの福音を伝えながら巡り歩いた」人々のサマリアで為されたピリポの働きには注目していた】。
その間の9章での《 異邦人への使徒となるサウロの回心 》、10~11章18節での《 ペテロによる異邦人・コルネリウスとその家族、関係者たちの救い 》は、全て11章19節からの出来事・異邦人教会の誕生と宣教の拡大の序曲として見ることが出来る。
このアンティオキアは、ローマ、アレクサンドリアに次いで当時の世界第三番目に数えられる富裕な大都市で、アジアの《 目 》と言われ、ローマ総督官邸と官庁が置かれていた。市街はギリシア的で、誘惑的な異教の雰囲気に満ちていたと。
そのアンティオキアに誕生した群れは、19c、20節 「ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて」と《 迫害で散らされてキプロス、クレネと故郷伝道に携わっていた為、カイサリアでの異邦人の救いの情報は知らなかったが、ペテロを非難した人々のようではない 》ユダヤ主義的生活から解放されていた無名の人々の伝道による結実【21節】。
遂に、22節 「エルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わ」して成長を見る。アンティオキアに到着するやバルナバはその群れに、23節 「神の恵みを見て喜んだ」とあるが、実にその後のアンティオキア教会を予見していると見て《 その内容を 》考えたい。
① 指導者に恵まれた教会だったこと。
その指導者として抜擢されたバルナバは、実に生まれたばかりのアンティオキア教会の牧会者として適任だった。というのも、バルナバと言えば、既に4章36、37節《 教会の働きの為、財をもって仕え、慰めの子と呼ばれていた人物 》であり、更に特筆すべきは、9章26、27節で〈 回心したサウロが、アラビアでの「かなりの日数」を経てエルサレム入りした時 〉エルサレム教会が彼を未だ恐れていたが、主に捕らえられた彼を理解し、「サウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き・・・彼らに説明した」器。
11章のここでは、アンティオキア教会の必要【24節b】に応えるには、国際都市生まれのサウロこそが相応しいとして、25、26a節 「サウロを捜しにタルソに行き、彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た」。バルナバの教会に仕える姿勢には、ユダヤ主義的信仰からの移行に難色を露わにする人々が居る中、福音の真理にいち早く目覚め、人を〈主が評価されるように見て〉立てる広さを。
何と言ってもその鍵は、24節 詳訳 「彼は聖霊に満たされており、又信仰に満たされた善い人(彼自身善良【良心的】であると同時に、他の人の善と益の為に)だったからだ。このバルナバはサウロを助手として迎えてからというもの、26節b 「まる一年の間 教会に集い、大勢の人たちを教えた」と、強力な弟子訓練が行われたのだ。
② 26節c 「弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」とあり、自分たちでそう呼び合ったのではなく、アンティオキアの人々によって「キリスト者」と呼ばれるようになった教会。
アンティオキアの住人たちは、教会に群れ集う人々を見て、ユダヤ教徒とは袂を分かっていると認め、キリストを救い主として礼拝し、キリストに献身し、キリストに従う人々だとして認めるようになった。異教徒の中で、堂々と主を告白しては、人々に強烈な印象を与えている様子が窺える。ヨハネ13章35節。
③ 29節 「弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた」教会。
何と言っても、エルサレム教会は母教会であり、ユダヤとサマリアの全土、更にはアンティオキアにと誕生するに至ったのは悉くエルサレム教会に負っている。
諸地方に誕生することになった群れ群れは、指導者が送られて教会は助けられて来た。その母教会に試練が訪れた時には、直ちに支援物資を届ける実践的行動に出ている。
※ 健全な成長を見たアンティオキア教会に学びたい!!
先週は、ペテロがカイサリアでの働き後、救いが異邦人にも及んだという情報を受けていたエルサレム教会に戻った時、「割礼を受けている者たち」から非難を受けることになったが、権威をもって弁明し、教会を指導した記事に学んだ。
《 5~10節 ヤッファで見た幻の経験/11~16節 その幻が神からとの裏付けを、カイサリアからの使者の派遣で明確にされたこと/17節 ですからと、主の約束の成就故に否定出来ない 》との弁明に、18節の応答!! ここから・・・
ⅰ 教会に、2節 「彼を非難」する人々の存在があったこと。
十字架による福音に与りながらも、依然として過去のユダヤ的律法遵守に縛られていた人々の存在があったからだ。
異邦人教会である私たちも又、様々な異なる背景と生活史を持って救われ、教会の一肢一肢として組み込んで頂いている故、非難を抱く可能性を否定できない。
ⅱ しかし教会は、この事実がありながらも「非難」は退けられ、18節〈沈黙と神への賛美〉に導かれたこと。
それはペテロによって一度、16、17節〈主が、神が〉と語られたならば、神に従う教会だったからだ。
使徒パウロこそかつてのユダヤ教徒であった時の生活振りをピリピ3章2~11節に見れば、キリスト信仰に立つのは困難だったのではと思われるが、彼は非難した人々のようではなかった。それは、罪の明確な自覚が彼をして律法主義的生き方を捨てさせ、福音経験を明確にしたから。
※ 聖霊の働きが勢いを増しつつある時、古い人を扱われては明け渡して、神を崇めて前進した使徒たちに倣いたいと。
今朝は、19節 「さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々」の内、「フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行」き、遂には、今後、異邦人宣教の拠点【パウロによるⅠⅡⅢ 伝道旅行の出発点】となるアンティオキア教会の誕生を見た記事に注目する。【既に、8章1節 「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされ」、4節 「みことばの福音を伝えながら巡り歩いた」人々のサマリアで為されたピリポの働きには注目していた】。
その間の9章での《 異邦人への使徒となるサウロの回心 》、10~11章18節での《 ペテロによる異邦人・コルネリウスとその家族、関係者たちの救い 》は、全て11章19節からの出来事・異邦人教会の誕生と宣教の拡大の序曲として見ることが出来る。
このアンティオキアは、ローマ、アレクサンドリアに次いで当時の世界第三番目に数えられる富裕な大都市で、アジアの《 目 》と言われ、ローマ総督官邸と官庁が置かれていた。市街はギリシア的で、誘惑的な異教の雰囲気に満ちていたと。
そのアンティオキアに誕生した群れは、19c、20節 「ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて」と《 迫害で散らされてキプロス、クレネと故郷伝道に携わっていた為、カイサリアでの異邦人の救いの情報は知らなかったが、ペテロを非難した人々のようではない 》ユダヤ主義的生活から解放されていた無名の人々の伝道による結実【21節】。
遂に、22節 「エルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わ」して成長を見る。アンティオキアに到着するやバルナバはその群れに、23節 「神の恵みを見て喜んだ」とあるが、実にその後のアンティオキア教会を予見していると見て《 その内容を 》考えたい。
① 指導者に恵まれた教会だったこと。
その指導者として抜擢されたバルナバは、実に生まれたばかりのアンティオキア教会の牧会者として適任だった。というのも、バルナバと言えば、既に4章36、37節《 教会の働きの為、財をもって仕え、慰めの子と呼ばれていた人物 》であり、更に特筆すべきは、9章26、27節で〈 回心したサウロが、アラビアでの「かなりの日数」を経てエルサレム入りした時 〉エルサレム教会が彼を未だ恐れていたが、主に捕らえられた彼を理解し、「サウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き・・・彼らに説明した」器。
11章のここでは、アンティオキア教会の必要【24節b】に応えるには、国際都市生まれのサウロこそが相応しいとして、25、26a節 「サウロを捜しにタルソに行き、彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た」。バルナバの教会に仕える姿勢には、ユダヤ主義的信仰からの移行に難色を露わにする人々が居る中、福音の真理にいち早く目覚め、人を〈主が評価されるように見て〉立てる広さを。
何と言ってもその鍵は、24節 詳訳 「彼は聖霊に満たされており、又信仰に満たされた善い人(彼自身善良【良心的】であると同時に、他の人の善と益の為に)だったからだ。このバルナバはサウロを助手として迎えてからというもの、26節b 「まる一年の間 教会に集い、大勢の人たちを教えた」と、強力な弟子訓練が行われたのだ。
② 26節c 「弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」とあり、自分たちでそう呼び合ったのではなく、アンティオキアの人々によって「キリスト者」と呼ばれるようになった教会。
アンティオキアの住人たちは、教会に群れ集う人々を見て、ユダヤ教徒とは袂を分かっていると認め、キリストを救い主として礼拝し、キリストに献身し、キリストに従う人々だとして認めるようになった。異教徒の中で、堂々と主を告白しては、人々に強烈な印象を与えている様子が窺える。ヨハネ13章35節。
③ 29節 「弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた」教会。
何と言っても、エルサレム教会は母教会であり、ユダヤとサマリアの全土、更にはアンティオキアにと誕生するに至ったのは悉くエルサレム教会に負っている。
諸地方に誕生することになった群れ群れは、指導者が送られて教会は助けられて来た。その母教会に試練が訪れた時には、直ちに支援物資を届ける実践的行動に出ている。
※ 健全な成長を見たアンティオキア教会に学びたい!!
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