使徒の働き11章1~18節
先週は、ペテロが見た幻の意味について※34節a 「はっきり分かりました」に至った彼の経験に学び、実はこの経験こそ、1章8節 「証人となる」必須条件だったことに注目した。
それは、44節 「ペテロがなおも・・・話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った」という結果を見たからだが、その必須条件は、取りも直さず、ペテロに求められていた《 聖霊の満たし 》に他ならない。
ペテロの聖霊経験は、ペンテコステの日※2章1~4節 「聖霊に満たされ」て始まり、その後の、4章31節 「一同は聖霊に満たされ」と継続的満たしに与っていたことにある。
更に《 10章11~16節 》での、14節 「主よ、そんなことは出来ません」と抵抗した自らを探られては聖霊の満たしに与った。
それは、古い皮袋を捨て新しい皮袋をもって生きるようにと命じられた主の前に謙り、自らの肉の処理に従ったからだ。
但し警戒した‼ 「はっきり分かりました」と経験したペテロは、後日開かれる※15章のエルサレム会議【ガラテヤ2章1~】でも、幻の実体験をもって異邦人を神が受け入れたと弁明して賛同をもたらしたが、その後のこと、ガラテヤ2章11~14節 「ケファは、ある人たちがヤコブのところから来る前は、異邦人と一緒に食事をしていたのに・・・【その】人々を恐れて・・・異邦人から身を引き、離れて行った」というまさかの行動に出たことに。あれだけ「はっきり分かりました」とした異邦人問題に躓つまずいたという残念な事件だった。
※ 古い人は根気強く悉く処理されては聖霊の満たしに与り続けるべきと自戒した。
今朝は、ペテロが、カイサリアでの働き【コルネリウスと家族、イタリア隊の兵士たちに伝道の結実】を見て後、1~3節 「異邦人たちも神のことばを受け入れたことを耳にした」エルサレム教会に戻った時の出来事に注目する。
ヤッファで見た《 幻に関する最後の舞台 》である。
ペテロは予知していただろう。彼を待ち受けていた「割礼を受けている者たち【15章5節 「パリサイ派の者で信者になった人たちが立ち上がり、『異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきである』と言った」】から、「あなたは割礼を受けていない者たちのところに行って、彼らと食事をした」と非難を受けた場面でのこと。
その時ペテロは、4節 「彼らにことの次第を順序立てて説明した」とあるように、異邦人との交わりは紛れもなく神ご自身の関与によるものであって、誰も異議を唱えることなど出来ないこと、唯、聖霊の用意周到なご指導に従ったことによると、権威をもって※5~17節でその経緯を語った。
5~10節《 先ず、ヤッファで見た幻の経験についての証言 》
このことに関して、私自身、8節 「主よ、そんなことはできません」と拒絶した程のことだったが、神はその私に、9節 「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない」と窘たしなめられた問題だったと。
11~16節《 その幻が神からのものとの裏付けを、カイサリアからの使者の派遣で明確にされたことについての証言 》
その私は、聖霊の、ためらわず使者と共にカイサリアに行くべきとの導きに従った時、彼らが回心し聖霊が下ったこと。
17節《 ですからと、主の約束の成就故に否定など出来ないとのペテロの確信について 》
そして遂に、こうしたペテロの弁明に、18節「人々はこれを聞いて沈黙した。そして『それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ』と言って、神をほめたたえた」との応答が得られた。このことは初代教会において賢明なことだった。
ここで、ペテロに向けられた※2節 「非難」が、最終的に、18節 「人々はこれを聞いて沈黙した。そして・・・神をほめたたえた」と変えられたエルサレム教会に信仰の学びをしたい。
① 教会に、2節 「彼を非難」する人々の存在があったこと。
それは、教会誕生から既に12、3年は経っていたと考えられるが、キリスト者になったものの、長きに亘るユダヤ教的慣習から抜け出られない人々が居た。
特に、パリサイ派からの回心者がそうだった。これまでの生き方に執着し、十字架による福音に従うべく自らを扱って頂こうとしないならば、非難者であり続けるのは避けられない。ユダヤ主義者たちの特色は、異邦人の救いを喜ばずに外的な形式的こだわりに終始することにあった。
異邦人教会である私たちも又、彼らが抱えていた問題とはその性質を異にしてはいるが、キリスト者として召されたお互いが《 何処から、いつ救われ? どの様な生き方を好み、何をして来たのか? 生い立ちは? などと 》様々な異なる背景と生活史を持って救われ、教会の一肢一肢として組み込んで頂いている故、彼らに見る在り方に自戒したい。
② しかし教会は、この事実がありながらも「非難」は退けられ、何と素晴らしいことには、18節 「人々はこれを聞いて沈黙した。そして『それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ』と言って、神をほめたたえ」ることに導かれた。
それはペテロによって、16、17節 「私は主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によるバプテスマを授けられる』と言われたことばを思い起こしました。ですから、神が、私たちが主イエス・キリストを信じたときに私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが、神がなさることを妨げることができるでしょうか」と、《 主が、神が 》とひと言‼ 語られたならば、そこに従うのが教会だったからだ。
使徒パウロの、かつてのユダヤ教徒であった時の生活振りをピリピ3章2~11節に見れば、キリスト信仰に立つのは困難だったのではと思うが、彼は《 非難した人々のようではなく 》明確な健全な方向転換が出来た器である。
むしろ、非難するユダヤ主義者たちを恐れて身を引いたペテロを「本心を偽った行動をと」ったとして叱責する程だった。それは、自ら律法による義をもってしては神の聖前に出ることなど出来ないとの《 罪の明確な自覚 》が彼をして律法主義的生き方を絶たせたからだ。
※ 聖霊の働きが勢いを増しつつある時、古い人を扱われては明け渡して、神を崇めて前進した使徒たちに倣いたい。
先週は、ペテロが見た幻の意味について※34節a 「はっきり分かりました」に至った彼の経験に学び、実はこの経験こそ、1章8節 「証人となる」必須条件だったことに注目した。
それは、44節 「ペテロがなおも・・・話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った」という結果を見たからだが、その必須条件は、取りも直さず、ペテロに求められていた《 聖霊の満たし 》に他ならない。
ペテロの聖霊経験は、ペンテコステの日※2章1~4節 「聖霊に満たされ」て始まり、その後の、4章31節 「一同は聖霊に満たされ」と継続的満たしに与っていたことにある。
更に《 10章11~16節 》での、14節 「主よ、そんなことは出来ません」と抵抗した自らを探られては聖霊の満たしに与った。
それは、古い皮袋を捨て新しい皮袋をもって生きるようにと命じられた主の前に謙り、自らの肉の処理に従ったからだ。
但し警戒した‼ 「はっきり分かりました」と経験したペテロは、後日開かれる※15章のエルサレム会議【ガラテヤ2章1~】でも、幻の実体験をもって異邦人を神が受け入れたと弁明して賛同をもたらしたが、その後のこと、ガラテヤ2章11~14節 「ケファは、ある人たちがヤコブのところから来る前は、異邦人と一緒に食事をしていたのに・・・【その】人々を恐れて・・・異邦人から身を引き、離れて行った」というまさかの行動に出たことに。あれだけ「はっきり分かりました」とした異邦人問題に躓つまずいたという残念な事件だった。
※ 古い人は根気強く悉く処理されては聖霊の満たしに与り続けるべきと自戒した。
今朝は、ペテロが、カイサリアでの働き【コルネリウスと家族、イタリア隊の兵士たちに伝道の結実】を見て後、1~3節 「異邦人たちも神のことばを受け入れたことを耳にした」エルサレム教会に戻った時の出来事に注目する。
ヤッファで見た《 幻に関する最後の舞台 》である。
ペテロは予知していただろう。彼を待ち受けていた「割礼を受けている者たち【15章5節 「パリサイ派の者で信者になった人たちが立ち上がり、『異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきである』と言った」】から、「あなたは割礼を受けていない者たちのところに行って、彼らと食事をした」と非難を受けた場面でのこと。
その時ペテロは、4節 「彼らにことの次第を順序立てて説明した」とあるように、異邦人との交わりは紛れもなく神ご自身の関与によるものであって、誰も異議を唱えることなど出来ないこと、唯、聖霊の用意周到なご指導に従ったことによると、権威をもって※5~17節でその経緯を語った。
5~10節《 先ず、ヤッファで見た幻の経験についての証言 》
このことに関して、私自身、8節 「主よ、そんなことはできません」と拒絶した程のことだったが、神はその私に、9節 「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない」と窘たしなめられた問題だったと。
11~16節《 その幻が神からのものとの裏付けを、カイサリアからの使者の派遣で明確にされたことについての証言 》
その私は、聖霊の、ためらわず使者と共にカイサリアに行くべきとの導きに従った時、彼らが回心し聖霊が下ったこと。
17節《 ですからと、主の約束の成就故に否定など出来ないとのペテロの確信について 》
そして遂に、こうしたペテロの弁明に、18節「人々はこれを聞いて沈黙した。そして『それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ』と言って、神をほめたたえた」との応答が得られた。このことは初代教会において賢明なことだった。
ここで、ペテロに向けられた※2節 「非難」が、最終的に、18節 「人々はこれを聞いて沈黙した。そして・・・神をほめたたえた」と変えられたエルサレム教会に信仰の学びをしたい。
① 教会に、2節 「彼を非難」する人々の存在があったこと。
それは、教会誕生から既に12、3年は経っていたと考えられるが、キリスト者になったものの、長きに亘るユダヤ教的慣習から抜け出られない人々が居た。
特に、パリサイ派からの回心者がそうだった。これまでの生き方に執着し、十字架による福音に従うべく自らを扱って頂こうとしないならば、非難者であり続けるのは避けられない。ユダヤ主義者たちの特色は、異邦人の救いを喜ばずに外的な形式的こだわりに終始することにあった。
異邦人教会である私たちも又、彼らが抱えていた問題とはその性質を異にしてはいるが、キリスト者として召されたお互いが《 何処から、いつ救われ? どの様な生き方を好み、何をして来たのか? 生い立ちは? などと 》様々な異なる背景と生活史を持って救われ、教会の一肢一肢として組み込んで頂いている故、彼らに見る在り方に自戒したい。
② しかし教会は、この事実がありながらも「非難」は退けられ、何と素晴らしいことには、18節 「人々はこれを聞いて沈黙した。そして『それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ』と言って、神をほめたたえ」ることに導かれた。
それはペテロによって、16、17節 「私は主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によるバプテスマを授けられる』と言われたことばを思い起こしました。ですから、神が、私たちが主イエス・キリストを信じたときに私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが、神がなさることを妨げることができるでしょうか」と、《 主が、神が 》とひと言‼ 語られたならば、そこに従うのが教会だったからだ。
使徒パウロの、かつてのユダヤ教徒であった時の生活振りをピリピ3章2~11節に見れば、キリスト信仰に立つのは困難だったのではと思うが、彼は《 非難した人々のようではなく 》明確な健全な方向転換が出来た器である。
むしろ、非難するユダヤ主義者たちを恐れて身を引いたペテロを「本心を偽った行動をと」ったとして叱責する程だった。それは、自ら律法による義をもってしては神の聖前に出ることなど出来ないとの《 罪の明確な自覚 》が彼をして律法主義的生き方を絶たせたからだ。
※ 聖霊の働きが勢いを増しつつある時、古い人を扱われては明け渡して、神を崇めて前進した使徒たちに倣いたい。
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