使徒の働き7章51節~8章4節
先週は、ステパノが殉教死を招いた説教から三つのことを。
ⅰ 2節の呼び掛けにステパノの人となりを。
敵対意識はなく、同胞ユダヤ人への尊敬の意を表す礼儀正しさをもって臨んだ。従ってステパノを糾弾する裁判とはならず、告発者たちへのキリスト信仰の真実、真理の弁明、神に立ち返らせる道を備える厳粛な機会の場とした。
ⅱ 三つの告発とその応えの場とした。
a. 6章11節 ⇒ 7章2b~37節の歴史を語って「モーセと神を冒涜する」どころかモーセと神を尊敬しているとの反論。
b. 6章13節 ⇒ 7章44~50節で【※44 荒野の幕屋に始まり、※46 ダビデは幕屋を求め、※47 ソロモンが神のための家を建てた】と聖なる神殿の経緯を語り、遂には※48節でイザヤ66章1、2節の言葉をもって、神殿への理解の見落としを牽制。
c. 6章14節 ⇒ 7章38~43節 「モーセが・・・伝えた慣習を変える」に、モーセの語ったみことばを「生きたみことば」と言うことで侮るどころか重んじていると。むしろ侮ったのは、39節 「私たちの先祖たち」こそだと、彼らを牽制。
ⅲ 説教の締め括りに《 告発者を愛する重荷の故に 》急きょ、渾身の力を振り絞って、7章51~53節と糾弾!!
裁判の様子から、どう語ろうと到底受け入れられそうにもない雰囲気、反撃を予知した上での命がけの説教だった。しかし弟子たちの姿勢は皆、4章19、20節 「・・・神の御前に・・・判断して下さい。私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません」にあったから。
※ 互いも又、隣人への責任ある態度をもっての日々をと!!
今朝は、8章1節c 「その日、エルサレムの教会に」対して起こった「激しい迫害」について考えたい。
ここまでの迫害はなかったにせよ、3章、4章にあるペテロとヨハネによる「美しの門」前での足萎えた人の癒やしに始まった迫害があった。しかしここで「激しい迫害」とあるからには、大々的な規模に及び始めたことを意味する。
① 先ず、その迫害の契機について:
それは、ステパノの信仰とその働きにある。
使徒ペテロとヨハネへの迫害は、ヘブル語を使う人々への働き掛けでしかなかった為、エルサレム議会への影響は宣教禁止命令に終わっていた。ところが、ステパノはギリシア語を使うヘレニストだったことから、ペテロの働きとは違い、その活動範囲が諸会堂に及んだからだ。
6章8~10節 詳訳 「・・・ところが、いわゆるリベルテンと呼ばれる会堂【解放奴隷 ローマ帝国将軍ポンぺイウスによって捕らえられた時の奴隷で、後、解放されて自由になった人々だったと考えられるが、その人たちによってエルサレムに設けられた会堂】に属する人々と、クレネ人、アレキサンドリア人の会堂の人々、及びキリキヤとアジアの人々が立ってステパノと討論、論争をし始めた。しかし彼らは、ステパノの知力・知恵と、彼が御霊によって語っているその御霊に抵抗することが出来なかった」とある。
その人々が、既に教会に敵意を抱き始めていたエルサレム最高法院の議員たちと民衆を扇動しての迫害となる。
彼らに迫害の意を強くさせたのは、ステパノの妥協のない確固たる信仰の姿勢、《 糾弾して後、迫害者の為に祈る愛の確かさ 》である。
7章51~53節に見るステパノの「うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています」と迫る言葉は極めて辛辣で激しいもの。ところがこの激しさは、7章59、60 節 「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。『主イエスよ、私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて大声で叫んだ。『主よ、この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、彼は眠りについた」と祈る、彼らの魂の救いを懇願する愛があってのこと。
事実、ステパノに対しては、迫害によっても〈キリストの愛から引き離す〉ことは出来ず、むしろ、6章15節 「・・・彼の顔は御使いの顔のように見えた」。裁きの座で 増す一方の輝きが、迫害者サウロの心に焼き付き、遂に彼は間もなく、主の手によって宣教者パウロとして用いられることに。
ひとえにステパノが、歯ぎしりして人々が迫って来る極限状態で、7章55節 「しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめ」、「神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見」たその時ですら、大胆に、56節 「『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます』と言」う、その主との揺るがない関係にある。
私たちの信仰は、歯ぎしりする人々を前にしたことに匹敵する状況下で、主を見る聖霊の満たしはあるか?
② 迫害の意義について:
教会は厳しい打撃を経験したが、2節 「敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のためにたいへん悲しんだ」と、弱らず大胆にも、周囲の攻撃に屈することのない態度を取っている。
何故なら、ユダヤの法律で断罪された犯罪人の死を公に悼いたむことは禁止されている行為、危険の伴う行為でもあったが覚悟の上のこと。
しかし教会は、不正に屈せずに、ステパノの殉教を栄誉と証言したのだ。
更に、教会は、1節d 「使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた」、4節 「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた」と、遂に、主の語られた※1章8節 「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土」と、次のステップへと宣教の拡大に向けて動き出すことに。
ここに見る「使徒たち以外はみな」とは、ヘブル語を使うユダヤ人は標的とならず、ステパノがそうだった〈ギリシア語を使うユダヤ人・ヘレニスト〉が標的にされたことを意味する。8章5節から出て来るピリポにおいても同様。
教会は、世の勢力は撲滅を謀ろうが、消滅するどころか、「散らされた人たちは・・・福音を伝えながら巡り歩いた」と、かえって福音宣教が勢い付けられいくことになる。
※ 教会のその強さは、第一ペテロ4章14節 「・・・栄光の御霊、すなわち神の御霊が・・・とどまってくださるからです」の事実にあると覚え、使徒たちの信仰に励まされてお互いもこの道を!!
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