使徒の働き6章8~15節、7章54~60節 18
先週は、教会が成長拡大に伴って発生した苦情問題の対応に迫られた時、使徒たちの※3節で〈七人を選びなさい〉の提案に、5節 「一同はみな喜んで受け入れ」、何一つ混乱もなく整然と解決した点に注目した。その証が、7節 「祭司たちが大勢、次々と信仰に入った」にあり、使徒による奇跡のうちで最大のものだと言ったクラークの言葉を紹介した。
ⅰ 使徒たちは教会の中から選出条件に※3節《 御霊と知恵に満ちた七人 ⇒ 御霊を自らの主と迎えて生活している人 》とした。
厳密な意味で「御霊に満ちた」人とは、霊的成長段階で、霊的成熟・完成を目指して着実に進み、霊的生活を現実的衣食住の生活面で実践している人、聖霊の満たしに結果する3節 「知恵に満ちた、評判の良い人たち」のこと。
この「知恵」とは、物事を聖書的価値観をもって正しく判断し、適切に処理する能力の意。と同時に「評判の良い人」とは、詳訳 「善良な保証済みの性格・評判」とあり、扱いを避けずに、むしろ積極的に扱いに甘んじる姿勢の人。
ⅱ 教会は、5節 「信仰と聖霊に満ちた人」七人を選んだ。
七人は全てギリシア名を持ち、最後に名を連ねているニコラオだけが出身地の明記があることから、彼だけが異邦人で、他は皆ユダヤ人となるが、七人が皆、苦情を申し立てたヘレニストたちである。モルガンは “ 教会は呟きによって弱くならずに、かえって、寡婦らが無視されたと苦情を申し立てたヘレニストの中から選ばれるという、人情味豊かな立派な好意によって強さを示した ” と言った。
※ 聖霊の満たしに生きる教会において聖霊の働きは顕著と!!
今朝は、教会から選出され七人の筆頭に上げられたステパノが殉教の死を遂げた場面に注目したい。
彼は教会内の実務を担う為に選出された器ではあるが、6章8節 「恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた」為、その彼の存在を敵対視した人々によって※12節 「・・・最高法院に引いて行」かれた時、議長の大祭司から※7章1節 「そのとおりなのか」と尋ねられて語り始めた※2~53節の弁明を見ると、雄弁な説教者でもある。
それは、あのペテロによるペンテコステの説教が、2章37節 「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか』と言」わせたように、その説教には、7章54節 詳訳 「これを聞くと、彼らユダヤ人は、煮えくり返るような思いになり【怒り狂い】、ステパノに向かって歯ぎしりした」と、即ち、心を刺す力があったのだ。
ステパノは、理路整然と、彼らのよく知っているユダヤ人の歴史を紐解きながら、遂に、これらを語る究極の目的【彼らが自ら犯したキリストを殺害した冒涜を罪と認めて悔い改め、神の赦しに与らせる】を果たす為に、51~53節 「うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち」と呼び掛け始めたのだ。
この「心と耳に割礼を受けていない」とは、「うなじを固くする ⇒ 聖霊の語り掛けに対する強情さ」のことであり、聖霊によって示されている《 自負心と罪の性質とを、心の内から断ち切ることを示されても一向に従おうとはしない 》の意。
ステパノは、この彼らの強情さによって石で打たれ、教会から出た初めての殉教者となった。
“ 殉教者は教会の種だ ” との言葉はよく知られているが、実に彼の最期をじっと目撃していた人物こそ※7章58節 「サウロ」。彼は、間もなく※9章で復活の主に捕らえられ、同15、16節 「・・・わたしの選びの器です。彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します」と言われた人物。正にこの迫害者サウロこそ、24章5節 「この男はまるで疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人の一派の首謀者であります」と告訴された宣教者パウロ。
8章1節 「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた」とあるように、サウロの教会に対する迫害の勢いは止まず 増すばかりだったが、彼の心には《 ステパノの最期の光景は衝撃的な矢が突き刺さったまま 》だった。
このサウロに致命傷を負わせたのが、復活の主の「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」との顕現。実にステパノは、この迫害者サウロにキリストへの道を開いたのだ。ステパノの光を放った最期に注目したい。
① 6章10節 詳訳 「しかし彼らは、ステパノの知力【知恵】と、彼が御霊によって語っているその御霊に抵抗することができなかった」ところに。
ステパノの知恵はすべて聖霊によるものであった為、11~14節 「そこで、彼らはある人たちをそそのかして・・・」と反撃が始まった。偽証人を立て、民衆とエルサレム議会を扇動し、ステパノを裁きの座に立たせるという、彼らの聖霊に逆らう肉が露骨なまでに騒ぎ始めた。
彼らとは極めて対照的な、15節に見るステパノの輝き!!
7章1節 「大祭司」による答弁の機会を得て語り始めた説教が又、彼らの反感を買い、54節 「人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで」ステパノに刃を突き付けた。しかし、殺気に満ちた人々の真っ直中で独り、極めて冷静沈着で居られるステパノ。7章55節 「聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます』」と。
ここで迫害者の殺気は最高潮に達して、遂に、57、58節。
② 7章59、60節 「ステパノは主を呼んで言った。『主イエスよ、私の霊をお受け下さい。』そして・・・『主よ、この罪を彼らに負わせないでください。』・・・」との迫害者への祈り。
主が十字架に処刑されるや否や、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」と、罵ののしり嘲あざける全ての人々の為に祈られた祈りそのもの。ステパノは実に、試験済みの御霊の人だった。
※ 彼の輝きは、聖霊の人としての円熟にあった点に希望を!!
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