聖日礼拝『使徒の働き』より 15


使徒の働き4章32節~5章11節

 先週は、23節 「釈放された二人」が仲間の所に行って報告した時、教会はどのように応えたかに注目した。
 素晴らしいことには、24節 「これを聞いた人々は心を一つにして、神に向かって声をあげた」と、報告を受けるや否や、互いの間での会話に終始させず、先ず神に口を開いたということだったが、彼らの祈った祈りは何だったのか?

ⅰ 24~28節、先ず「主」を創造主!! とお認めする信仰告白!!
 現在直面している迫害をすら御手の中に掌握する絶対的主権者だという《 根拠あっての信仰 》、即ち【27、28節】主を十字架刑に処したあの恐るべき反逆でさえ、神の定めに過ぎないことだったのだから驚くに値しないと。

ⅱ 29~30節、積極的に主の働きの推進をのみ求める祈り。
 「今、彼らの脅かしをご覧になって」と、自分たちの人間的勢い・熱心を悉く取り下げ、唯、現況を正しく把握しておられるお方のご意図に委ね【自らを徹底して主のしもべとしての位置に身を置いて】の祈りである点に留意した。
 神の御心であるならば、その限りにおいてのみ《 教会は受けている迫害を微塵も損失とは数えず、むしろ大胆に語り、語るならば当然受けるであろう仕打ちをものともせずに 》福音の為に出て行き、働きの拡大をと求めての祈り。
 ローマ1章10節 「神のみこころによって、今度こそついに道が開かれ」、15章32節 「また、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところに行き」の姿勢が彼らにあったと。

※ 教会は祈りの後、「聖霊に満たされ」て導きを確認し「・・・大胆に語り出した」。主の主導による働きへの派遣をと。


 今朝は、4章32~37節に《 聖霊に満たされたエルサレム教会の様子 》が伝えられているが、5章1節 「ところが」と起こった痛ましい出来事を直視した上で、11節 「教会全体と、このことを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた」とある聖霊の圧倒的なお働きに注目して主を畏れたい。
 教会には、三千人、五千人、更には毎日救われる人々が加えられたとあることから、かなりの人数に膨れ上がっている群れの様子が推定出来るが、そこには、4章33節 詳訳 「使徒たちは、偉大な力をもって力強く主イエスの復活の証しを述べ、すべての者の上に大きな恵み〈慈愛、愛顧、厚意〉が豊かに与えられた」と伝えられている。
 ここで留意したいことがある。それは、教会内での互いを顧み合う愛の実践が、使徒たちによる力強く語られた主イエスの復活の証しの結果生まれたということ!!
 単なる友愛による助け合いではない。32節 「だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた」、34、35節における現れも然りであるが、「主の復活」が証しされたことによる産物だということ。即ち、十字架の死と復活の意義についての説教によって、信仰告白するものの《 未だに残留している自己中心 》という肉の性質・古い人・生来の罪深い性質が扱われていったことを意味し、その都度聖霊の満たしによる交わりが生まれたことによるのだ。
 ところが、そうしたお扱いが指導されていたにも拘らず、肉の扱いを疎かにする人物がいたことを、聖霊が包み隠さず暴いているのが※5章の《 アナニヤとサッピラ事件 》なのだ。

 ある意味で、初代教会にとって汚点とも言うべき出来事であり、公にはしたくない出来事。特に迫害の直中でのこと。主の御名が汚され、敵の火矢が撃ち込まれはしないだろうか、敵の前には弱みとなり、非難の突いて入る暇を与え兼ねないと危惧すべき出来事だったが、聖霊は明るみにされた。
 しかし、それら危惧すべきことではなかった。何故なら、教会にとって汚点とはならず、むしろ、11節を見ると、教会が力強く前進することになったと伝えているからだ。
 詳訳 「全教会は恐れて震えた【非常な恐れと、経験したことのない恐怖とおののきに捕えられた】。この事を聞いた他の人々も皆同様だった」とあり、12節以下にはいよいよ本格的な迫害と繋がる宣教活動が邁進することになっていく。

この事件から何を学ぶべき?

① 聖霊は罪をうやむやなまま放置されずに、むしろ明るみにすることを以って、ご自身の《 聖 》を証しされ、ご自身の栄光・現在を明らかにされるお方。

 教会は赦された罪人の群れ。第一コリント14章24、25節 「・・・誤りを指摘され、皆に問いただされ、心の秘密があらわにされます。こうして、『神が確かにあなたがたの中におられる』と言い、ひれ伏して神を拝む」とある群れ。確かに赦しの場所であるが、罪の事実をうやむやにし、罪の事実に悲しむことなしの赦しはあり得ない。確かに敵に火矢を撃ち込まれる隙を与え兼ねない出来事ではあるが、聖霊は人間的リスクを恐れず、本気で教会を扱われるお方。
 アナニヤとサッピラの罪は公にされた。その本質は、3節 「サタンに心を奪われて聖霊を欺き」、4節 「あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いた」、9節 「心を合わせて主の御霊を試みた」ことにあり、恐るべき虚偽の罪だった。
 4節のみことばは〈彼らの土地が幾らで売れたのか? それを全部捧げる必要はない。あくまでもあなたがたの自由。唯、嘘をついたことへの糾弾〉である。その虚偽に誘われたのには、バルナバの存在【4章36、37節 「慰めの子」と呼ばれた人物で、教会は彼によって慰められていた】があった。彼への称賛に妬み、それを得たいばかりに、全部ですと言いながら、1節 「代金の一部を自分のために取っておき、一部だけを持って来て」にあった。彼らの動機は、称賛を得ることにあり、教会の必要を思ってのものではなかった。
 聖霊は容赦なく教会員の肉を徹底的に扱われることをもって、教会の霊的生命を維持される。

② 聖霊を侮ることへの警告

 5節 「アナニヤは倒れて息が絶えた」、10節 「彼女はペテロの足もとに倒れて、息絶えた」とは厳粛な結末。彼らは、9節 「心を合わせ」ていたので、隠れて秘かに協議したことが暴かれたことへのショック死である。

※ 11節、神への畏怖に満たされた教会!! 黙示録2章1節 「星を握る方、・・・燭台の間を歩く方」主は、教会の悪を取り除くべく、聖霊によって日夜働かれる聖なるお方との畏れを!!

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