使徒の働き3章1~10節
先週は、献堂二十一周年を記念する宣教礼拝で、ペンテコステ説教後《 教会の誕生を見たこと 》から、二つのことを。
ⅰ 41節 「・・・三千人ほどが仲間に加えられた」、47節a’ 「主は毎日、救われる人々を加えて」とある《 働きは、唯、聖霊による主のわざである 》こと。
ペテロは自らの説教が、33節 「・・・イエスが・・・聖霊を注いでくださった」結果によるもので、人間的なものによってではないと明言している。その裏付けは、主が最後の晩餐の時《 聖霊によって初めて人々は自らの罪を知ると言われたこと 》が、説教後、37節 「心を刺され・・・『・・・どうしたらよいでしょうか』と」、人々に自ら未だ経験したことのない罪の自覚を与え救いを求めさせたことで明白。
私たちは唯、使徒たちのように《 聖霊に満たされさえすれば良い 》を合言葉に、霊的営みに徹するだけとの心得を!!
ⅱ 42節、信者が集まりを共にする教会生活が始まったこと。
教会は、44、46、47節 「一つ」が特色で※エペソ1章23節 「教会はキリストのからだ ⇒ 主を頭、主のみ体が教会」の意。そのみ体の肢々が有機的繋がりをもって存在し始めたことを伝え、マタイ22章37~40節《 第一の戒めの確立に伴う第二の戒め 》の愛による教会建設が始まった。
※ 恵まれたエルサレム教会は間もなく、迫害を好機としながら福音を、1章8節 「ユダヤとサマリア・・・地の果てまで」と今日の私たちにまで運ぶことに。香川教会も教会内で育まれた互いの聖霊の愛をもって、普遍的教会の働きに参画すべく、与えられた宣教支援のビジョンに又新たな踏み出しを!! と。
今朝は、初代教会が初めて直面する迫害の切っ掛けとなった、2節 「生まれつき足の不自由な人」の癒やしをもたらした《 真の礼拝者に求められる信仰 》について考えたい。
学ぼうとするその礼拝者とは、1節 「午後三時の祈りの時間に宮に上って行った」ペテロとヨハネである。
主の礼拝者となった彼らは、「午後三時の祈りの時」と、今なお、ユダヤ人のしきたりに従って一日に三度の祈り【ここでの午後三時と共に、2章15節 「朝の九時」、10章9節 「昼の十二時ごろ」】を守っていたことが分かる。
この習慣は、詩篇55篇17節 「夕べに朝に また真昼に 私は嘆き うめく。すると 主は私の声を聞いてくださる」とあり、ダニエル書には、かつてダニエルが囚われの身となってバビロンに移住し、同僚の妬みを買う中、主への畏れの姿勢を崩すことなく、6章10節 「日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた」とある。祈りが形骸化する時、命を失いがちであるが、回数も問題ではなく、祈りを重んじる生活に励んでいた点に注視を【2章42節】。
何回祈る? 問題ではなく、第一テサロニケ5章17節 「絶えず祈りなさい」とあることから、この習慣の本質は、神との絶えざる交わりの中に今を生きるとの証と覚えたい。
つまり、第一ヨハネ1章7節 別訳 「私たちは神から不断の光、力、いのちを受け続け、聖なる信仰生活を送り、互いに【神との】交わりを持ち、神は私たちと交わりを維持する為に謙りなさる」とある《 礼拝者が、神との交わりの中に生きていることを大前提 》で三つのことを!!
① 3、4節 「・・・ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともにその人を見つめて、『私たちを見なさい』と言った」器。
彼は、2節 「宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日『美しの門』と呼ばれる宮の門に置いてもらっていた」。何故そこに置いてもらっていたのか? 礼拝者なら自分を見過さないだろうとの期待がそこにあるからなのでは?
にも拘らず、大多数の人々は素通りすると主は言われたことに留意したい。ルカ10章25~37節《 良きサマリア人の話 》が然り。30節 「エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた」ある人を巡って、誰が彼の隣人になったか? である。実は、31、32節に出て来る神殿の務めを終えて帰路に就いている「祭司、レビ人」は無関心だったが、彼らが忌み嫌っていた※33節 「一人のサマリア人」がその半死半生の人を手厚く介護したと。
礼拝者でありながら、しかも宮に入る人なのだから・・・との期待が破られている現実のあることは、実に悲しいこと。
実際「施しを求めた」と、霊的求道者とはとても言い難い動機でしかなかった彼がここで、8~10節 「躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。人々はみな、彼が歩きながら神を賛美しているのを見た。そしてそれが、宮の美しの門のところで施しを求めて座っていた人だと分かると、彼の身に起こったことに、ものも言えないほど驚いた」と。
使徒たちは彼と真剣に向き合う礼拝者だった!!
② 5、6節 「彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。すると、ペテロは言った。『※金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』」と言った器。
ペテロが「金銀」と言ったのは、「美しの門:美しいコリント風の真鍮で出来ているニカノルの門」を意識したと考えられている。その門は高さが25mもあり、その門に取り付けられている20mもある扉には、銀や金の分厚い板が張られ、他のどの門よりも美しさが卓越していたという。
とすると「・・・私にはない」と言ったのは、単にお金がないとの意より、“ その門が象徴する金銀ではなく、私たちが価値を経験して持っている「ナザレのイエス・キリストの名」こそ、貴方の最大の必要であり、それは人の子として贖あがないを成し遂げられたイエスの名【罪から救う】である ” と福音の力を知って誇る者としての権威をもって迫った。
③ 7節a 「彼の右手を取って立たせ ⇒ 8~10節」た器。
彼の癒やしは、ペテロが《 その人の為に主を期待し、信じる信仰 》を持って臨んだ結果!! ルカ5章17~21節 「イエスは彼らの信仰を見て」彼らの友を癒された。隣人の救いの為に、第一コリント13章7節 「すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます」とある愛に他ならない。
※ 宮の門にいた人は、今も教会・私たちの身近に、救いを必要とする人々!! と覚える真の礼拝者でありたい。
先週は、献堂二十一周年を記念する宣教礼拝で、ペンテコステ説教後《 教会の誕生を見たこと 》から、二つのことを。
ⅰ 41節 「・・・三千人ほどが仲間に加えられた」、47節a’ 「主は毎日、救われる人々を加えて」とある《 働きは、唯、聖霊による主のわざである 》こと。
ペテロは自らの説教が、33節 「・・・イエスが・・・聖霊を注いでくださった」結果によるもので、人間的なものによってではないと明言している。その裏付けは、主が最後の晩餐の時《 聖霊によって初めて人々は自らの罪を知ると言われたこと 》が、説教後、37節 「心を刺され・・・『・・・どうしたらよいでしょうか』と」、人々に自ら未だ経験したことのない罪の自覚を与え救いを求めさせたことで明白。
私たちは唯、使徒たちのように《 聖霊に満たされさえすれば良い 》を合言葉に、霊的営みに徹するだけとの心得を!!
ⅱ 42節、信者が集まりを共にする教会生活が始まったこと。
教会は、44、46、47節 「一つ」が特色で※エペソ1章23節 「教会はキリストのからだ ⇒ 主を頭、主のみ体が教会」の意。そのみ体の肢々が有機的繋がりをもって存在し始めたことを伝え、マタイ22章37~40節《 第一の戒めの確立に伴う第二の戒め 》の愛による教会建設が始まった。
※ 恵まれたエルサレム教会は間もなく、迫害を好機としながら福音を、1章8節 「ユダヤとサマリア・・・地の果てまで」と今日の私たちにまで運ぶことに。香川教会も教会内で育まれた互いの聖霊の愛をもって、普遍的教会の働きに参画すべく、与えられた宣教支援のビジョンに又新たな踏み出しを!! と。
今朝は、初代教会が初めて直面する迫害の切っ掛けとなった、2節 「生まれつき足の不自由な人」の癒やしをもたらした《 真の礼拝者に求められる信仰 》について考えたい。
学ぼうとするその礼拝者とは、1節 「午後三時の祈りの時間に宮に上って行った」ペテロとヨハネである。
主の礼拝者となった彼らは、「午後三時の祈りの時」と、今なお、ユダヤ人のしきたりに従って一日に三度の祈り【ここでの午後三時と共に、2章15節 「朝の九時」、10章9節 「昼の十二時ごろ」】を守っていたことが分かる。
この習慣は、詩篇55篇17節 「夕べに朝に また真昼に 私は嘆き うめく。すると 主は私の声を聞いてくださる」とあり、ダニエル書には、かつてダニエルが囚われの身となってバビロンに移住し、同僚の妬みを買う中、主への畏れの姿勢を崩すことなく、6章10節 「日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた」とある。祈りが形骸化する時、命を失いがちであるが、回数も問題ではなく、祈りを重んじる生活に励んでいた点に注視を【2章42節】。
何回祈る? 問題ではなく、第一テサロニケ5章17節 「絶えず祈りなさい」とあることから、この習慣の本質は、神との絶えざる交わりの中に今を生きるとの証と覚えたい。
つまり、第一ヨハネ1章7節 別訳 「私たちは神から不断の光、力、いのちを受け続け、聖なる信仰生活を送り、互いに【神との】交わりを持ち、神は私たちと交わりを維持する為に謙りなさる」とある《 礼拝者が、神との交わりの中に生きていることを大前提 》で三つのことを!!
① 3、4節 「・・・ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともにその人を見つめて、『私たちを見なさい』と言った」器。
彼は、2節 「宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日『美しの門』と呼ばれる宮の門に置いてもらっていた」。何故そこに置いてもらっていたのか? 礼拝者なら自分を見過さないだろうとの期待がそこにあるからなのでは?
にも拘らず、大多数の人々は素通りすると主は言われたことに留意したい。ルカ10章25~37節《 良きサマリア人の話 》が然り。30節 「エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた」ある人を巡って、誰が彼の隣人になったか? である。実は、31、32節に出て来る神殿の務めを終えて帰路に就いている「祭司、レビ人」は無関心だったが、彼らが忌み嫌っていた※33節 「一人のサマリア人」がその半死半生の人を手厚く介護したと。
礼拝者でありながら、しかも宮に入る人なのだから・・・との期待が破られている現実のあることは、実に悲しいこと。
実際「施しを求めた」と、霊的求道者とはとても言い難い動機でしかなかった彼がここで、8~10節 「躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。人々はみな、彼が歩きながら神を賛美しているのを見た。そしてそれが、宮の美しの門のところで施しを求めて座っていた人だと分かると、彼の身に起こったことに、ものも言えないほど驚いた」と。
使徒たちは彼と真剣に向き合う礼拝者だった!!
② 5、6節 「彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。すると、ペテロは言った。『※金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』」と言った器。
ペテロが「金銀」と言ったのは、「美しの門:美しいコリント風の真鍮で出来ているニカノルの門」を意識したと考えられている。その門は高さが25mもあり、その門に取り付けられている20mもある扉には、銀や金の分厚い板が張られ、他のどの門よりも美しさが卓越していたという。
とすると「・・・私にはない」と言ったのは、単にお金がないとの意より、“ その門が象徴する金銀ではなく、私たちが価値を経験して持っている「ナザレのイエス・キリストの名」こそ、貴方の最大の必要であり、それは人の子として贖あがないを成し遂げられたイエスの名【罪から救う】である ” と福音の力を知って誇る者としての権威をもって迫った。
③ 7節a 「彼の右手を取って立たせ ⇒ 8~10節」た器。
彼の癒やしは、ペテロが《 その人の為に主を期待し、信じる信仰 》を持って臨んだ結果!! ルカ5章17~21節 「イエスは彼らの信仰を見て」彼らの友を癒された。隣人の救いの為に、第一コリント13章7節 「すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます」とある愛に他ならない。
※ 宮の門にいた人は、今も教会・私たちの身近に、救いを必要とする人々!! と覚える真の礼拝者でありたい。
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