使徒の働き1章9~11節
先週、復活後 弟子たちに「神の国のことを語られた」主が、4節 「父の約束を待ちなさい」、即ち、5節 「聖霊によるバプテスマを授けられる」為にであるが、この命令に注目した。
ⅰ 何故、主は「父の約束を待ちなさい」と命じられたのか?
8節 「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受け」、初めて「・・・わたしの証人【殉教者】と」なるのであって、今のままでは、成し遂げられるものではないからと。
彼らの今は、主の命令に※6節 「そこで」と出た反応で明白!! ユダヤ人が隷属するローマ帝国からの独立への望み、主が、3節 「神の国のことを語られ」ていたにも拘らず、彼らの関心事は肉的・世的望みに縛られていた【ガラテヤ5章19~21節 「神の国」とは相容れない】。復興については※7節、神の秘密に属することで人の関与すべきことではない。
この「力を受ける」とは《 力である聖霊ご自身を人格者として迎えること 》で、その時「わたしの証人とな」ると!! 5節 「聖霊によるバプテスマ」、《 赦しと汚れを焼き尽くす火の如き効力をもって、内的汚れを清め 》ることによって。
ⅱ 何故、「エルサレムを離れないで」と命じられたのか?
エルサレムは、愛する主を奪い取り、憎しみの限りを尽くして主を処刑し、いやしくも主を見捨てた自分たちの卑怯さを露呈した敵陣。しかし主は、そうした町だからこそ「離れ」ずに、むしろ宣教拠点として愛の実践をと命令!!
エルサレムの滅びを知ってむせび泣くお方だからだ。
※ 「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈られた主」の道に歩むようにとの招きに従う弟子でありたいと。
今朝、主が弟子たちに《 聖霊を受けてから主の復活の証人として宣教命令を 》と告げて昇天された記事に注目を!!
この記事を学ぶに当たって、勿論常の姿勢であるべきだが、敢えて言う!! 9節 「雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった」昇天時に告げられたおことばをいい加減な気持ち【これまでの弟子たちがそうであったように、復活について、神の国について語られても、語られる主の熱意・真剣さをよそに、自らの内を肉的思いに占領させたままの聞き方】ではなく、真面目で真剣な姿勢で聴きたい。
主が復活されてから、マグダラのマリアにも同様現れた※10節 「白い衣を着た二人の人」が、11節 「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります」と告げられたおことば、これは《 主の再臨の予告 》である。
私たちは、復活を待たなかった弟子たちを何故? などと呑気に言うことは許されない。私たちは今日、厳粛にも予告されている《 主の再臨 》を待ち焦がれている者らしい日々を送っているだろうか? を、真剣に問われなければならない。
折しも、最近、『黙示録セミナー 終末編』テキストが届けられ、皆さまには『Omega Japan News Letter ' Bride ' 』を98号から入手してお渡ししているが、99号からの『黙示録シリーズ』の開始時期に出会わせて頂いた。
そこには、ヨハネの黙示録のテーマは、キリストの再臨にあると明確にし、再臨を知ることの重要性が扱われている。
cf. プリント「黙示録のテーマ キリストの再臨」
参:『黙示録セミナー 終末編』テキスト
「黙示録シリーズ Vol.1」 栄子・スティーブンス
1章7節 「見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は 彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン」。
☆ キリストの初臨は、一部の人々しか見ることができなかったが、再臨はすべての人々が見る ・・・ということについて。栄子氏曰く “ 1969年に、私はアメリカで人間が月の上を歩くのを見ました。世界中の人々が同時にそれを見ていたのです。また、2001年9月11日に、ニューヨークのツインタワーが崩れていくのをイスラエルで見ていました。世界中の人々が、同時にそれを見ていたのです。しかし、これから後の社会では今現在よりもテクノロジーが発達し、全世界の人々がイエス・キリストの再臨を同時に見ることができます ” と。
☆ 聖書に見る再臨の重要性
ⅰ 新約聖書で、一番多く語られているのが信仰について、二番目が再臨について。
ⅱ キリストの来臨の預言333のうち、初臨109、再臨224。
再臨の預言は初臨の二倍以上、初臨の預言はすべて成就。
ⅲ 聖書の筆記者約40人のうち、半数以上の筆記者が再臨に関して語っている。
ⅳ 新約聖書の約7959節中、300節以上で再臨に言及(25節に1節の計算)。初臨の8倍。キリストご自身も、再臨について21回言及。
合わせて、黙示録1章3節に留意を!! と。
へブル9章26b~28節、ルカ21章20~36節。
この再臨に備える信仰について
① 主の直接的勧告 マタイ25章1~13節
13節 「ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから」とあるが、目を覚ました在り方が重要。
3、4節 「愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を持って来ていなかった。賢い娘たちは自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていた」。ともしびとは、外見上キリスト者らしい形を取っている状態。油を持っているのか? いないのか? 内住の聖霊に一切の主導権を明け渡し、取りも直さず「神の国」を内に実現していること!!
② ペテロによる勧告 第二ペテロ3章全
11、12a節 「・・・どれほど聖なる敬虔な生き方【品性】をしなければならないことでしょう。そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません」、14節 詳訳 「・・・待ち望んでいるのですから、主の来臨の時に傷もしみもなく、平和のうちにある静かな確信のうちにあり、恐怖や荒れ狂う激情や心の葛藤がない者として、主に見て頂けるように励みなさい」。
※ こうした勧告は、徹頭徹尾、主が昇天直前に約束された《 力である聖霊を 》受けることによってのみ現実的な準備となる。聖霊を受ける在り方は、内住の聖霊に明け渡された状態をもって生きることに他ならない。この一点に留意を!!
先週、復活後 弟子たちに「神の国のことを語られた」主が、4節 「父の約束を待ちなさい」、即ち、5節 「聖霊によるバプテスマを授けられる」為にであるが、この命令に注目した。
ⅰ 何故、主は「父の約束を待ちなさい」と命じられたのか?
8節 「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受け」、初めて「・・・わたしの証人【殉教者】と」なるのであって、今のままでは、成し遂げられるものではないからと。
彼らの今は、主の命令に※6節 「そこで」と出た反応で明白!! ユダヤ人が隷属するローマ帝国からの独立への望み、主が、3節 「神の国のことを語られ」ていたにも拘らず、彼らの関心事は肉的・世的望みに縛られていた【ガラテヤ5章19~21節 「神の国」とは相容れない】。復興については※7節、神の秘密に属することで人の関与すべきことではない。
この「力を受ける」とは《 力である聖霊ご自身を人格者として迎えること 》で、その時「わたしの証人とな」ると!! 5節 「聖霊によるバプテスマ」、《 赦しと汚れを焼き尽くす火の如き効力をもって、内的汚れを清め 》ることによって。
ⅱ 何故、「エルサレムを離れないで」と命じられたのか?
エルサレムは、愛する主を奪い取り、憎しみの限りを尽くして主を処刑し、いやしくも主を見捨てた自分たちの卑怯さを露呈した敵陣。しかし主は、そうした町だからこそ「離れ」ずに、むしろ宣教拠点として愛の実践をと命令!!
エルサレムの滅びを知ってむせび泣くお方だからだ。
※ 「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈られた主」の道に歩むようにとの招きに従う弟子でありたいと。
今朝、主が弟子たちに《 聖霊を受けてから主の復活の証人として宣教命令を 》と告げて昇天された記事に注目を!!
この記事を学ぶに当たって、勿論常の姿勢であるべきだが、敢えて言う!! 9節 「雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった」昇天時に告げられたおことばをいい加減な気持ち【これまでの弟子たちがそうであったように、復活について、神の国について語られても、語られる主の熱意・真剣さをよそに、自らの内を肉的思いに占領させたままの聞き方】ではなく、真面目で真剣な姿勢で聴きたい。
主が復活されてから、マグダラのマリアにも同様現れた※10節 「白い衣を着た二人の人」が、11節 「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります」と告げられたおことば、これは《 主の再臨の予告 》である。
私たちは、復活を待たなかった弟子たちを何故? などと呑気に言うことは許されない。私たちは今日、厳粛にも予告されている《 主の再臨 》を待ち焦がれている者らしい日々を送っているだろうか? を、真剣に問われなければならない。
折しも、最近、『黙示録セミナー 終末編』テキストが届けられ、皆さまには『Omega Japan News Letter ' Bride ' 』を98号から入手してお渡ししているが、99号からの『黙示録シリーズ』の開始時期に出会わせて頂いた。
そこには、ヨハネの黙示録のテーマは、キリストの再臨にあると明確にし、再臨を知ることの重要性が扱われている。
cf. プリント「黙示録のテーマ キリストの再臨」
参:『黙示録セミナー 終末編』テキスト
「黙示録シリーズ Vol.1」 栄子・スティーブンス
1章7節 「見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は 彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン」。
☆ キリストの初臨は、一部の人々しか見ることができなかったが、再臨はすべての人々が見る ・・・ということについて。栄子氏曰く “ 1969年に、私はアメリカで人間が月の上を歩くのを見ました。世界中の人々が同時にそれを見ていたのです。また、2001年9月11日に、ニューヨークのツインタワーが崩れていくのをイスラエルで見ていました。世界中の人々が、同時にそれを見ていたのです。しかし、これから後の社会では今現在よりもテクノロジーが発達し、全世界の人々がイエス・キリストの再臨を同時に見ることができます ” と。
☆ 聖書に見る再臨の重要性
ⅰ 新約聖書で、一番多く語られているのが信仰について、二番目が再臨について。
ⅱ キリストの来臨の預言333のうち、初臨109、再臨224。
再臨の預言は初臨の二倍以上、初臨の預言はすべて成就。
ⅲ 聖書の筆記者約40人のうち、半数以上の筆記者が再臨に関して語っている。
ⅳ 新約聖書の約7959節中、300節以上で再臨に言及(25節に1節の計算)。初臨の8倍。キリストご自身も、再臨について21回言及。
合わせて、黙示録1章3節に留意を!! と。
へブル9章26b~28節、ルカ21章20~36節。
この再臨に備える信仰について
① 主の直接的勧告 マタイ25章1~13節
13節 「ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから」とあるが、目を覚ました在り方が重要。
3、4節 「愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を持って来ていなかった。賢い娘たちは自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていた」。ともしびとは、外見上キリスト者らしい形を取っている状態。油を持っているのか? いないのか? 内住の聖霊に一切の主導権を明け渡し、取りも直さず「神の国」を内に実現していること!!
② ペテロによる勧告 第二ペテロ3章全
11、12a節 「・・・どれほど聖なる敬虔な生き方【品性】をしなければならないことでしょう。そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません」、14節 詳訳 「・・・待ち望んでいるのですから、主の来臨の時に傷もしみもなく、平和のうちにある静かな確信のうちにあり、恐怖や荒れ狂う激情や心の葛藤がない者として、主に見て頂けるように励みなさい」。
※ こうした勧告は、徹頭徹尾、主が昇天直前に約束された《 力である聖霊を 》受けることによってのみ現実的な準備となる。聖霊を受ける在り方は、内住の聖霊に明け渡された状態をもって生きることに他ならない。この一点に留意を!!
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