ヨハネの福音書19章17~22節
先週は、遂にピラトが※16節 「イエスを十字架に・・・引き渡した」という彼にとって最も恐るべき悲劇的場面に注目した。
罪とは、何か? を見る。ピラトは《 主は無実 》と知りつつも自己愛に縛られ、1節 「それでピラトは」と、18章40節で主の極刑を狂わんばかりに求めるユダヤ人の勢いに身震いし、完全に屈服して「むちで打った」と出たことには、如何に彼が内心、どれ程自己矛盾に怯えているかの現れを見る。
ピラトの悲劇は、彼の手で辱められながらも毅然とした態度で対応される主によって、いよいよその深刻さを増す。
ⅰ ピラトの前の主: 鞭打たれて後、2、3節の茶番劇による惨めさに加え、6、15 節 「十字架につけろ」の罵声を浴びるがままの主。9節a’ 「あなたは・・・」との質問には、9節b’ 「何も」と冷静に。10節に対する※11節で、彼の無知を窘たしなめた権威と、ユダに言及する彼への憐れみのみの主。
ⅱ 主の聖前のピラト: 権威ある判決を下せずに唯、8節 詳訳 「前よりももっと・・・〈畏怖 --- 威圧され、恐れ慄いた〉」。それは、自らの恐れの内的問題に主を求めず、自分以外の所に助けを求めるのみだから ⇒ 6節cでユダヤ人に懇願し、判決が下せないのは、あなたのせいだと言わんばかりに10節 「私に話さないのか」と主に懇願する自己逃避に。恐れは、12節 「釈放しようと努力した」としても、その出所の根・自己愛にメスを入れずしては決して解消しない。
遂に彼は、12c、15c 節との絶叫に屈服し、遂に、16節 「イエスを十字架につけるために彼らに引き渡した」のだ!!
※ 「主イエスよ我を全くし」と祈り、主の血潮に与りたいと!
今朝は、遂にピラトからユダヤ人の手に引き渡された主が、17節 「自分で十字架を負って、『どくろの場所』と呼ばれるところに出て行かれ」、18節 「その場所で・・・十字架につけ」られた場面を凝視しなければならない。
主が、この受難週の初めに、12章27節 「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ、この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。父よ、御名の栄光を現してください」と祈られた《 極刑の丘に臨まれた場面 》に、である。
ヨハネが言葉の少ないことが印象的!! 主の十字架の死を見届けた唯一の弟子として簡単に描けない情景だったから?
主がピラトの裁きの場からゴルゴダへ「自分で十字架を負って」歩かれた道程は、距離にして360m。死刑囚は自分たちの死刑の道具を処刑場まで運ばなければならなかった。
距離にしてたった360mのことだが、実に濃密な時間が!!
マルコ15章21節 「兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた」との言及から、主には担い切れなかったのだ。それもその筈、ゲツセマネでの捕縛以来、夜通しの尋問と拷問攻めの主。
イザヤ53章7節 「彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと」とある光景がここにある。
ゴルゴダ(ヘブル語)、カルバリ(ラテン語)に向かう道に進む為、城外に出る扉が開かれるや否や、主は他の極悪人二人と共に、死刑囚を一目見ようと群がる雑多な人々に迎えられたであろう。悪意に満ちた口汚ない罵声が飛び交う中を主は、360mの道程に歩を進められた。
ゴルゴダ処刑後も途切れることがなかった罵声である。
しかし今朝は、その様な残酷極まりない状況下にあられても尚、主が放たれた輝きに注目したい。それを・・・
① クレネのシモンにもたらした祝福に。
ヨハネは、他の福音書に委ゆだねて記録がないが、マルコ15章21節には、その途中十字架を担い切れずに倒れられた主の肩から、止む無く取り上げられた十字架を無理やり背負わされシモンが登場する。「無理やり」とは、嫌がって抵抗したが強いて担わされたの意。ところが、「彼はアレクサンドロとルフォスの父で」とあり、ローマ16章13節に「主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また彼と私の母によろしく」とあることから、シモンの家族は救いに与るだけでなく、使徒パウロから「私の母」と呼ばれていることから、後には献身的に宣教に携わったと考えられる。
シモンは、いつ? 主の担われた十字架が自分の掛かるべき処刑の道具だと気づかされたのかは分からないが、担い切れずに み体を引きずりながらもゴルゴダに向かわれる主を それこそ至近距離で直接見、或いは御声を聞き、処刑された主を目撃し、十字架上の七言しちげんを聞いて立ち返っただろう。
② ルカ23章27、28節 「民衆や、イエスのことを嘆き悲しむ女たちが大きな一群をなして、イエスの後について行った。イエスは彼女たちの方を振り向いて言われた。『エルサレムの娘たち、わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい・・・』」と《 ご自身の為に泣くことを禁じられた厳格さ 》に。
主は、涙する群れの娘たちに気づかれて振り向かれたのは、彼女たちからの涙して同情する過ちを告げる為なのだ!!
仮に人の目に映る主が如何に悲劇的であろうと、主への感傷的でしかない涙であるならば、主は退けられる。主は気の毒なのではない。回避も可能であるが贖あがないの為だから。
むしろ、「自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい」と。裁判の座に着いたピラトが、マタイ27章24、25節 「おまえたちで始末するがよい」と言った時、「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に」との豪語に痛まれた主。
自らの神への反逆を悔いて「泣きなさい」とのお声!!
③ ピラトをして、22節 「私が書いたものは、書いたままにしておけ」と言わせた主の権威に。
ピラトの主への悔恨の念によるせめてもの命令では? 正に主の※18章36節 「わたしの国はこの世のものではありません」と言われた、証言の事実が支持されることになった。
ユダヤ人には いたたまれないことだが、主は勝利された。
※ へブル13章12、13節 「ですから私たちは・・・」に従いたい。
先週は、遂にピラトが※16節 「イエスを十字架に・・・引き渡した」という彼にとって最も恐るべき悲劇的場面に注目した。
罪とは、何か? を見る。ピラトは《 主は無実 》と知りつつも自己愛に縛られ、1節 「それでピラトは」と、18章40節で主の極刑を狂わんばかりに求めるユダヤ人の勢いに身震いし、完全に屈服して「むちで打った」と出たことには、如何に彼が内心、どれ程自己矛盾に怯えているかの現れを見る。
ピラトの悲劇は、彼の手で辱められながらも毅然とした態度で対応される主によって、いよいよその深刻さを増す。
ⅰ ピラトの前の主: 鞭打たれて後、2、3節の茶番劇による惨めさに加え、6、15 節 「十字架につけろ」の罵声を浴びるがままの主。9節a’ 「あなたは・・・」との質問には、9節b’ 「何も」と冷静に。10節に対する※11節で、彼の無知を窘たしなめた権威と、ユダに言及する彼への憐れみのみの主。
ⅱ 主の聖前のピラト: 権威ある判決を下せずに唯、8節 詳訳 「前よりももっと・・・〈畏怖 --- 威圧され、恐れ慄いた〉」。それは、自らの恐れの内的問題に主を求めず、自分以外の所に助けを求めるのみだから ⇒ 6節cでユダヤ人に懇願し、判決が下せないのは、あなたのせいだと言わんばかりに10節 「私に話さないのか」と主に懇願する自己逃避に。恐れは、12節 「釈放しようと努力した」としても、その出所の根・自己愛にメスを入れずしては決して解消しない。
遂に彼は、12c、15c 節との絶叫に屈服し、遂に、16節 「イエスを十字架につけるために彼らに引き渡した」のだ!!
※ 「主イエスよ我を全くし」と祈り、主の血潮に与りたいと!
今朝は、遂にピラトからユダヤ人の手に引き渡された主が、17節 「自分で十字架を負って、『どくろの場所』と呼ばれるところに出て行かれ」、18節 「その場所で・・・十字架につけ」られた場面を凝視しなければならない。
主が、この受難週の初めに、12章27節 「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ、この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。父よ、御名の栄光を現してください」と祈られた《 極刑の丘に臨まれた場面 》に、である。
ヨハネが言葉の少ないことが印象的!! 主の十字架の死を見届けた唯一の弟子として簡単に描けない情景だったから?
主がピラトの裁きの場からゴルゴダへ「自分で十字架を負って」歩かれた道程は、距離にして360m。死刑囚は自分たちの死刑の道具を処刑場まで運ばなければならなかった。
距離にしてたった360mのことだが、実に濃密な時間が!!
マルコ15章21節 「兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた」との言及から、主には担い切れなかったのだ。それもその筈、ゲツセマネでの捕縛以来、夜通しの尋問と拷問攻めの主。
イザヤ53章7節 「彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと」とある光景がここにある。
ゴルゴダ(ヘブル語)、カルバリ(ラテン語)に向かう道に進む為、城外に出る扉が開かれるや否や、主は他の極悪人二人と共に、死刑囚を一目見ようと群がる雑多な人々に迎えられたであろう。悪意に満ちた口汚ない罵声が飛び交う中を主は、360mの道程に歩を進められた。
ゴルゴダ処刑後も途切れることがなかった罵声である。
しかし今朝は、その様な残酷極まりない状況下にあられても尚、主が放たれた輝きに注目したい。それを・・・
① クレネのシモンにもたらした祝福に。
ヨハネは、他の福音書に委ゆだねて記録がないが、マルコ15章21節には、その途中十字架を担い切れずに倒れられた主の肩から、止む無く取り上げられた十字架を無理やり背負わされシモンが登場する。「無理やり」とは、嫌がって抵抗したが強いて担わされたの意。ところが、「彼はアレクサンドロとルフォスの父で」とあり、ローマ16章13節に「主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また彼と私の母によろしく」とあることから、シモンの家族は救いに与るだけでなく、使徒パウロから「私の母」と呼ばれていることから、後には献身的に宣教に携わったと考えられる。
シモンは、いつ? 主の担われた十字架が自分の掛かるべき処刑の道具だと気づかされたのかは分からないが、担い切れずに み体を引きずりながらもゴルゴダに向かわれる主を それこそ至近距離で直接見、或いは御声を聞き、処刑された主を目撃し、十字架上の七言しちげんを聞いて立ち返っただろう。
② ルカ23章27、28節 「民衆や、イエスのことを嘆き悲しむ女たちが大きな一群をなして、イエスの後について行った。イエスは彼女たちの方を振り向いて言われた。『エルサレムの娘たち、わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい・・・』」と《 ご自身の為に泣くことを禁じられた厳格さ 》に。
主は、涙する群れの娘たちに気づかれて振り向かれたのは、彼女たちからの涙して同情する過ちを告げる為なのだ!!
仮に人の目に映る主が如何に悲劇的であろうと、主への感傷的でしかない涙であるならば、主は退けられる。主は気の毒なのではない。回避も可能であるが贖あがないの為だから。
むしろ、「自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい」と。裁判の座に着いたピラトが、マタイ27章24、25節 「おまえたちで始末するがよい」と言った時、「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に」との豪語に痛まれた主。
自らの神への反逆を悔いて「泣きなさい」とのお声!!
③ ピラトをして、22節 「私が書いたものは、書いたままにしておけ」と言わせた主の権威に。
ピラトの主への悔恨の念によるせめてもの命令では? 正に主の※18章36節 「わたしの国はこの世のものではありません」と言われた、証言の事実が支持されることになった。
ユダヤ人には いたたまれないことだが、主は勝利された。
※ へブル13章12、13節 「ですから私たちは・・・」に従いたい。
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