聖日礼拝『ヨハネの福音書』より 60


ヨハネの福音書17章20~26節

 先週は、主ご自身の為の祈り後、弟子の為の祈りに注目。

ⅰ 弟子たちの為の祈りには、主が彼らに寄せておられる愛の深さ《 彼らへの厚い信頼、期待、確信 》が見られる。
 6節d 「あなたのみことばを守りました」、7、8節 「あなたから出ていることを、今【16章29、30節】彼らは知っています。・・・本当に知り・・・信じました」、10節b 「わたしは※彼らの中で栄光を受けました【感嘆の的】」と。今までの彼らの主の理解と態度は、主のお心を満たすものではなかった。が、11節の今、主の目には、彼らは次の為に最小限整えられたと評価された。
 主の※16章31節には、主の最も確認したかったこの一事に手応えを覚えられ、感極まった御思いの迸ほとばしりが伝わる。

ⅱ 弟子たちの為に祈られたこととは?
a. 11節 「お守りください」 ⇒ 12節に「滅びの子」の言及があるが、弟子たちに「互いの間に愛があるなら」と言われた主。宣教の担い手である弟子たちの間に少しのひび割れ状態もなく、聖父と御子との間にある一致をとの祈り。
b. 15節 「悪い者から守って下さること」 ⇒ 14節 「世は彼らを憎みました」に続く繋がりから、迫害による殉教死を予知される苦難からの解放ではなく、宣教の継続の祈り。
c. 17節 詳訳 「聖なる用に当てて、あなたの為に分離して下さい」 聖父に取り分けられた器として頂きたい。

ⅲ 主の弟子たちの為の祈りには、主の献身があったこと。
 19節は、弟子たちが《 聖父の為に取り分けられた生涯を送る為に 》先ず、主ご自身が聖父の為に捧げるとの告白。

※ 主の如く、互いの隣人の為に己を捨てた祈りを!! と。


 今朝は、17章の祈りを締め括る※20節 「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします」と《 弟子たちの宣教によって起こされる人々の為の祈り 》ペンテコステの日、先ず、エルサレムに福音が投じられたことに始まった宣教の実として 救われる人々を思い祈られた祈りに注目したい。

主が「わたしを信じる人々のため」に祈られた祈りから。

① 「彼らのことばによってわたしを信じる人々」と言われる主は、弟子たちをあくまでも信じ期待されたこと。

 主のこの確信は、弟子たちが仮に篩ふるいにかけられて躓くことになったとしても、ルカ22章32節 「しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と信任する愛による。
 ペテロが他の弟子たちを力づけるようになるだけでなく、必ずや、ローマ帝国に屈することなく、又、福音を最早恥じることなく、命がけで宣教し、多くの人々を救いに導くとの確信である。
 かつての迫害者サウロも、主の彼を信じ期待する愛の故に宣教者パウロとされた。使徒9章15節 「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器」となった。パウロ自ら、第一テモテ1章12節 「主が私を忠実な者【信任に値する者】と判断し【数え】」と主の憐みによる愛と回顧している。
 主への反逆がどれ程のものであれ、ペテロに見たあの「激しく泣い・・・ ルカ22章62節」て打ち砕かれた涙、主の目に「彼はそこで祈っています。使徒9章11節」と映ったダマスコ途上でのパウロに見た打ち砕かれた涙を見届けられる時、主の目はその魂を愛によって信任するとの証である。

② 21節 「あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるため」とのこの目的達成の為に必要とされる《 弟子たちの霊的必要 》を求められたこと。

 実は、ここに《 宣教の鍵 》が説き明かされている。
 即ち、主を信じる人々が起こされるには、「全人類を救って下さい」ではなく、「弟子たちを【私を】より御心に叶う者と整えて下さい」の祈りに導かれるべきであると。この在り方においても主は、先ず模範を示しておられる。
 19節 「わたしは彼らのため、わたし自身を聖別します【聖父の御心に叶って自らを聖なるご用に捧げます】」にも見たように、唯、弟子たちが聖父の御心に叶って主のご用に分離されますように、とだけの祈りではなかった。
 21節aでも「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように」との寸分違わずの霊的一致を告白されての、21節c 「彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください」なのだ。
 22節bでも「わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです」と告白のために、22節a 「あなたが下さった栄光を彼らに与えました」と。
 23節でも「わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです」と。
 26節 「・・・あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるように・・・」にも見る。

 主はご自身の聖父への従順による一致を告白されてから、弟子たちの霊的必要を祈られたのが、この《 弟子間における霊的一致 》である。弟子たちの一致こそ、宣教の結実の大前提なのだ。その結果、21節 「あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようにな」り、23節 「あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知る」となる、この霊的一致とは?
 エペソ4章3節 詳訳 「・・・御霊が作り出してくださった御霊の調和【一致】を守る【保つ】ことに熱心になり【真剣に努力し】なさい」とあり、2、3節 「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて」の全ては、御霊によってもたらされるのだ。
 互いの間にあった肉のままの弟子たちが、聖霊の注ぎによって扱われ、十字架による赦しと清めに与りながら、聖霊の満たしを受けることによって与えられた霊的一致。
 この霊の一致は、エペソ4章12~16節 「キリストの満ち満ちた身丈にまで達する・・・ かしらであるキリストに向かって成長する・・・ 愛のうちに建てられることになります」と。

※ 弟子間の愛の一致こそ宣教の鍵と覚え、今、世界的規模の危機に在って、先ず私を教会を霊的一致にとの祈りを!!

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