ヨハネの福音書1章29~34節
先週は、6~8節に登場するバプテスマのヨハネが唯、「まことの光」である主を証しするために遣わされた人物であるということと、彼の立ち位置こそ、キリスト者の立ち位置であることとを学んだ。
その立ち位置については、「荒野で」明確な召しに与るや働きを始めたB・ヨハネを問題視する宗教家たちから、質問攻めに遭遇することになるが、20節 「ヨハネはためらうことなく告白し、『 私はキリストではありません 』 と明言した」姿勢から学んだ。
ⅰ 自己否定における潔さ。
キリストに帰せられるべき栄誉を、ほんの少しのことからでも自らに帰せられることのないようにとの注意深さである。その為に 《 救い主と自らの関係性 》 を明確にした。
23節 「私は・・・ 『 ・・・荒野で叫ぶ者の声 』 」にすぎないと断言し、26、27節 「その方の履き物のひもを解く値打ちもありません」と、僕の役割ですら与り得ない者だとする謙遜さ。
ⅱ 21節 「 『 それでは、何者なのですか。あなたはエリヤですか。』 ヨハネは 『 違います 』 と言った・・・」 《 神の誉れにのみ生きる 》 高潔さ。
確かに彼は、マラキ4章5、6節で予告されていた人物。しかし、彼らにその者だと言ったところで、唯、反抗的な態度を取らせるだけとの賢明な判断の下、その事実を明かす必要なしとし、主に委ねて淡々と自らに与えられた使命を果たすことにのみ専念すべきとする弁え。
※ パウロの告白同様、ガラテヤ6章14節 詳訳 「このキリストを通して・・・死にました」の告白に生きる者でありたい、と。
今朝は、宗教家たちからの詰問に対応した翌日のこと、29節 「ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。『 見よ、世の罪を取り除く神の子羊 』 」と叫んだバプテスマのヨハネの、信仰の姿勢に学びたい。
誰がそこに居合わせていたのか? 翌日、35節 「ヨハネは再び二人の弟子とともに立っていた」とあることから、名前を伏せている使徒ヨハネは、40節 「アンデレ」と居たと考えられる。この二人は、再度、B・ヨハネの、36節の「見よ」との指差しによって、主の最初の弟子となるが、この「見よ」に掛けたB・ヨハネの思いを、私たちはどの程度理解し、その思いに近づけるだろうか。主の出現を待ち望みながら、来る日も来る日も情熱を傾けて来た たった一つの使命感が、この「見よ」に込められているのだ。たった一つの使命とは、8節 「彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来た」ことだが。
B・ヨハネが実に、「証しするため」との一事に掛けていたとする真価は 《 アンデレと使徒ヨハネ、次いで三人が主の弟子として従うことになる 》 この動きを喜び、3章26~30節 「 『 ・・・皆があの方のほうに行っています。』 ・・・あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません」と、ここにある。先ず愛弟子たちが、更には皆が、「あの方のほうに」という現象を至上の喜びとし、生き甲斐だとするところに明白なのだ。
B・ヨハネについて考えた際、彼の立ち位置こそ、主の証人であるキリスト者の立ち位置だと学んだが、彼をして確実に人々を主に導いた信仰に学んで Message としたい。
B・ヨハネが、30節 「私の後に一人の方が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです」と言っているのは、1章1節 「初めに」の意味で、神ご自身だとの礼拝の告白である。肉体的誕生においては、主の母マリアへの受胎告知で御使いから、「・・・今はもう六か月です。 ルカ1章36節」と言われており、主より半年先に誕生しているのだから。
又、31、33節 「私自身もこの方を知りませんでした」とは?
面識がなかったということではなく、主の母マリアが受胎告知後、三か月身を寄せたのが、彼の両親の許だった関係から、公的生涯に導かれるまで互いの30年の間の何処かの時点で接触があったと考えるのが妥当ではないか。従って、互いの誕生の経緯をそれぞれの両親から聞かされてもいる筈。とするならば、この「知りませんでした」とは、厳密に考えて、何を意味しているのだろうか?
B・ヨハネが言った、33、34節 「・・・知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けるようにと私を遣わした方が、私に言われました。『 御霊が、ある人の上に降って、その上にとどまるのをあなたが見たら、その人こそ、聖霊によってバプテスマを授ける者である。』 私はそれを見ました。それで、この方が神の子であると証しをしているのです」に示唆が。
両親から聞くことによって? 主と直接面識を持ったから? でもなく、B・ヨハネは淡々と為すべき分を果たしつつ、主からの直接的な顕現に与ることによって知ったのだ。
主の先駆者という途方もない責務を遂行するのに、神は人類の贖いという大事業の為、責任を持ってB・ヨハネに臨まれ、彼は確固たる信仰に導かれたのだ。さながら、出エジプト事業に召されても、自らの無力さを理由に何度も辞退するモーセを、顕現による派遣に導いたのに同様!! 知識的納得によってではなく、圧倒的権威に裏付けられての派遣に与った。
B・ヨハネは、これまで聞いて信じて来た主への確信をより鮮明にさせられ、強固なものにさせられ、遂に、29節 「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」との宣言をもって福音のメッセージを叫んだ。B・ヨハネをして、殉教死をもってその使命を全うさせた原動力は、この確信だった。私たちの宣教の原動力も又、この確信なのだ。ヨハネは、近付いて来られる主を・・・
① 屠られる「子羊」としての生涯を生きるべく祭壇に向かって、一大決意を固められたお方として見た。
全人類の身代わりの死を遂げる為に、無傷の子羊として、「今、わたしはここに来ております。・・・神よ、あなたのみこころを行うために。 へブル10章7節」との決意を新たに!!
② 屠られる「子羊」として捧げられた暁には、34節 「聖霊によってバプテスマを授ける」お方として見た。
単に犯した罪の赦しに留まらず、罪の性質・腐敗性の全てを焼き尽くす聖霊を注いで、聖霊を住まわせて新しい人とし、全人類をご自身の為に買い取るお方との体得!!
※ この「見よ」は、世に宣言すべきお互いの叫びと覚えたい。
先週は、6~8節に登場するバプテスマのヨハネが唯、「まことの光」である主を証しするために遣わされた人物であるということと、彼の立ち位置こそ、キリスト者の立ち位置であることとを学んだ。
その立ち位置については、「荒野で」明確な召しに与るや働きを始めたB・ヨハネを問題視する宗教家たちから、質問攻めに遭遇することになるが、20節 「ヨハネはためらうことなく告白し、『 私はキリストではありません 』 と明言した」姿勢から学んだ。
ⅰ 自己否定における潔さ。
キリストに帰せられるべき栄誉を、ほんの少しのことからでも自らに帰せられることのないようにとの注意深さである。その為に 《 救い主と自らの関係性 》 を明確にした。
23節 「私は・・・ 『 ・・・荒野で叫ぶ者の声 』 」にすぎないと断言し、26、27節 「その方の履き物のひもを解く値打ちもありません」と、僕の役割ですら与り得ない者だとする謙遜さ。
ⅱ 21節 「 『 それでは、何者なのですか。あなたはエリヤですか。』 ヨハネは 『 違います 』 と言った・・・」 《 神の誉れにのみ生きる 》 高潔さ。
確かに彼は、マラキ4章5、6節で予告されていた人物。しかし、彼らにその者だと言ったところで、唯、反抗的な態度を取らせるだけとの賢明な判断の下、その事実を明かす必要なしとし、主に委ねて淡々と自らに与えられた使命を果たすことにのみ専念すべきとする弁え。
※ パウロの告白同様、ガラテヤ6章14節 詳訳 「このキリストを通して・・・死にました」の告白に生きる者でありたい、と。
今朝は、宗教家たちからの詰問に対応した翌日のこと、29節 「ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。『 見よ、世の罪を取り除く神の子羊 』 」と叫んだバプテスマのヨハネの、信仰の姿勢に学びたい。
誰がそこに居合わせていたのか? 翌日、35節 「ヨハネは再び二人の弟子とともに立っていた」とあることから、名前を伏せている使徒ヨハネは、40節 「アンデレ」と居たと考えられる。この二人は、再度、B・ヨハネの、36節の「見よ」との指差しによって、主の最初の弟子となるが、この「見よ」に掛けたB・ヨハネの思いを、私たちはどの程度理解し、その思いに近づけるだろうか。主の出現を待ち望みながら、来る日も来る日も情熱を傾けて来た たった一つの使命感が、この「見よ」に込められているのだ。たった一つの使命とは、8節 「彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来た」ことだが。
B・ヨハネが実に、「証しするため」との一事に掛けていたとする真価は 《 アンデレと使徒ヨハネ、次いで三人が主の弟子として従うことになる 》 この動きを喜び、3章26~30節 「 『 ・・・皆があの方のほうに行っています。』 ・・・あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません」と、ここにある。先ず愛弟子たちが、更には皆が、「あの方のほうに」という現象を至上の喜びとし、生き甲斐だとするところに明白なのだ。
B・ヨハネについて考えた際、彼の立ち位置こそ、主の証人であるキリスト者の立ち位置だと学んだが、彼をして確実に人々を主に導いた信仰に学んで Message としたい。
B・ヨハネが、30節 「私の後に一人の方が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです」と言っているのは、1章1節 「初めに」の意味で、神ご自身だとの礼拝の告白である。肉体的誕生においては、主の母マリアへの受胎告知で御使いから、「・・・今はもう六か月です。 ルカ1章36節」と言われており、主より半年先に誕生しているのだから。
又、31、33節 「私自身もこの方を知りませんでした」とは?
面識がなかったということではなく、主の母マリアが受胎告知後、三か月身を寄せたのが、彼の両親の許だった関係から、公的生涯に導かれるまで互いの30年の間の何処かの時点で接触があったと考えるのが妥当ではないか。従って、互いの誕生の経緯をそれぞれの両親から聞かされてもいる筈。とするならば、この「知りませんでした」とは、厳密に考えて、何を意味しているのだろうか?
B・ヨハネが言った、33、34節 「・・・知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けるようにと私を遣わした方が、私に言われました。『 御霊が、ある人の上に降って、その上にとどまるのをあなたが見たら、その人こそ、聖霊によってバプテスマを授ける者である。』 私はそれを見ました。それで、この方が神の子であると証しをしているのです」に示唆が。
両親から聞くことによって? 主と直接面識を持ったから? でもなく、B・ヨハネは淡々と為すべき分を果たしつつ、主からの直接的な顕現に与ることによって知ったのだ。
主の先駆者という途方もない責務を遂行するのに、神は人類の贖いという大事業の為、責任を持ってB・ヨハネに臨まれ、彼は確固たる信仰に導かれたのだ。さながら、出エジプト事業に召されても、自らの無力さを理由に何度も辞退するモーセを、顕現による派遣に導いたのに同様!! 知識的納得によってではなく、圧倒的権威に裏付けられての派遣に与った。
B・ヨハネは、これまで聞いて信じて来た主への確信をより鮮明にさせられ、強固なものにさせられ、遂に、29節 「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」との宣言をもって福音のメッセージを叫んだ。B・ヨハネをして、殉教死をもってその使命を全うさせた原動力は、この確信だった。私たちの宣教の原動力も又、この確信なのだ。ヨハネは、近付いて来られる主を・・・
① 屠られる「子羊」としての生涯を生きるべく祭壇に向かって、一大決意を固められたお方として見た。
全人類の身代わりの死を遂げる為に、無傷の子羊として、「今、わたしはここに来ております。・・・神よ、あなたのみこころを行うために。 へブル10章7節」との決意を新たに!!
② 屠られる「子羊」として捧げられた暁には、34節 「聖霊によってバプテスマを授ける」お方として見た。
単に犯した罪の赦しに留まらず、罪の性質・腐敗性の全てを焼き尽くす聖霊を注いで、聖霊を住まわせて新しい人とし、全人類をご自身の為に買い取るお方との体得!!
※ この「見よ」は、世に宣言すべきお互いの叫びと覚えたい。
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