聖日礼拝 『ルカの福音書』 より 103


《 待降節Ⅲ 》
ルカの福音書23章26節

先週は、大祭司の家での拷問後、エルサレム最高法院に連行された主が、ローマ法廷の座に臨まれた ※ 12節 「この日、ヘロデとピラトは親しくなった」との動きから、ローマ帝国にとって 《 主をどう扱うか 》、パウロが言った「・・・このことは片隅で起こった出来事ではありませんから・・・王様がお気づきにならなかったことはない」と迫ったこの言葉と合わせて、全ての人々は責任ある態度が問われていると考えた。

ⅰ 主を取り囲む人々について。
a. 巧妙に罪状を突き付ける最高法院の全議員たち。主の死刑の決定を求め、ローマ政府にとって最も脅威となる政治的告発を企て、2節で三つのローマ帝国への反逆罪に当たるとして出た。主への嫉妬を動機としての殺害計画である。
b. 裁判の最高権威者として立っている総督ピラト。幾度も、「この人には、訴える理由が何も見つからない」としつつも、野望と名誉心の故に総督の立場にしがみつき、総督の執行すべき責任を放棄し、最も不正で悪質な判定を下した。
c. ガリラヤの国主ヘロデ・アンティパス。9節で悪質な好奇心による質問攻め。その好奇心が満たされなかった時には ※ 11節で主への野蛮な反逆心を露わに。

ⅱ 自らの野望に生きる人々からの裁きを受けている主は、毅然たる態度で、イザヤ 53章11節 「自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足」されるお方。

※ 私たちは、主に対してどのような態度を取るのか ? 人に対する扱いをもって主への扱いの如何が裁かれるお互いも又、責任を問われる事実に留意したい、と。


今朝は、議員たちの妬みから主を死刑にとせがんだ力に屈服したローマ法廷の最高責任者ピラトが、遂に主を死刑執行人に引き渡し、主を処刑場に引いて行く場面である。
処刑場については、33節 「 『 どくろ ⇒ ゴルゴダ( アラム語ではどくろを意味する音訳 )、カルバリ( ラテン語 ) 』 と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた」と言及されているが、木曜日の最後の晩餐を立ち上がられてからの翌金曜日の処刑に至るまでの道筋を辿ると位置が分かる。cf. プリント 《 エルサレムのイエス 》
道のりとしては、数百メートルだろうか ? 距離的に長いとは言わないかも知れないが、その道のりが如何に厳しく酷く、主には耐えられない程の一歩一歩だったかが分かる。
言うまでもなく、死刑の道具は死刑囚がそれぞれ担うものである為、主も又、担わされた訳だが、主だけは処刑場へ行く途中、「田舎から出て来たシモンというクレネ人」が代わりに主の十字架を担う事態となった。目的地に辿り着く前に、主が死ぬことがないようにと考えたのだろう。
それもその筈。他に十字架を担う二人の囚人がいたが、彼らとは違い、主は裁きの座で拷問を受けておられたのだ。木曜日の夜の大祭司の家での拷問( 22章63節 )に続き、23章16、22節にあるピラトによる拷問、25節b 「他方イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた」とある。
拷問に使われるむちは、残忍な道具だったとされ、短い皮ひものむちで、そのむちの先端には金属や鋭い骨が括( くく )りつけられ、一振りごとに体に食い込み、肉は引き裂かれる。

兵士たちに道中むち打たれながらゴルゴダに向かう囚人たちの中で、ひときわ目立っているのが、血みどろで惨めな極悪人としての扱いを受けつつ歩いておられた主である。
イザヤ書の53章7~9節 「彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠( ほふ )り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと・・・」とある記事は、この情景である。
私たちは人々から蔑まれながらゴルゴダに向かわれる主と、現在、歩みを共にしているだろうか ?
実に、私に代わって歩んでおられる主なのだが、私は ?
ここで注目したい。見せ物になっている囚人たちを一目でも見ようと群がる人々の中にいた一人の人、「シモンというクレネ人」にである。他の福音書では、彼が「無理やり背負わ」された人として出て来ることから、彼にとっては 《 とんでもないこと、滅相もないこと 》 としか考えられず、かなり抵抗したことが伺えるのでは ?
彼は、北アフリカからの旅人で、主を見るのも初めてだったであろうし、十字架で処刑される人物との関わりを一体何処の誰が好むというのだ !! 実際、いる筈もないこと !! 何故私が !! と。 
まさか、私たちまで、彼と同じように感じることはないと信じたいが、あえてどうだろうかと、自問自答したい。
たとえば、私たちが悉( ことごと )く主の御心を優先し、主を選択する生活上、主が覚えられた孤独感を味わうことがあるとしよう。
主に従うなら必然的に、主への世の処遇は私にも同様 !!
ある意味で、このシモンは信仰とは無縁だったにも拘らず、そのような事態に遭遇したのだ。シモンが死に物狂いで抵抗するのは当然なのだ。しかし兵士たちからの強引な選びには抵抗出来なかった為、背負わざるを得なくされた。

しかし私たちは、主と共に【他ならぬ、私たちに代わっての屈辱の十字架なのだが】、主に代わって十字架を背負ったシモンが永遠的祝福に与ったことをもって激励としたい。
マルコの記述によると、「アレクサンドロとルフォスの父」とあり、その名を知られるキリスト者となっていたと伝えているからである。「ルフォス」は、ローマ人への手紙 16章13節 「主にあって選ばれた人」と出て来ており、「また彼と私の母」とあるのは、十字架を背負ったシモンの妻であり、パウロに献身的に仕えた人物として出て来ているのだから。
「十字架を無理やり背負わ」されたシモンとその家族は、何という恵み !! 救いに与ったのだ !!
恐らく十字架に処刑される主とは直接的に顔を合わせる機会を得、十字架上での主のおことばにも触れて、主に立ち返ることになったのだ !! シモンは後、むしろ自らが囚人として負うべきだった十字架から逃れようとしたことを悔いて、主を仰いだに違いない。本来、どれ程の屈辱を受けることがあったとしても、当然だとの信仰で、主に感謝しつつ、買って出るべきとして、信仰を新たにしたい。

※ へブル 13章11~16節 「ですから私たちは・・・」に従いたい。

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