2018年11月24日

聖日礼拝 『ルカの福音書』 より 95


ルカの福音書22章1節〜6節

先週は、オリーブ山での 《 終末を予告する説教 》 に学んだ。
これまでも触れられた 《 エルサレム滅亡の予告に重ねて、将来的ご自身の再臨を見据えて語られた 》 説教である。
8節、偽キリストの出現/9、10節、戦争や暴動/11節、地震、飢饉や疫病、恐ろしい光景や天からの大きなしるし/12節、迫害/20、24節、異邦人によるエルサレム包囲と異邦人に踏み荒らされる事実/25、26節、天変地異であり、規模、発生頻度において深刻化し、諸現象の影響力の甚大さにおいて、極めて今日的に現実問題であると。
こうした事実を前に鳴らされている警鐘として・・・

@ 言及されている 《 時 》 を弁( わきま )えるべきこと。
a. 20節 「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい」、24節b 「異邦人の時が満ちるまで【異邦人のこの世の権力が支配する全期間】、エルサレムは・・・踏み荒らされます」。A.D.70年ローマ軍によるエルサレム神殿の崩壊とユダヤ人離散と同時に、主の再臨を意味する。cf. 別プリント【ユダヤ人の国か民主国家か】
b. 22節 「報復の日々だからです」 ⇒ 20章16節の成就。

A キリスト者として心得るべきこと。
a. 12〜19節、迫害の覚悟と自分の命を勝ち取るべきこと。
b. 25〜28節、神の約束に堅く立ち、36節bの、絶えざる神との交わりに生きるべきこと。
c. 34節、生活【交際関係 ? 思い煩い ?】の吟味。「罠」となる。

※ 宮の美しさに感嘆しても( 5節、マルコ 13章1節 )、形ある物の完全な破壊を宣言し、成就されるお方を恐れたい、と。


今朝は、主が二日後には弟子たちとの最後の晩餐を予定しておられる頃、その主を取り囲む周囲の状況に注目したい。
2節には「祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を探していた。彼らは民を恐れていたのである」とあるが、かなりの苛立ちを露わに騒然となって来ている。
エルサレム入京の光景を思い出して頂きたい。
19章37〜40節で、棕櫚( しゅろ )の葉を手にする大勢の民衆たちが「自分たちが見たすべての力あるわざについて、喜びのあまりに大声で神を賛美し始めて、こう言った。『 祝福あれ、主の御名によって来られる方、王に。天には平和があるように。栄光がいと高き所にあるように。 』 」と、主が歓呼の声をもって迎えられた時、我慢の限界を超え、「先生、あなたの弟子たちを叱ってください」と言わざるを得なくされた。
その時、何と !! 彼らは逆に主から窘( たしな )められることに。
彼らの内心は日頃から募る嫉妬心に火がつき、主への殺意が頂点に達しつつあるのだから。
その後の彼らの努力も甲斐なく、ヨハネの福音書 11章47、48節 「われわれは何をしているのか。あの者が多くのしるしを行っているというのに。あの者をこのまま放っておけば、すべての人があの者を信じるようになる。そうなると・・・」と煩うばかり。
19章47、48節 「・・・イエスを殺そうと狙っていたが、何をしたらよいのか分からなかった」、20章19、20節 「・・・イエスに手をかけて捕らえようとしたが、民を恐れた。さて、機会を・・・」であり、主に接近すればする程、主は力を増し、彼らは衰退の一途を辿り、惨めになっていく。

その彼らに、うってつけの人物が現れたのだ。
その人物が、22章3節 「十二人の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダ」であり、彼の申し出は願ってもない。5節 「彼らは喜んで」とは、これで主の殺害を確信出来たからだ。
イスカリオテが「十二人の一人」だったと明記されていることに、聖霊の憂い、悲しみを読み取れないだろうか。
その憂いとは、主が徹夜の祈りをもって選出された器だったにも拘らず、次代の宣教を委( ゆだ )ねるべく訓練を施された器だったにも拘らず、主からの特権を退けた 《 ユダの後ろ姿を嘆き悲しまれる深い 》 主ご自身のみ思いである。
ユダの名が「主を褒め称える」の意でもあると考える時、両親の期待をも裏切ることになるのだが !!
何がユダをしてこの 《 悲劇的で大それた行動に出させた 》 のかを解くのに、3節 「ユダに、サタンが入った」が鍵である。 

@ サタンの介入について。

ヨハネの福音書は、ユダにサタンが入ったことには、段階的な見方で伝えている。13章2節 「悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた」、その後、最後の晩餐の席でのこと、13章27節 「ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った」と。
ルカが伝えたかったことは、これだけの罪を犯すのに、そこに至るまで、絶え間なく主に敵対するサタンの存在である。ヨハネは、この恐るべき事実をより正確に、時間的流れのあったことを伝えている。
サタンは神の子たちを、神との関係を羨( うらや )み、隙あらばその関係に溝を作り、破綻させることを目的として誘惑する。
エバに神への不信感を抱かせ、そそのかして禁断の木に興味を抱くよう誘い込んだ。「そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ・・・ 創世記 3章6節」たことに顕著。

A サタンの介入は避けられないが、もしユダが初めに感じた 《 肉性の事実を黙認し、放置し続けさえしなければ 》 抜き差しならぬ結末には至らなかったが、ユダは・・・。

ユダの肉性は、ヨハネ 12章1〜8節の 《 ナルドの香油を惜しげなく主に注いだマリアの献身 》 によって露呈された。
同 6節には「盗んでいた」とあるが、もう既に誘惑に負けていたにも拘らず不正直に秘めており、その穴埋めの為であるにも拘らず偽善を装って、香油を注ぐマリアを咎( とが )め出る彼の貪欲には歯止めが利かない。洞察しておられる主からの叱責に嫌気がさし、悔い改める姿勢は皆無。
ヤコブの手紙 1章15節 詳訳 「悪い欲望が身ごもると、罪を生み出し、罪は成熟して死をもたらすのです ⇒ サタンの誘いに同意する時、罪が生まれる」のだ。光に従わない時、誘惑の餌食になる。悪意を抱きつつも 《 しらを切って 》 最後の晩餐の席に臨むユダの結末は、闇であっても当然なのだ。

※ 良心に従わない末路の恐ろしさをユダに見て警戒を !!

posted by luckyfachan at 16:32| Comment(0) | ルカの福音書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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