聖日礼拝 『ルカの福音書』 より 87


ルカの福音書19章45、46節

先週は、半年間に及ぶエルサレム行きの旅に終わりを告げ、遂に十字架刑に臨まれる受難週の始まりの日に入った。
主の入京は、39節 「するとパリサイ人のうちの何人かが、群衆の中からイエスに向かって、『 先生、あなたの弟子たちを叱ってください 』 と言」わせる程の爆発的熱狂振りだったが、主はこの入京に際してだけは、ご自身のメシアであるとの立場を明確になさりつつ、毅然とした態度( ※40節 )で、彼らのことばを退けられ、エルサレムを思う思いで胸を熱くしておられるお姿が印象的な場面に注目した。

ⅰ 41節 「この都のために泣」かれる主。
この 《 泣いた 》 は強い動詞で、号泣とすすり泣きだと学んでいるが、背後から聞こえる人々の歓喜の声も “ 十字架につけろ ” の声に間もなく変わると知りつつ、それが熱狂的であればある程、その無知に苦しまれての涙なのだ。

ⅱ 主の号泣は、頑( かたく )なな彼らの結末を思っての涙。
42節 「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら―。しかし今、それはおまえの目から隠されている」、44節 「神の訪れの時を、おまえが知らなかった」とは、彼らが「平和【コリント第二 5章17~19節】に向かう道」を聞いていなかった訳ではない、唯、平和への和解のことばを退けたことによる。ルカの13章34、35、にも主の嘆きが吐露されているが、最後の最後の機会をも頑なに退ける者への嘆き !!
19章43、44、は、自らの罪を悔い改めなかった彼らの末路の予告であり、A.D.70年に現実となったと歴史は伝えている。

※ 今も「平和への道」を拒絶する全人類への涙と覚えたいと。


今朝は主が、救い主としてエルサレムへの入京を明白にされて後、最初に手掛けられた 《 宮清め 》 の意義を学びたい。

① 主のかねてからの重荷の証を意味する。

主による 《 宮清め 》 は先ず、公的生涯の初めで行っておられたと伝えている記事がある。
ヨハネの福音書 2章13~16節 「さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、鳩を売ている者たちに言われた。『 それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。 』 」と。
それは、ルカの2章41、42節を見ると、「イエスの両親は、過越の祭りに毎年エルサレムに行っていた。イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習にしたがって都へ上った」とあり、一週間エルサレムで過ごされたことに始まる重荷の吐露と考えられる。この十二歳は、成人男子と一緒に会堂に入ることが許される年齢である。この年齢から毎年祭りに上られながらその都度、エルサレムの町をご覧になり、神殿の腐敗した状態に憂いておられたからだ。
従って、この受難週における 《 宮清め 》 は二度目のこと。
公生涯の初めに続く、生涯最後の受難週に入られるや、直ちに手掛けられたのが 《 宮清め 》 だったのも、生涯を通して神殿の腐敗した状態に重荷を感じておられたからだ。

② 主の聖父への愛の証を意味する。

ヨハネの福音書 2章17節 「弟子たちは、『 あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす 』 と書いてあるのを思い起こした」とあるように、主の聖父への熱い思いの現れなのだ。
それは、ルカの19章46節 「彼らに言われた。『 わたしの家は祈りの家でなければならない 』 と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを 『 強盗の巣 』 にした。」という 《 聖父への冒涜を痛むという愛 》 による。イザヤ書 56章7節 「わたしの聖なる山( モリヤの山 )に来させて、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。・・・なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家・・・」 神殿が、卑しい場と化したことへの嘆き。
ルカ 19章45節 「イエスは宮に入って、商売人たちを追い出し始め」たことを、マルコの福音書 11章15、16節は、「・・・その中で売り買いしている者たちを追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。また、だれにも、宮を通って物を運ぶことをお許しにならなかった」と詳細。
神殿が聖別されておらず、世俗的に利用されていたから。
神殿の境内は、三千~四千坪くらい( 約9.9~13.2平方キロメートル )とされていた。
異邦人の庭と言われる場所で、捧げ物となる動物、或いは、貧者が捧げる鳩などが売買されていた。これらは全て、表向きは礼拝者の便宜を図ってのこと。何故なら、礼拝に捧げる捧げ物は皆、無傷でなければならなかったことから、長旅で神殿を訪れる礼拝者たちにとっては、不必要な心配から解かれるというので利用されていた。純粋な礼拝者の、その気持ちに乗じて相当の利益を得ていた。

両替人が置かれたのも、ユダヤ人成人男子が一年ごとに半シェケルの宮の納入金を納めるのに、通常通貨( ギリシア、ローマ貨幣 )をフェニキア硬貨に替える必要があった為で、両替手数料は15%だとされていた。
マルコの福音書はその時の主のお気持ちを正確に伝えている。エルサレム入京は聖日だったが、その日は厳密に見ると、11章11節 「宮に入られた。そして、すべてを見て回った後、すでに夕方になっていたので、十二人と一緒にベタニアに出て行かれた」、その翌日の出来事として、12~14節の 《 いちじくの木を呪われた 》 ことがあって 《 宮清め 》 に。
見て回られた時、ご自身のお気持ちには既に、悪の事実を確認されていた。しかしその感情のままの行動ではなく、翌日、葉ばかり茂らせるいちじくの木を表面では主を恐れて仕えているかのように振る舞うパリサイ人に見立て、糾弾を明らかにされた上での神殿での審判だったということ。主の行動はいつも、衝動的なものではなく、洞察に洞察を重ねつつ、聖父を愛する愛に押し出されて立ち上がられるお方 !! 一旦立ち上がられた時には、確実な審判を下されるお方 !! 侮られるべきお方ではないとの厳粛さを覚える。
ご自身への侮りの為には、何ら行動を起こされない。しかし、聖父のご意志が歪められる時、聖父の御心を行う為にこの世に来られたとのご目的を明確に、生きられた。

※ お互い、自分の為になら何か言うことがあっても、主の御名の為に、 《 重荷と愛 》 の故にという在り方は如何に !!

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