聖日礼拝 『ルカの福音書』 より 19


ルカの福音書5章17節~26節

先週は、1節 「ゲネサレ湖( ガリラヤ湖 )」で、もう既に、一年余り前からご奉仕に同伴させていた弟子たちを召されたという出来事に注目した。ということは、漁師としての仕事に就きながら奉仕していた彼らが、ここで初めて、11節 「・・・何もかも捨てて、イエスに従った」時のことだったと。
この確認の上で、10節 「これから後【詳訳 : 今から】、あなたは人間をとるようになる」の 《 今 》 とは、8節 「これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、『 主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから 』 と言った」その時であったことから、Message を。
ペテロは何と !! 自らの罪深さの自覚に導かれたのだ。
9節 「それは、大漁のため」と、予想だに出来なかった桁外れの「大漁」を目の当たりにしたからだが、命じられた主への畏れ、同時にペテロの内的実情のおぞましい現実に恐れを感じたからだ。彼は、5節b’ 「でもおことばどおり・・・」とは言ったものの、直ちに従えなかった心の根に在る性質、自負による主への蔑( さげす )み、自らの霊的貧困状態を知った初めてのこの「今」の経験が、転機となってのこと。どの時点でも、この「私は罪深い人間です」との自覚こそ、その自覚が起こるその都度の経験こそ、主に従う者の本質的資格だということ。
主はそのペテロに、10節b’ 「こわがらなくてもよい」と告げて、彼を召しに相応しいとされた。その時こそ、8節 「離れてください」ではなく、十字架に近づくべき時なのだとも。

※ 11節 「何もかも捨てて」従った彼らの信仰こそ、主の求めておられる姿勢であると覚えて互いの信仰としたい、と。


今朝お読みした ※ 5章17~26節の出来事は、6章11節まで続く 《 パリサイ人たちとの四つの論争 》 の第一のものである。
因みに、続く第二は、5章27~32節の罪人たちと食事をすること/第三は、5章33~39節の断食に関すること/第四は、6章1~11節の安息日に関することである。
これらの機会を通して、私たちは主がどのようなお方であるかを知ることになる。
第一の論争は、罪を赦すことに関する問題だった。
事の発端は、主の御許に ※ 18節 「男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た」時、主が ※ 20節 「友よ。あなたの罪は赦されました」と宣言された 《 罪を赦す権威 》 の問題にあった。これを目撃した律法学者、パリサイ人たちが、直ちに、21節 「理屈を言い始めた。『 神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。 』 」と異議を唱えたのだ。
もう既に、主の働きは一年を経過しており、その評判は、4章37節では「回りの地方の至る所に広まった」とあるが、ガリラヤ地方を取り巻く地域に留まるものではなかった。
パリサイ人たちが主を訪ねるのに、エルサレムからの北へ160キロの距離を、ものともしなかった。それも、実際主のしておられることを観察し、神への冒涜行為と見做されるものが見付けられれば摘発し、直ちに法廷に訴えようとの構えで押し掛けて来たのだ。先回、弟子たちが直接献身に導かれるまで、漁師の仕事に就きながら主に同伴して、ご奉仕に加わっていたことを見た【ヨハネの福音書 2~5章】の記録にその予兆がある。
ガリラヤのカぺナウムを宣教の拠点としつつ、エルサレムで行われた宮きよめがその一つ。又、主を夜密かに訪ねて来たニコデモによる ※ 「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことが出来ません。 ヨハネの福音書 3章2節」とは好意的な見方であるが、実は、議会の大多数は危機感を感じて来ていたからだ。
私たちは、十字架の日に向けて勢力を増して行く彼らの殺気を意識なさりつつ、立ち向かわれる主を見て行きたい。

主の言動は全て、それを見る人々の反応如何に左右されずに、24節 「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」との重荷、動機によって。

① 主の 《 悪意を抱くパリサイ人への 》 重荷 :

主の、最後の晩餐でのおことばを思い出したい。ヨハネの福音書 15章22~24節 「もしわたしが来て彼らに話さなかったら・・・。もしわたしが、ほかのだれも行ったことのないわざを、彼らの間で行わなかったのなら、彼らには ※ 罪【脚注 : 罪責】がなかったでしょう。しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、そのうえで憎んだのです」と仰ったおことば。
結果の善し悪しではなく、福音に触れるチャンスを与えるべきとの魂への重荷からである。何かと反抗的で、21節 「ところが・・・理屈を言い始めた」と攻撃的になる彼らにではあるが、迫害者パウロこそ、その彼らの第一人者であったにも拘らず、後日救われた事実を見逃してはならない。
21~24節には、何という懇( ねんご )ろな、彼らとの関わりが !!
21節 「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ」と抗議し始めた彼らを無視せず、悟らせようと時間を取られた。しかも、23節 「・・・どちらがやさしいか」と、平易な問い掛けをもって。主のわざは主の神たる事実の証だと迫られては、納得せざるを得なくされる筈の彼らなのだが。

② 主の 《 求めて来る者への 》 重荷 :

17節 「イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた」とあるように、主は実際生活における厳しい状況からの救出に無関心ではない。しかし、究極の救いが、20節 「友よ。あなたの罪は赦されました」にあることを伝えようと腐心された。主を求めて大勢で群がって来る人々に如何にして 《 究極の病・罪からの救いを知らせ、導くのか ? 》 このジレンマの中で、主は ※ 16節 「よく荒野に退いて祈っておられた」。
18、19節で、「何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた」病人の友の信仰をご覧になった時、主の喜びはどれ程のものだったことか !!
主がいつものように、中風を癒されたのではなく、「罪の赦し」を宣言されたのは、彼らに肉体の癒し以上の求め、内的必要をご覧になったから。この赦しこそ与えたいわざだったからである。私たちの主への求めも又、先ず、内的渇望をこそ主の願いであると見て、祈りを吟味したい。

※ 主を贖い主であることをもって賛美する者でありたい。

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