聖日礼拝 『使徒の働き』 より 56完


使徒の働き28章16節~31節

先週は引き続き、28章14節 「こうして、私たちはローマに到着した。」とある ※ この「こうして」の内容の後半を 《 三ヶ月間留まったマルタ島での出来事に 》 学んだ。
奇しくも現在、40万人程の人口を持つマルタ島が、キリスト者が98%というキリスト教国となっているということに言及し、根強い土着の信仰に生きていた 《 島民をすら主に帰属させた 》 という実を結んでのローマ到着だったのだと。この結実の為に、主による備えがあったことに注目した。 

ⅰ 3節 「・・・一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。」という 《 一匹のまむし 》 の備え。
4節~6節は島民の反応であるが、パウロに危害が及ばなかったことが証の機会となり、まむしが宣教の道具となった。

ⅱ 7節~8節a 「・・・たまたま【別訳: 時に―時あたかも、正にその時】ポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。」という 《 ポプリオの父の病 》 の備え。
8節b~9節 「そこで」とは、まむし騒動を受けてのことになるが、「パウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。このことがあってから、島のほかの病人たちも来て・・・」と、その事件は次の結実に導いた。10節 「それで彼らは」と、三か月後、島民からは敬意を払われて見送られ、14節~15節 「こうして、私たちはローマに到着した。・・・神に感謝し、勇気づけられた」のだ。

※ 主はかつて、敵国アッシリヤの救いの為、ヨナを 《 大きな魚/とうごまの木/一匹の虫/東風 》 の備えをもって扱い、宣教されたことと同様に働かれる主を覚えたい、と。


この 『 使徒の働き 』 は、主の昇天後、弟子たちに注がれた聖霊による教会の誕生、及び、聖霊による教会を通しての主の宣教命令がどのように繰り広げられたかが記録されている歴史書である、と学んだ。
そして今朝は、その結びに学んで連講を終えようとしているが、初めに主が仰った、1章8節 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」との宣言が、私たちは、たった30年の歳月を以って成就したのを今見ることになった。
何という凄まじい勢いかと思う。しかし、主が約束された「聖霊があなたがたに臨まれるとき」とは、いつでも何処ででも 《 然りだということを 》 受け止めなければならない。
ローマにまで届けられた福音は、その流れをここローマで留められることなく、パウロは二年間の幽囚生活から釈放されて後、スペインにまで行ったとされている。
その後、A.D.64年 ローマの大火を経ての3、4年後、再び捕らえられて二回目の幽囚生活を送り、遂にはA.D.68年頃、斬首刑をもって殉教するが、福音宣教は中断することなく、引き続き聖霊に満たされた弟子たちによって今日までの二千年間、ヨーロッパ全域のみならず、世界の全大陸へと運ばれ、実に私たちにまで及んでいるという紛れもない事実があるからである。
という訳で、今朝で聖霊による 『 使徒の働き 』 の記録は完結を見るが、実は、聖霊に満たされた聖徒たちに引き継がれ、それは私たちにも引き継がれていることを覚えて学びを閉じたい。

ローマへの旅を終えたパウロは、28章16節~17節 「番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。三日の後・・・」と、早速囚人としてローマにやって来ては答弁の機会を得て、その趣旨が伝えられることになった。欄外を見て頂くと明白で、パウロと同船した他の囚人( 27章1節 )は、即座に拘束されたが、パウロには特別な処遇が許されたのだ。
それは、パウロはカイザルの囚人ではなく、「異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私・・・ エペソ人への手紙 3章1節」とのパウロの自覚通り、派遣者が主だからだ !!

『 使徒の働き 』 を締め括るに当たって、28節 「ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」から、最後の Message をお伝えしたい。
パウロが、ローマに到着するや否や、手掛けたこと。
それはやはり先ず、( 17節~20節、23節~28節を見ると )同胞の民への重荷の故に福音を語ることだった。ところがユダヤ人の反応は、24節 「ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった。」とある。実にこの時のパウロの心境は、「ああ、エルサレム、エルサレム。・・・わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに・・・。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。」と涙された主に同じ( マタ 23・37、38 )。
そしてその時主が預言された 《 エルサレム崩壊の日の到来 》 が、パウロのこの警告から7年後( A.D.70年 )に現実となるのだ。
この意味において、聖霊が 『 使徒の働き 』 を結んだ ※ 28節は、パウロを通して同胞の民への断腸の思いを伝えつつ、彼らへの最後通達としての厳粛な予告だった。と同時に、今日異邦人に救いが及んでいる事実を見る時、この結びは、聖霊による使徒たちを通しての働きの完結を告げるものではなく、《 異邦人宣教の始まり 》 を伝える宣言でもある。
その異邦人宣教の始まりを、ここローマ幽囚生活二年間にしたためたパウロ書簡【エペソ人/コロサイ人/ピリピ人/ピレモンへの手紙】で知ることが出来るが、その一部から。
ピリピ人への手紙 1章12節~14節 「・・・親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり・・・」、4章22節 「カイザルの家に属する人々が、よろしくと言っています。」は驚くべき感化である !!
使徒の働き 28章16節 「番兵付き」の家に数か月滞在して後の二年間は ※ 30節 「自費で借りた家に住み」とあるが、このような制約の下にあって、その住居の場所は定かではないにしても、親衛隊( 皇帝を守る兵士たちで、一万人いた )、或いは、カイザルの家の者( 皇室に仕える奴隷 )との接触が許され、彼らが甚大な感化、回心に導かれたことが伝えられている。
又、ピレモンへの手紙 10節 「獄中で生んだわが子オネシモ」とある。エペソ人への手紙 6章10節~20節は、パウロの霊的闘いがどれ程だったか、また、聖霊によって宣教に専念した様子を伝えている。《 殉教者は教会の種である 》 とは至言 !!


※ 『 使徒の働き 』 は “ 今も聖霊によって継続している ” と結び、「私を・・・ イザヤ書 6章8節」と応えるべきと伝えている。

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