聖日礼拝 『使徒の働き』 より 54


使徒の働き27章全

先週は、フェストとアグリッパを驚愕させたパウロの弁明の冒頭アグリッパに、26章2節 「きょう、あなたの前で弁明できることを、幸いに存じます。」とは、弁明の機会が彼の救いの好機と捉えたからである !! と見て、その内容に学んだ。
26章6、7節 「今・・・を待ち望んでいることで、私は裁判を受けているのです。」と裁判に臨むことになった理由は述べたものの、弁明の狙い・焦点は 《 福音の証 》 にあったと ⇒ 29節。
その為パウロは、12節~18節において裁判のその都度証ししている回心の出来事( 9章 )を詳細に伝えた上で、16節~18節では主からの召命を明確にして、福音の本質を語った !!
人々を、「暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ」、「わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって【共に居ることの出来る場所】御国を受け継がせる」とは、何という恵み !!
この詳細な説明が、エペソ人への手紙 2章1節~8節である。実に「暗やみ」とは、「サタンの支配下」にあったことであり、具体的には、手足をサタンの影響下にある自我に従わせ、「自分の罪過と罪との中に死んでいた者」であったこと。その行き着く先は、「御怒りを受けるべき子ら」だったのだ。
しかし、26章18節 「わたしを信じる信仰によって」と、罪の赦し、罪の性質の清めによって、「天の所にすわらせ・・・」と( エペ 2・6 )、地上にあって始められている「御国を受け継」ぐ救いである。
この働きは、「目を開」かせる聖霊によるものだからこそ、パウロの働きには確信があると覚えた。

※19節 「天からの啓示にそむかず」の決意に与りたいと。


今朝は、アグリッパ王の前でのパウロの弁明の機会が、26章32節 「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに」という印象を与えて閉じられ、遂に、27章1節 ※ イタリヤ行きの決定により、カイザリヤを出港してから、28章14節 「こうして、私たちはローマに到着した。」という、その間の前半の出来事に注目したい。
以前お配りしたプリント 《 ローマへの最後の旅 》 ( 1 )~( 16 )を見ると、航海の道筋が分かりやすいので、開いて頂きたい。
初めに一行は、27章2節 「アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船( アドラミテオを基地としていた沿岸航路の船という意 )に乗り込んで出帆し」、後、27章5節~6節 ※ ミラに入港した時、「イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた」様子。又、パウロの同行者として、2節 「私( ルカ )たち・・・アリスタルコ( 19章29節、20章4節、コロサイ人への手紙 4章10節、ピレモンへの手紙 24節 )」が居る様子が伝えられている。

28章14節 「こうして、私たちはローマに到着した。」とある「こうして」とは ? 今朝は、《 ローマ到着までの27章に絞っての旅の様子 》 から、パウロの信仰の姿勢に学びたい。
ローマ行きの航海について、ある学者の計算によると、パウロがカイザリヤを出たのがA.D.60年8月で、三か月後の11月の初めに難船し、その後三か月間滞在したマルタ島を出て、翌年2月にはローマに着いたのでは ? ということであるが、そうした研究に感謝しつつ、信仰の学課を学びたい。

この六か月にも及ぶローマへの旅には、幾度もの困難がパウロを襲った。27章9節 「断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので・・・」が示唆する天候の問題があったことは見逃せない。この「断食」とは10月5日に当たり、11月半ばまで、航海するには危険な時期であり、それ以降、3月半ばまでは帆走が取り止められていたと殆どの学者たちが言っているところであると。
しかしそうした危険も然る事ながら、そのような状況下にあって、パウロの助言が、仮に的を射ていたとしても、受け入れられなかったのは至難なことだったのではないか。
パウロが、27章10節 「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」と言っても、11節 「しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した」という状況を迎えなければならなかったこと。
専門家たちの意図は、12節 「南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいという」、ここにあった。即ち、これから迎える冬を過ごすには、後二、三時間もすれば、今いる ※ 8節 「良い港」よりも、あらゆる面で魅力的で、望ましい環境に向かうことが出来ると考えたところにあった。実際出航する時には、13節 「おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨( いかり )を上げて、クレテの海岸に沿って航行した」とあるように、彼らの願いを叶えてくれそうな状況を目の当たりにしたことで、いよいよその確信を得ることになった。
ところが実際、その結果を見れば、どちらが正しかったのかの答えは一目瞭然である。14節~15節 「ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした」のだから。

このような状況で見た 《 パウロの※21節、22節 「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。」と言った 》 落ち着きの鍵を見て、Message を。
23節、24節 「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました・・・」に、鍵がある !!

① 11節 「・・・船長のほうを信用した」百人隊長の故に、20節 「私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた」事態を見つつも、主からの直接的なことばが掛けられるまでは、沈黙して主を待つ自分を知る謙虚さ。

② 25節a' 「すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。」と、主を全幅的に信頼する明け渡し。

主からはその初め、エルサレム議会で裁判が行われた夜、23章11節 「・・・ローマでも」との召命があったからである。主のご計画は、嵐・拒絶によっても妨げられないとの信仰。


※ ルカの福音書 1章45節 「信じきった人」の幸いがここにある。

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