聖日礼拝 『使徒の働き』 より 50


使徒の働き23章11節~35節

先週は、急きょ、召集されたエルサレム最高議会での弁明で、パウロが先ず ※ 1節 「今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」と告白したその証を学んだ。

ⅰ 大祭司アナニヤへの対応にその証を ⇒ アナニヤが、パウロの開口一番発したこの言葉に憤りを露わにして、2節 「彼の口を打てと命じた」時、即刻、3節 「ああ、白く塗った壁。神があなたを打たれる・・・」と迫った大胆さ。
十字架を前にして裁かれた主の、「大祭司にそのような答え方をするのか」と言われて平手打ちを食らった場面に重なるが( ヨハ18・12 )、議会の最高責任者の堕落( 神的権威の私有化、道徳的・霊的腐敗 )を糾弾された主の責任ある態度に同様である。
パウロが、4節 「あなたは神の大祭司をののしるのか」と詰問された時、5節 「大祭司だとは知らなかった・・・」と答えたが、知らなかったのか ? 冒涜的で欲深いアナニヤが、数年熱心党員によって暗殺されたとの事実があり、パウロの3節は、預言だったと指摘されていることから鑑みて、知ってのことだった。アナニヤが仮に大祭司として議長の座にいようとも、自ら律法を破っている限り、無価値で無意味、大祭司でも何でもないの意で知らないと !! 実際、大祭司とは認めようがないとの毅然とした態度での対応 !!

ⅱ 全議会への対応にその証を ⇒ 6節、議会の二大勢力 《 パリサイ人とサドカイ人 》 を二分する手立てを講じ、遂には、9節 「論争がますます激しくなった」とあり、議会は解散に。

※ 11節の主の顕現は、主に受け入れられたとの保証である。私たちも、鋭敏な良心をもっての言動に留意したい、と。


今朝は、パウロが無秩序な議会から引き出された夜、11節 「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」との 《 主の指示に向かって動き出した 》 記事に注目を。
パウロへの主のこの「ローマでもあかしをしなければならない」との任命は、どの様に進められることになったのか ?
12節~15節 「夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合った。この陰謀に加わった者は、四十人以上であった。彼らは、祭司長たち、長老たちのところに行って、こう言った。『 私たちは、パウロを殺すまでは何も食べない、と堅く誓い合いました。そこで、今あなたがたは議会と組んで、パウロのことをもっと詳しく調べるふりをして、彼をあなたがたのところに連れて来るように千人隊長に願い出てください。私たちのほうでは、彼がそこに近づく前に殺す手はずにしています。 』 」と極めて念入りな計画が敷かれてからのこと。
徒党を組んだ人々は、21章38節に出て来た人々同様、当時のユダヤ社会に愛国的暗殺団として横行していた熱心党員のメンバーだったとされている。
パウロの侮辱に激怒した大祭司アナニヤが黒幕で、その人々を雇って、パウロ殺害を企んだと言われている。
それを裏付けるのが、陰謀者たちが協力を求めて出掛けて行ったのが、「祭司長たち、長老たち」、即ち、大祭司同様サドカイ人たちのところだったことに。議会でパウロを弁護したパリサイ人たち( 律法学者 )のところには行かなかった。

事態は彼ら暗殺団の思惑通りには行かなかった。
16節~22節 「ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営にはいってパウロにそれを知らせた」ことに始まる展開によってである。
パウロの身内についての言及は、この記事でしか知ることが出来ないが、祭司たちの間でしか聞くことの出来ない話を耳にしたということは、姉妹の家族が祭司の家柄に属していたのではと考えられる。又、彼らがキリスト者だったのかについても明らかにされてはいないが、いずれにせよ、この甥はおじであるパウロの生死に関わる一大事を伝える為に、命懸けで会いに行ったのだ。
その結果、人間的には考えられない程の手立てが講じられることになった 《 23節、24節、31節~33節に説明されている警備の厳重な光景 》 は驚くべきことである !!
エルサレムから、北へ100キロ弱を ※ 31節 「アンテパトリス」経由で、カイザリヤまで。
何と !! 歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人を護衛としてあてがわれ、心身ともに疲れ切っていた【11節 「勇気を出しなさい」との激励を必要としていた】パウロには、特別に馬が用意され、夜通しの旅に出発することになったのだから。
と共に、千人隊長による総督ペリクス閣下宛ての文書付き、25節~30節 「この者が、ユダヤ人に捕らえられ、まさに殺されようとしていたとき、彼がローマ市民であることを知りましたので、私は兵隊を率いて行って、彼を助け出しました・・・」と、念入りな挨拶が準備されての護送である。

今朝、こうした展開に唯一つの事に注目して message を !!
パウロは馬に乗せられ、総勢四百七十人の護衛付き !!
最終的に、目指すはローマへの第一歩の旅に出発したということであるが、命すら落とし兼ねない殉教死一歩手前の状況から一変しての 《 ローマ行きの実現 》 の光景にである。
ここで注目して頂きたい。パウロは、「わたしの名を・・・運ぶ、わたしの選びの器」である( 9章15節 )。そのパウロが厳重な護衛によって保護されているという事実は、パウロが運ぶ 《 主の御名、即ち、福音そのものへの扱いなのだ 》 ということ !!
何という神の権威、人の犯し難き権威を見るではないか !!
この人の犯し難き権威と言う時、大祭司アナニヤの憤りによる陰謀と、( 皇帝礼拝の故に )キリストを礼拝するキリスト者を目の敵にするローマ配属の軍隊をすら 《 主の御名を運ぶパウロに仕えさせる 》 神の絶対的な主権・権威だということ。
但し、この偉大な神の権威の発動も、見逃してはならない人の側の忠実さがあったということを留意したい !!
(ⅰ) 16節 「パウロの姉妹の子」の陰の献身的な行動。(ⅱ) 27節 「彼がローマ市民であることを知りましたので・・・」に至らせた、パウロの聖霊に満たされた知恵ある行動である。


※ ローマ人への手紙 11章33節~36節 「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばき【決定】は、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。・・・」と、パウロが感嘆して礼拝しているこの頌栄( しょうえい )の言葉をもって、私たちも主への信頼を新たにしたい。

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