聖日礼拝 『使徒の働き』 より 48


使徒の働き22章17節~30節

先週は、21章36節 「彼を除け」と叫ぶ群衆に弁明の機会を得て、パウロが ※ 1節 「兄弟たち、父たちよ・・・」と語り始めた時、2節 「ますます静粛になった」とある光景に注目した。
先の光景とは一変した事実に、パウロの彼らを覆った愛が醸し出した空気と見ることが出来るのではないかと。
鍵は、22章3節 「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした・・・」。即ち 《 この私を迫害するあなたがたの気持ちが良く分かる 》 との接近にある、と。 

分かるのは、ガマリエルの門下生として教育を受ける為、タルソから12歳でエルサレムに上って育った、その熱心さが同じだから。

分かるのは、4節~5節 「私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせた」からであり、今あなたがたが私にしていることと同じことを私はしていたのだからと。
晩年パウロが、迫害時代の自らを痛みの中で回顧した時、テモテへの手紙 第一 1章13節 「それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。」と言っているが、このように彼らに 《 分かっている 》 と伝えることによって、彼らをも救いにと願ったに違いない。 

※ 結果は ? 彼らはパウロの弁明を固唾を呑んで聞いていたが、突然、22節 「こんな男は・・・生かしておくべきではない」といきり立ち、殺意を露わにした。しかし極限まで愛を注ぐパウロの愛に肖( あやか )りたい、と。


今朝は、ユダヤ人の手に掛かって殉教死寸前だったパウロが、その鎖から解かれて、次の弁明に向かうことになった場面に踏み止まってみたい。
パウロは決して、鎖からの解放を願う器ではなかった。
彼の目指すところは、いつでも、20章23節~24節 「・・・けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」だったから。それこそ、主ご自身がそうだった。
パウロのこの一事の目的の為にのみ生きる生き様に注目して、私たちのキリスト者としての在り方に光を頂きたい。

① 22章18節 「主を見たのです。主は言われました。」と、 《 主との個人的な関係について 》 淡々と証する姿勢。

ステパノにおいても同様だった。7章54節~60節 「・・・しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。『 見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。 』 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した・・・」とある。
ステパノを妬むユダヤ人を怒らせる結果になったが、そのステパノの勇気ある態度こそが、迫害者パウロの心に福音の救いの矢を射込むことになったのだ。この事実を考える時、ステパノは実に、責任ある態度を取ったということになる。

パウロが弁明によって、明らかにしたことは・・・
主は( ユダヤ人が依然として福音を受け入れないことを知って )、福音をユダヤの地から移し、異邦人に届ける計画を持っておられること。その為、18節a' 「急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。」と仰った。パウロはそれでも最大限ユダヤ人を弁護して主に反論し、何とか留まらせて頂きたいと願い出たが( 19節~20節 )、又してもの主の答えは、21節 「行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす」だったと。
主の 《 頑ななユダヤ人への 》 毅然とした扱いは、憐れみを求めてもなお変わらないとの事実を厳格にも伝えたことになる。
選民であることの特権意識を持っていたユダヤ人にとっては聞き捨てならない言葉、我慢も限界だった。彼らのプライドは傷付き、22節 「人々は、彼の話をここまで聞いていたが、このとき声を張り上げて・・・」と怒り狂わんばかりに興奮して、パウロに向かうことになった。
プライドは傷付けられなければならない。
O・チェンバーズは、その著作 『 いと高き方のもとに 』 の中で、あなたは主の言葉に傷付けられたことがありますか ? と尋ねている。この問いは、主を否んだペテロが、「あなたはわたしを愛しますか」と三度主に言われて傷付いたことからであるが。主がご自身を三度否んだペテロに、敢えて三度「愛するか」と尋ねて思い出したくもない過去を思い出させるのは、主のご品性に相応しくないと言う人もいるが、果たしてどうなのかという場面でのことである。答えは、主は傷付けて癒されたというのが、正解なのだ。 ホセア書 6章1節。

② 25節 「彼らがむちを当てるためにパウロを縛ったとき、パウロはそばに立っている百人隊長に言った。『 ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか。 』 」と、 《 聖霊の知恵 》 による行動。

この「むち」は、ローマ人による恐ろしい拷問の道具であって、金属や骨の荒い破片で重しを付けられた皮のむちが、しっかりとした取っ手に取り付けられていた殺人的性質のものだったと言われている。この拷問によって、死に至らせるか、もしくは身体に障害を負わせることになるもの。
パウロには、捕縛後、果たさなければならないローマ宣教があり、ここで命が断たれてはならなかったのだ。彼の脳裏には、主から託された働きの為に、この時点での殉教死だけは避けなければとの強い使命感があったのだ。
主を仰いいたに違いない。その時の機転が、自らの市民権を持ち出しての百人隊長への鋭い詰問である。自らの身を守る為のものではない。宣教の為に、今、命を落とすべきではないとの冷静な判断である。パウロは ※ 28節 「生まれながらの市民です」と言っているが、恐らく、彼の父も祖父も小アジヤにおいて、何らかのローマ政府に対する勲功があったものと考えられる。彼を粗末に扱うことは、ローマ法においては犯罪となる為、この事実が判明した時、直ちにパウロは保護され、30節で最高議会が召集され、正式に取り扱われることになり、ローマ行きに備えることになった。


※ 主の聖名の為にのみ生きる者の生き様を探られたい。

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