聖日礼拝 『使徒の働き』 より 47


使徒の働き21章37節~22章22節

先週は、弟子たちによって「主のみこころのままに」と送り出されたパウロが( 14節 )、遂にエルサレム入りするや否や、予告通り捕縛されることになった記事に学びました。
その経緯は、20節に出て来る信者を思い遣って行動していたパウロが、28節 「・・・ギリシヤ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしています。」と、アジヤから来たユダヤ人たちからの誤解を受けたことによった。ここから三つのことを・・・。

ⅰ 早、教会が誕生してから20数年は経過しているが、エルサレム教会は未だ、根深いユダヤ主義的信仰からの自由を得ておらず、過渡期的な産みの苦しみの中にいたこと。

ⅱ その為、長いことエルサレムを留守にしていたパウロの都入りには、細心の注意が払われる必要があったこと。
23節 「ですから、わたしの言うとおりにしてください・・・」と、パウロに提案した長老たちと、26節 「そこで・・・」とその提案に従ったパウロに 《 魂を建て上げようとする懸命な心配りと、限りない愛 》 とを見る。
長老たちとパウロのその動機は、コリント人への手紙 第一 9章19節~23節 「何とかして、幾人かでも救うため」、ローマ人への手紙 9章1節~3節 「もしできることなら」にある。パウロがナジル人の律法に従ったのは、救いの原則に抵触しないからである。

ⅲ しかし現実は、その愛を知る由もないユダヤ人からの仕打ちが、30節 「捕らえ」36節 「彼を除け」であったこと。
実に主が、十字架上で祈られた場面を想起させる内容であるが、ルカの福音書 23章34節 「父よ。彼らをお赦しください・・・」と、十字架上での祈りはこれなのだ。

※ 救霊の為に苦悩した初代教会が、主の贖いの愛に倣って生きた 《 殉教覚悟の愛 》 に私たちも肖( あやか )りたい、と。


今朝は、21章36節 「彼を除け」の叫びを浴びせ掛ける群衆を前に、弁明の機会を得て語り出したパウロに注目したい。
私たちはパウロが、異邦人への使者としてのみならず、イスラエルの子孫に「主の御名を運ぶ器」として、どんなに彼らを愛していたかを見て来ている。
特に、ローマ人への手紙 9章1節~3節での激白、「・・・私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。」において顕著である。そしてパウロの彼らへの愛は、同胞の民による無理解によって捕縛された今のこの時においても、明らかにされていると学びたい。
弁明の冒頭から、22章1節~2節 「 『 兄弟たち、父たちよ。いま私が皆さんにしようとする弁明を聞いてください。 』 パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。・・・」に、先ず、何が読み取れるでしょうか。
迫害者は、パウロのこの語り掛けに「ますます静粛になった」とある。それは恐らく、二つのことによったのだ。
一つは、21章37節では、ローマの千人隊長から「あなたはギリシヤ語を知っているのか」と尋ねられたのだから、ギリシャ語で弁明するものと思われたところで、群衆に親しまれ愛されているヘブル語で語り始めたこと。
そしてもう一つは、呼び方である。憎しみを込めて襲い掛かる群衆たちを「兄弟たち」と呼び、その中に居合わせている最高議会の議員たちを「父たち」と尊敬を込めて呼んだこと。

彼らのこの「ますます静粛になった」とある光景と、直前の、21章30節 「そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した・・・」という光景を考える時、信じ難い空気に包まれたことになる。実に、パウロの彼らを覆った愛が醸し出した空気と見ることが出来るのではないか !!
愛がパウロをして取らせた姿勢とは ?
22章3節 「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした・・・」。即ち、 《 この私を迫害するあなたがたの気持ちが良く分かる 》 という接近を、である。

分かるのは、ガマリエルの門下生として教育を受ける為、タルソ( 現在のトルコ南部、メルシンの辺り )から12歳で都に上って育ったから。

この12歳という年齢は、ユダヤ人男子にとって「律法の子」となる厳かな儀式が行われて、その時以来、婦人には許されない会堂入りが許され、成人男子と共に礼拝を捧げることが出来るようになるとされている。パウロはその時からエルサレムでの生活を「ガマリエルのもとで」と、厳格な律法教育を受けたのだから、律法の熱心さが同じと。

分かるのは、4節~5節 「私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰するためでした。」という迫害者として狂気の沙汰であったから。

目の前にいる大祭司、最高議会の議員たちからも証言されることで明白であるとしている。しかも、この「死に至らせた」という出来事では、忘れもしない、あのステパノの殉教の時のリーダーだったと。
しかも、17節~18節 「・・・主を見たのです。主は言われました。『 急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。 』 」に対して、私は、19節~20節 「主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。また、・・・」と抗議したくらいだと。
即ち、今あなたがたが私にしていることと同じことを私はしていたのだから、分かってもらえると。
晩年パウロが、迫害時代の自らを痛みの中で回顧した時、テモテへの手紙 第一 1章13節 「それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。」と言っているが、このように彼らに 《 分かっている 》 と伝えることによって、彼らをも救いにと願ったに違いない。


※ その結果は ? 彼らは、ここまでのパウロの弁明を固唾を呑んで聞いていたが、突然、22節 「こんな男は・・・生かしておくべきではない」といきり立ち、殺意を露わにした。しかし極限まで愛を注ぐパウロの愛に肖( あやか )りたい。

この記事へのコメント