使徒の働き21章15節~36節
先週は、ミレトでの告別説教を終えて後、エペソ教会の長老たちと別れを告げ、エルサレムに上って行く過程を記している記事から 《 パウロの信仰の姿勢 》 に学んだ。
パウロと弟子たち両者とに聖霊は 《 パウロには、エルサレムでの縄目と苦しみとが待っている 》 と告げているのだが、同じことを聞いた両者の反応の違いに注目した。
ⅰ パウロが、弟子たちの忠告に従わなかったからと言って、聖霊の導きに対する不服従だったと考えるべきではないこと。
何故なら聖霊の示しは、エルサレムでの捕縛と苦しみの予告であって、エルサレム行きを禁じられた訳ではない。むしろ彼にとっては、主の劇的な顕現を受けた時以来のビジョン【9章15節】に従っただけのこと。パウロとてどちらの選択も可能だったが、21章13節 「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と従順を選択 !!
ⅱ 弟子たちが、4節 「エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した」のも、12節 「私たちはこれを聞いて・・・上らないよう頼んだ」のも、困難を予告された聖霊に対して、極めて人間的・個人的な友情から反応したに過ぎなかったのだ。
主がエルサレム行きを弟子たちに吐露された時、ペテロが主を引き留めたことに類似している。
※ 12節 「私たち」と、著者であるルカもパウロの心をくじいたのだ。が、「主の御心のままに」と言い得た。互いもここに従いたい、と。
今朝は、弟子たちによって、14節 「主のみこころのままに」と送り出されたパウロが、遂にエルサレム入りするや否や、予告通り捕縛されることになった記事に学びます。
その経緯は、思い掛けない状況下でのことだった。
18節~19節 「次の日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。彼らにあいさつしてから、パウロは彼の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ話しだした。」と、伝道旅行の一連の感謝の報告がなされた後、その報告を聞いて神をほめたたえた人々から出た申し出にパウロが従ったことによった。
彼らの申し出とは、20節b~25節であるが、※ 23節~24節b 「ですから、私たちの言うとおりにしてください。・・・この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。」という提案である。
これは、民数記 6章の 《 ナジル人の誓願についての規約 》 に従うものだった。
特に ※ 6章5節 「彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであって、頭の髪の毛をのばしておかなければならない。」/13節 「・・・ナジル人としての聖別の期間が満ちたときは・・・」/18節 「ナジル人は会見の天幕の入口で、聖別した頭をそり、その聖別した頭の髪の毛を取って、和解のいけにえの下にある火にくべる。」という掟にである。
エルサレム教会の長老たちは、24節c 「そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、みなにわかるでしょう。」と願ってのこと。即ち、ユダヤ人にもユダヤ主義的クリスチャンにも、彼らを安心させようとの忠告である。
ところが、27節~28節 「その七日がほとんど終わろうとしていたころ、アジヤから来たユダヤ人たちは、パウロが宮にいるのを見ると、全群衆をあおりたて、彼に手をかけて、こう叫んだ。・・・」と。その後、30節~33節 「町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外に引きずり出した」のだ。思わぬ誤解を招いて、遂に、捕縛の事態に。
この出来事から、三つのことを !!
① 20節b 「ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです。」とのくだりに、初代教会は苦悩していたとの事実を見る。
早、教会が誕生してから20数年は経過している。
25節の内容からも分かるように、10数年前のエルサレム会議で見た決議案で 《 帝国内に散在する異邦人クリスチャンには真の自由が経験されていたものの 》 、15章5節に登場していた「パリサイ派の者で信者になった人々」、即ち 《 ユダヤ在住のクリスチャンたちには、未だ根深いユダヤ主義的信仰があり、キリストによる自由がなかなか経験されていない 》 という苦脳である。
このような状況下で、如何に彼らを真のキリスト信仰に導くかの産みの苦しみは並大抵ではなかったとの理解を。
② 23節 「ですから、私たちの言うとおりにしてください・・・」と、パウロに提案した長老たちと、26節 「そこで・・・」とその提案に従ったパウロに 《 魂を建て上げようとする懸命な心配りと、限りない愛 》 とを見る。
聖書学者の中には、このことを妥協と見る人々もいるが、当時の過渡期のユダヤ人教会が直面していた苦悩を考える時、穏健な見方に従いたい。長老たちとパウロのその動機は、コリント人への手紙 第一 9章19節~23節 「何とかして、幾人かでも救うため」、ローマ人への手紙 9章1節~3節 「もしできることなら」にある。
パウロがナジル人の律法に従ったのは、救いの原則に抵触しないからである。
救いの原則はあくまでも、 《 人はキリストの十字架を信じる信仰によって救われるのであって、律法を行うことによってではない 》 であり、救われる為に律法を行うということでは全くないのだから。その意味でパウロはしっかり、こうしたユダヤ人クリスチャンに対して 『 へブル人への手紙 』 を書き送り 《 モーセに勝るキリストの優越性 》 について、懇々と責任をもって語っていることで明確 !!
③ しかし現実は、それとは知る由もないユダヤ人からの仕打ちが、何と !! 30節 「捕らえ」、36節 「彼を除け」である。
実に主が、十字架上で祈られた場面を想起させる内容であるが、ルカの福音書 23章34節 「父よ。彼らをお赦しください・・・」と、十字架上での祈りはこれなのだ。
※ 救霊の為に苦悩した初代教会が、主の贖いの愛に倣って生きた 《 殉教覚悟の愛 》 に、私たちも肖( あやか )りたい。
先週は、ミレトでの告別説教を終えて後、エペソ教会の長老たちと別れを告げ、エルサレムに上って行く過程を記している記事から 《 パウロの信仰の姿勢 》 に学んだ。
パウロと弟子たち両者とに聖霊は 《 パウロには、エルサレムでの縄目と苦しみとが待っている 》 と告げているのだが、同じことを聞いた両者の反応の違いに注目した。
ⅰ パウロが、弟子たちの忠告に従わなかったからと言って、聖霊の導きに対する不服従だったと考えるべきではないこと。
何故なら聖霊の示しは、エルサレムでの捕縛と苦しみの予告であって、エルサレム行きを禁じられた訳ではない。むしろ彼にとっては、主の劇的な顕現を受けた時以来のビジョン【9章15節】に従っただけのこと。パウロとてどちらの選択も可能だったが、21章13節 「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と従順を選択 !!
ⅱ 弟子たちが、4節 「エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した」のも、12節 「私たちはこれを聞いて・・・上らないよう頼んだ」のも、困難を予告された聖霊に対して、極めて人間的・個人的な友情から反応したに過ぎなかったのだ。
主がエルサレム行きを弟子たちに吐露された時、ペテロが主を引き留めたことに類似している。
※ 12節 「私たち」と、著者であるルカもパウロの心をくじいたのだ。が、「主の御心のままに」と言い得た。互いもここに従いたい、と。
今朝は、弟子たちによって、14節 「主のみこころのままに」と送り出されたパウロが、遂にエルサレム入りするや否や、予告通り捕縛されることになった記事に学びます。
その経緯は、思い掛けない状況下でのことだった。
18節~19節 「次の日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。彼らにあいさつしてから、パウロは彼の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ話しだした。」と、伝道旅行の一連の感謝の報告がなされた後、その報告を聞いて神をほめたたえた人々から出た申し出にパウロが従ったことによった。
彼らの申し出とは、20節b~25節であるが、※ 23節~24節b 「ですから、私たちの言うとおりにしてください。・・・この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。」という提案である。
これは、民数記 6章の 《 ナジル人の誓願についての規約 》 に従うものだった。
特に ※ 6章5節 「彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであって、頭の髪の毛をのばしておかなければならない。」/13節 「・・・ナジル人としての聖別の期間が満ちたときは・・・」/18節 「ナジル人は会見の天幕の入口で、聖別した頭をそり、その聖別した頭の髪の毛を取って、和解のいけにえの下にある火にくべる。」という掟にである。
エルサレム教会の長老たちは、24節c 「そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、みなにわかるでしょう。」と願ってのこと。即ち、ユダヤ人にもユダヤ主義的クリスチャンにも、彼らを安心させようとの忠告である。
ところが、27節~28節 「その七日がほとんど終わろうとしていたころ、アジヤから来たユダヤ人たちは、パウロが宮にいるのを見ると、全群衆をあおりたて、彼に手をかけて、こう叫んだ。・・・」と。その後、30節~33節 「町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外に引きずり出した」のだ。思わぬ誤解を招いて、遂に、捕縛の事態に。
この出来事から、三つのことを !!
① 20節b 「ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです。」とのくだりに、初代教会は苦悩していたとの事実を見る。
早、教会が誕生してから20数年は経過している。
25節の内容からも分かるように、10数年前のエルサレム会議で見た決議案で 《 帝国内に散在する異邦人クリスチャンには真の自由が経験されていたものの 》 、15章5節に登場していた「パリサイ派の者で信者になった人々」、即ち 《 ユダヤ在住のクリスチャンたちには、未だ根深いユダヤ主義的信仰があり、キリストによる自由がなかなか経験されていない 》 という苦脳である。
このような状況下で、如何に彼らを真のキリスト信仰に導くかの産みの苦しみは並大抵ではなかったとの理解を。
② 23節 「ですから、私たちの言うとおりにしてください・・・」と、パウロに提案した長老たちと、26節 「そこで・・・」とその提案に従ったパウロに 《 魂を建て上げようとする懸命な心配りと、限りない愛 》 とを見る。
聖書学者の中には、このことを妥協と見る人々もいるが、当時の過渡期のユダヤ人教会が直面していた苦悩を考える時、穏健な見方に従いたい。長老たちとパウロのその動機は、コリント人への手紙 第一 9章19節~23節 「何とかして、幾人かでも救うため」、ローマ人への手紙 9章1節~3節 「もしできることなら」にある。
パウロがナジル人の律法に従ったのは、救いの原則に抵触しないからである。
救いの原則はあくまでも、 《 人はキリストの十字架を信じる信仰によって救われるのであって、律法を行うことによってではない 》 であり、救われる為に律法を行うということでは全くないのだから。その意味でパウロはしっかり、こうしたユダヤ人クリスチャンに対して 『 へブル人への手紙 』 を書き送り 《 モーセに勝るキリストの優越性 》 について、懇々と責任をもって語っていることで明確 !!
③ しかし現実は、それとは知る由もないユダヤ人からの仕打ちが、何と !! 30節 「捕らえ」、36節 「彼を除け」である。
実に主が、十字架上で祈られた場面を想起させる内容であるが、ルカの福音書 23章34節 「父よ。彼らをお赦しください・・・」と、十字架上での祈りはこれなのだ。
※ 救霊の為に苦悩した初代教会が、主の贖いの愛に倣って生きた 《 殉教覚悟の愛 》 に、私たちも肖( あやか )りたい。
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