使徒の働き20章1節~38節
先週は、19章23節 「・・・ただならぬ騒動が持ち上がった」事件によって、迫害下にあっても実は、パウロたちを通して福音の光が放たれていたという事実を見せて頂いた。
この騒動の理由は、26節~27節 「全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしま」うとの懸念と、24節~25節の訴えに見る、アルテミス礼拝離れによる経済的損失にあった。
その彼の訴えは、組合の人々を直ちに巻き込んで、28節 「怒り」を引き起こし、遂には、29節 「町中が大騒ぎになり・・・ガイオとアリスタルコ」が捕らえられる羽目にまで発展。
こうした背景のもと、迫害者たちが混乱状態に陥った時、 《 パウロたちに敵意を抱くどころか、弁護さえする 》 人たちがいたことに学んで Message とした。
ⅰ パウロを劇場に入らせまいとした ※ 31節 「アジヤ州の高官で、パウロの友人である人たち」の存在があったこと。
彼らとは、ローマ皇帝礼拝を組織する祭司長たち、或いは、アルテミスの祭司、他の神々の祭司である。どういう訳か、パウロに好意的であるということは驚きに値する。
ⅱ 仲介役として明らかに、キリスト者を弁護した ※ 35節 「町の書記役」の存在があったこと。
37節 「・・・この人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもない」、40節 「正当な理由がない」との証言を得た。ここにパウロの宣教の姿勢、聖書の権威を知っている者の見事な態度が。〈 聖書は人の手によって弁護される必要のない真理 〉との揺るぎない確信がそこに。
※ 異教の地における証のその姿勢に倣いたい、と。
今朝、20章1節~16節については地図を辿って確認し、その上で ※ 17節以下の 《 ミレトにおける告別説教 》 から、パウロのエペソ教会に寄せた思い、宣教者の姿勢に学びたい。
この説教は、パウロがエルサレム行きを急いだ為、エペソには寄らず、17節 「教会の長老たち」を、ミレトに迎えて取り次いだ時のものであるが、18節 「・・・最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。」と何一つためらうことなく言い得たことは、素晴らしい !! パウロの強みはいつも、この内的確信にあるのだ。
至らなかったとの悔いもなく、もっとこうすべきだったとの無念さもなく、自らの無力さを嘆いて、弁解がましくお詫びを並べ立てるのでもなく、何と充実感溢れる言葉が伝えられていることか !! しかも恩着せがましさもなく、むしろ、説教の後には、36節~38節 「こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。みなは声をあげて泣き、パウロの首を抱いて幾度も口づけし、彼が、『 もう二度と私の顔を見ることがないでしょう 』 と言ったことばによって、特に心を痛めた。それから、彼らはパウロを船まで見送った。」と、パウロへの信頼が込められた感動が一同にあったのだ。
主が十字架の前夜、弟子たちとの最後の晩餐を終えて後、聖父に祈られた祈りに重なる。ヨハネの福音書 17章4節 「・・・わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。」/6節 「わたしは・・・あなたの御名を明らかに・・・」/12節 「・・・御名の中に彼らを保ち、また守りました。」/14節a 「みことばを与え」/22節 「栄光を、彼らに与え」/26節 「御名を知らせました。」に。
パウロのこうした充実感は、どこから・・・
① 19節 「私は・・・主に仕えました。」との仕えるべきお方を明確にしていた確信から。
確かにパウロが直接関わった人々は、エペソ教会に連なっているユダヤ人でありギリシャ人( 19章17節、20章21節 )であったが、彼らを通して主に仕え、主のしもべとして仕えていると自覚していた。こうした主との関係なくして、誰も、「数々の試練の中で」耐え抜くことは出来ない。
もし良きにつけ悪しきにつけ、いつでも人が意識される時、一喜一憂する。人の出方に左右され、自らが携わっている事自体に疑念を抱き、動揺することになるから。
パウロのエペソ行きも、16章6節 「禁じられたので・・・」委ね、18章21節 「神のみこころなら」と言って、遂にやって来た町なのだ。絶えず主に仕えての働きなのだ。
② 20節~21節 「益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました・・・」、27節 「私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせて」、31節 「私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。」との福音は伝えられるべき真理との確信から。
その福音の確信は、21節 詳訳 「ユダヤ人たちにもギリシャ人たちにも絶えず〈 熱心に 〉あかしして、彼らが神に【対して当然なすべき】悔い改めをもって立ち帰り、又、私たちの主イエス・キリストに【対して当然抱くべき】信仰を持つように、強く勧めて来ました」との出方に導いた。
それは、パウロの個人的な主との出会いについての証【自らが罪人であるとの謙った告白】/神に対する悔い改め【過去の生き方からの徹底した方向転換に ⇒ 19章18節~19節】の勧め/主イエスに対する信仰【十字架による犠牲を、過去の清算と、きよめられ続けて行く為の代価として信じる信仰】の勧めを明確にしたということ。
③ 33節~35節 「私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『 受けるよりも与えるほうが幸いである 』 と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」との良心的に明け渡された生活の確信から。
24節 「・・・あかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」との告白に生きた証である。
※ こうしたエペソ教会との信頼関係の絆は、パウロ無き後、後継者に向けて、自覚を持たせる説得力となったに違いない。28節~31節aでは、「目をさましていなさい。」との厳格な忠告を与えているが、パウロのこの確信には、おごりはない。コリント人への手紙 第一 15章10節 「しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」によるものと知って、この霊的経験を互いの挑戦としたい。
先週は、19章23節 「・・・ただならぬ騒動が持ち上がった」事件によって、迫害下にあっても実は、パウロたちを通して福音の光が放たれていたという事実を見せて頂いた。
この騒動の理由は、26節~27節 「全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしま」うとの懸念と、24節~25節の訴えに見る、アルテミス礼拝離れによる経済的損失にあった。
その彼の訴えは、組合の人々を直ちに巻き込んで、28節 「怒り」を引き起こし、遂には、29節 「町中が大騒ぎになり・・・ガイオとアリスタルコ」が捕らえられる羽目にまで発展。
こうした背景のもと、迫害者たちが混乱状態に陥った時、 《 パウロたちに敵意を抱くどころか、弁護さえする 》 人たちがいたことに学んで Message とした。
ⅰ パウロを劇場に入らせまいとした ※ 31節 「アジヤ州の高官で、パウロの友人である人たち」の存在があったこと。
彼らとは、ローマ皇帝礼拝を組織する祭司長たち、或いは、アルテミスの祭司、他の神々の祭司である。どういう訳か、パウロに好意的であるということは驚きに値する。
ⅱ 仲介役として明らかに、キリスト者を弁護した ※ 35節 「町の書記役」の存在があったこと。
37節 「・・・この人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもない」、40節 「正当な理由がない」との証言を得た。ここにパウロの宣教の姿勢、聖書の権威を知っている者の見事な態度が。〈 聖書は人の手によって弁護される必要のない真理 〉との揺るぎない確信がそこに。
※ 異教の地における証のその姿勢に倣いたい、と。
今朝、20章1節~16節については地図を辿って確認し、その上で ※ 17節以下の 《 ミレトにおける告別説教 》 から、パウロのエペソ教会に寄せた思い、宣教者の姿勢に学びたい。
この説教は、パウロがエルサレム行きを急いだ為、エペソには寄らず、17節 「教会の長老たち」を、ミレトに迎えて取り次いだ時のものであるが、18節 「・・・最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。」と何一つためらうことなく言い得たことは、素晴らしい !! パウロの強みはいつも、この内的確信にあるのだ。
至らなかったとの悔いもなく、もっとこうすべきだったとの無念さもなく、自らの無力さを嘆いて、弁解がましくお詫びを並べ立てるのでもなく、何と充実感溢れる言葉が伝えられていることか !! しかも恩着せがましさもなく、むしろ、説教の後には、36節~38節 「こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。みなは声をあげて泣き、パウロの首を抱いて幾度も口づけし、彼が、『 もう二度と私の顔を見ることがないでしょう 』 と言ったことばによって、特に心を痛めた。それから、彼らはパウロを船まで見送った。」と、パウロへの信頼が込められた感動が一同にあったのだ。
主が十字架の前夜、弟子たちとの最後の晩餐を終えて後、聖父に祈られた祈りに重なる。ヨハネの福音書 17章4節 「・・・わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。」/6節 「わたしは・・・あなたの御名を明らかに・・・」/12節 「・・・御名の中に彼らを保ち、また守りました。」/14節a 「みことばを与え」/22節 「栄光を、彼らに与え」/26節 「御名を知らせました。」に。
パウロのこうした充実感は、どこから・・・
① 19節 「私は・・・主に仕えました。」との仕えるべきお方を明確にしていた確信から。
確かにパウロが直接関わった人々は、エペソ教会に連なっているユダヤ人でありギリシャ人( 19章17節、20章21節 )であったが、彼らを通して主に仕え、主のしもべとして仕えていると自覚していた。こうした主との関係なくして、誰も、「数々の試練の中で」耐え抜くことは出来ない。
もし良きにつけ悪しきにつけ、いつでも人が意識される時、一喜一憂する。人の出方に左右され、自らが携わっている事自体に疑念を抱き、動揺することになるから。
パウロのエペソ行きも、16章6節 「禁じられたので・・・」委ね、18章21節 「神のみこころなら」と言って、遂にやって来た町なのだ。絶えず主に仕えての働きなのだ。
② 20節~21節 「益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました・・・」、27節 「私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせて」、31節 「私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。」との福音は伝えられるべき真理との確信から。
その福音の確信は、21節 詳訳 「ユダヤ人たちにもギリシャ人たちにも絶えず〈 熱心に 〉あかしして、彼らが神に【対して当然なすべき】悔い改めをもって立ち帰り、又、私たちの主イエス・キリストに【対して当然抱くべき】信仰を持つように、強く勧めて来ました」との出方に導いた。
それは、パウロの個人的な主との出会いについての証【自らが罪人であるとの謙った告白】/神に対する悔い改め【過去の生き方からの徹底した方向転換に ⇒ 19章18節~19節】の勧め/主イエスに対する信仰【十字架による犠牲を、過去の清算と、きよめられ続けて行く為の代価として信じる信仰】の勧めを明確にしたということ。
③ 33節~35節 「私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『 受けるよりも与えるほうが幸いである 』 と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」との良心的に明け渡された生活の確信から。
24節 「・・・あかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」との告白に生きた証である。
※ こうしたエペソ教会との信頼関係の絆は、パウロ無き後、後継者に向けて、自覚を持たせる説得力となったに違いない。28節~31節aでは、「目をさましていなさい。」との厳格な忠告を与えているが、パウロのこの確信には、おごりはない。コリント人への手紙 第一 15章10節 「しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」によるものと知って、この霊的経験を互いの挑戦としたい。
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