使徒の働き19章21節~41節
先週は、パウロが切望していたアジヤ地方での宣教に着手し、エペソでのほぼ三年に及んだ働きによって、20節 「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った」とした要因がどこにあったかを学んだ。
それを、11節~12節の「神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行われた」ことが契機となって起こった、13節~16節の予想外の出来事から考えた。
これまでにも出て来た魔よけ祈禱師の存在は、一世紀のユダヤ教の堕落した状態の悲しむべき事実であり、魔術は悪霊を追い出す為に採用されていた手段だったと言われている。彼らは皆一様に、聖霊の働きに便乗して、収益を得ようとする者たちだった。パウロにとって煩わしい存在であったに違いない。
ところが何という結果が出て来たことか !! 便乗した彼らが、15節~16節 「すると悪霊が答えて、『 ・・・おまえたちは何者だ 』 」と、恥をかかされるということになる。そして、17節 「このことが・・・」むしろ困ったことにはならず、それどころか、教会の質を変える一大転機となるのだ !! 18節 詳訳 「今は信者になっていた者たちが多くやって来て、彼らの【以前の偽りに満ちた、邪悪な】行為をすっかり告白して全部さらけ出した。そして、奇妙な魔術を行なっていた多くの者たちが自分の書物を集めて、それを次々と投げて積み上げ、みな人の見ている前で焼いた」とは、《 信仰告白の徹底 》 である。主への畏敬に見る、主との関係の真面目さ、誠実さこそ、宣教の鍵 !!
※ 宣教に伴う困難は教会を衰退させるどころか純化し、宣教を推進させるとの事実を、互いの信仰の挑戦としたい、と。
先週の学びでは、パウロがここエペソでの宣教の様子をコリント教会に伝えるのに「獣と戦った」と言った聖句から、悪霊の働きによる迫害の凄まじさを垣間見させて頂いた。今朝はその一方で、23節 「この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった」事件によって、迫害下にあっても、実はパウロたちを通して、福音の光が放たれていたという事実を見て、主を賛美したい。
21節~22節には、パウロの今後の予定とビジョン、また同時に、ひと足先に「テモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた」との状況が伝えられているが、その時の出来事である。
この騒動には、二つの理由があったように思われる。
その一つは、26節~27節 「ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」との懸念による。
この繁栄ぶりは、「ご威光」と彼らが言っている通りのもので、当時の世界の30か所以上で礼拝が行われていたと言われている。エペソの港に広大な敷地を占めて建造されているアルテミス神殿は、アテネのパルテノン神殿の4倍を誇る、古代七不思議の一つとされている程のもの。
その「ご威光も地に落ちてしまいそう」とは、何という福音がもたらした影響力の強大さ !!
それは取りも直さず ※ 23節 「この道」、即ち、へブル人への手紙 10章20節 現代訳 「イエスはご自分の体を犠牲にし、聖所と至聖所の間を隔てていた垂幕を取り除き、私たちが神の御許に自由に行けるようにしてくださった」という「新しい生ける道」の魅力、彼らのアルテミス礼拝では経験出来なかった 《 生ける神との交わりに導く道、生活そのものの 》 のことである。
アルテミスの月( 3、4月 )に行われる祭りは極めて官能的で、神殿売春を伴っていたと言われている。礼拝と称しながら、如何に淫らな生き方が奨励されていたことか !!
マタイの福音書 16章18節~19節 「ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます・・・」との力によって、彼らをいかがわしい生活から解放されたのだ。
今一つの理由は、多くの人々のアルテミス礼拝離れによってもたらされた経済的損失にあった。
24節~25節 「デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。『 皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです・・・ 』 」、26節 「ところが・・・」と、ただならぬ事態を迎えることになった。
その彼の訴えは、組合の人々を直ちに巻き込んで、28節 「怒り」を引き起こし、遂には、29節 「町中が大騒ぎになり・・・マケドニヤ人ガイオとアリスタルコ」が捕らえられる羽目になる。
その現場に居合わせなかったパウロは、同行者が連行されたことを知って自ら助けに入ろうとしたが、30節 「弟子たちがそうさせなかった」ことで、その騒動による難は避けられたというもの。
さて、迫害者たちが混乱状態に陥った時( 32節 )、 《 パウロたちに敵意を抱くどころか、弁護さえする 》 人たちがいたことに学んで Message としたい。
① パウロを劇場に入らせまいとした ※ 31節 「アジヤ州の高官で、パウロの友人である人たち」の存在があったこと。
彼らとは、ローマ皇帝礼拝を組織する祭司長たち、或いは、アルテミスの祭司、他の神々の祭司である。どういう訳か、パウロに好意的であるということは驚きに値する。大衆のような無分別な立場を取らずに友好的だったのは、パウロたちから宗教的な魅力を感じていたからなのでは ?
② 仲介役として明らかに、キリスト者を弁護した ※ 35節 「町の書記役」の存在があったこと。
37節 「・・・この人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもない」、40節 「正当な理由がない」とまで証言している。ここにパウロの宣教の姿勢、聖書の真理に対する態度を垣間見る。聖書の真理は、キリスト者をして異教徒に否定的な態度を取らせず、異教徒の反応を恐れずに揺るぎない確信をもって、そこに生きるようにさせるものであるとの姿勢である。
※ 異教の地における証のその姿勢に、倣いたい。
先週は、パウロが切望していたアジヤ地方での宣教に着手し、エペソでのほぼ三年に及んだ働きによって、20節 「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った」とした要因がどこにあったかを学んだ。
それを、11節~12節の「神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行われた」ことが契機となって起こった、13節~16節の予想外の出来事から考えた。
これまでにも出て来た魔よけ祈禱師の存在は、一世紀のユダヤ教の堕落した状態の悲しむべき事実であり、魔術は悪霊を追い出す為に採用されていた手段だったと言われている。彼らは皆一様に、聖霊の働きに便乗して、収益を得ようとする者たちだった。パウロにとって煩わしい存在であったに違いない。
ところが何という結果が出て来たことか !! 便乗した彼らが、15節~16節 「すると悪霊が答えて、『 ・・・おまえたちは何者だ 』 」と、恥をかかされるということになる。そして、17節 「このことが・・・」むしろ困ったことにはならず、それどころか、教会の質を変える一大転機となるのだ !! 18節 詳訳 「今は信者になっていた者たちが多くやって来て、彼らの【以前の偽りに満ちた、邪悪な】行為をすっかり告白して全部さらけ出した。そして、奇妙な魔術を行なっていた多くの者たちが自分の書物を集めて、それを次々と投げて積み上げ、みな人の見ている前で焼いた」とは、《 信仰告白の徹底 》 である。主への畏敬に見る、主との関係の真面目さ、誠実さこそ、宣教の鍵 !!
※ 宣教に伴う困難は教会を衰退させるどころか純化し、宣教を推進させるとの事実を、互いの信仰の挑戦としたい、と。
先週の学びでは、パウロがここエペソでの宣教の様子をコリント教会に伝えるのに「獣と戦った」と言った聖句から、悪霊の働きによる迫害の凄まじさを垣間見させて頂いた。今朝はその一方で、23節 「この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった」事件によって、迫害下にあっても、実はパウロたちを通して、福音の光が放たれていたという事実を見て、主を賛美したい。
21節~22節には、パウロの今後の予定とビジョン、また同時に、ひと足先に「テモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた」との状況が伝えられているが、その時の出来事である。
この騒動には、二つの理由があったように思われる。
その一つは、26節~27節 「ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」との懸念による。
この繁栄ぶりは、「ご威光」と彼らが言っている通りのもので、当時の世界の30か所以上で礼拝が行われていたと言われている。エペソの港に広大な敷地を占めて建造されているアルテミス神殿は、アテネのパルテノン神殿の4倍を誇る、古代七不思議の一つとされている程のもの。
その「ご威光も地に落ちてしまいそう」とは、何という福音がもたらした影響力の強大さ !!
それは取りも直さず ※ 23節 「この道」、即ち、へブル人への手紙 10章20節 現代訳 「イエスはご自分の体を犠牲にし、聖所と至聖所の間を隔てていた垂幕を取り除き、私たちが神の御許に自由に行けるようにしてくださった」という「新しい生ける道」の魅力、彼らのアルテミス礼拝では経験出来なかった 《 生ける神との交わりに導く道、生活そのものの 》 のことである。
アルテミスの月( 3、4月 )に行われる祭りは極めて官能的で、神殿売春を伴っていたと言われている。礼拝と称しながら、如何に淫らな生き方が奨励されていたことか !!
マタイの福音書 16章18節~19節 「ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます・・・」との力によって、彼らをいかがわしい生活から解放されたのだ。
今一つの理由は、多くの人々のアルテミス礼拝離れによってもたらされた経済的損失にあった。
24節~25節 「デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。『 皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです・・・ 』 」、26節 「ところが・・・」と、ただならぬ事態を迎えることになった。
その彼の訴えは、組合の人々を直ちに巻き込んで、28節 「怒り」を引き起こし、遂には、29節 「町中が大騒ぎになり・・・マケドニヤ人ガイオとアリスタルコ」が捕らえられる羽目になる。
その現場に居合わせなかったパウロは、同行者が連行されたことを知って自ら助けに入ろうとしたが、30節 「弟子たちがそうさせなかった」ことで、その騒動による難は避けられたというもの。
さて、迫害者たちが混乱状態に陥った時( 32節 )、 《 パウロたちに敵意を抱くどころか、弁護さえする 》 人たちがいたことに学んで Message としたい。
① パウロを劇場に入らせまいとした ※ 31節 「アジヤ州の高官で、パウロの友人である人たち」の存在があったこと。
彼らとは、ローマ皇帝礼拝を組織する祭司長たち、或いは、アルテミスの祭司、他の神々の祭司である。どういう訳か、パウロに好意的であるということは驚きに値する。大衆のような無分別な立場を取らずに友好的だったのは、パウロたちから宗教的な魅力を感じていたからなのでは ?
② 仲介役として明らかに、キリスト者を弁護した ※ 35節 「町の書記役」の存在があったこと。
37節 「・・・この人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもない」、40節 「正当な理由がない」とまで証言している。ここにパウロの宣教の姿勢、聖書の真理に対する態度を垣間見る。聖書の真理は、キリスト者をして異教徒に否定的な態度を取らせず、異教徒の反応を恐れずに揺るぎない確信をもって、そこに生きるようにさせるものであるとの姿勢である。
※ 異教の地における証のその姿勢に、倣いたい。
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