聖日礼拝 『使徒の働き』 より 39


使徒の働き18章18節~28節

先週は、アテネを去って後、第二次伝道旅行を終えようとしていたパウロの 《 コリントでの働き 》 に注目した。
コリントの町の特色については、アテネの町が ※ 17章16節 「偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。」とあったのとは打って変わって不道徳で満ち溢れていたと、学んで後、18章9節~10節 「ある夜、主は幻によってパウロに、『 恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない・・・ 』 」と語られたことから・・・

ⅰ パウロにとって、その「恐れ」とは ?
語ることを恐れたのだ。8節を読むと、《 結果がなかったからではない、あったにも拘らずの恐れ 》 なのだ。迫害を物ともせずに来たパウロにしては、稀な恐怖心では ? そうだとすれば、この町が醸し出している雰囲気に独特の脅威を感じていたことになる。10節で、主は二つのことに触れられた。
a. 「だれもあなたを襲って、危害を加える者はない」と。と言うことは、主に従う者を起こしている張本人として、パウロ自らが被ることになる迫害への、個人的な恐れである。
b. 「この町には、わたしの民がたくさんいるから」とあるが、腐敗した環境から引き抜かれて 《 主に信仰告白した 》 人々を襲うであろう脅威、彼らを待ち受けている厳しい信仰生活を予測しての恐れである。

ⅱ パウロは、10節a 「わたしがあなたとともにいるのだ・・・」との直接的な語り掛けに力を得て、11節 「一年半ここに腰を据えて・・・教え続けた」。

※ 強く在ることが出来るのは、主によってであって、人間的な拠り所などにはないことを感謝したい、と。


今朝の為にお読みした個所では、パウロはコリントでの働きの後、プリスキラとアクラを伴いエペソに立ち寄って説教した時、20節で「長くとどまるように頼」まれたが、※ 21節では「神のみこころなら、また・・・」と別れを告げて、第三次伝道旅行に備えることに。そこで今朝は、パウロの動きにではなく、エペソに留まることになったその二人の働きに注目したい。
彼ら二人について、パウロが紹介している手紙の文面と合わせて 《 どのような器方だったのか 》 見ておきたい。
先ず、ここ18章2節~3節では、パウロがコリントに行った時、「アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。」とある。
ポントと言えば( 現在のトルコ北部中央に位置 )、あのペンテコステの日の出来事( 2章1節~12節 )を目撃した「敬虔なユダヤ人」が散在していた国々の中に、その名を連ねていたことを記憶しているでしょう。
彼ら二人は、パウロに出会う前から、クリスチャンとなっていたと思われる。パウロとの面識はなかったとしても、17章6節 「世界中を騒がせて来た者たち」と警戒されているパウロのことですから、彼ら二人が知らない筈がない。
彼らはパウロに出会ったその日から、パウロの伝道の忠実な協力者となって住居を提供し、同労者として、福音の為に生涯を捧げることになるのだ。
ちょうど、パウロがコリントにやって来るのと時を同じくして、「近ごろイタリヤから来ていた」とあるが、何という摂理でしょう。
更に彼らは、パウロが18節 「シリヤへ向けて出帆した」時、同行してエペソに行き、パウロがエペソに別れを告げると、二人はエペソに留まった。その後、第三次伝道旅行の折にパウロが再度( 18章20節~21節 「神のみこころ」の実現 )、エペソで二年間滞在するが、19章23節 「この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上が」り、30節 「パウロは、その集団の中にはいって行こうとしたが弟子たちがそうさせなかった。」とある。
パウロはこの時のことを回顧して、ローマ人への手紙 16章3節~4節 「・・・この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。」と言っている。
この 『 ローマ人への手紙 』 を書いたのは、エペソにいた時から三年後のこと、二人は再度、エペソからローマに戻っていたことになる。パウロがローマに囚人として行った時にも、彼ら二人は仕えたのだろう、宜しくとの挨拶を送っている( ロマ 16・3 )。
又、パウロの絶筆の書では、テモテへの手紙 第二 4章19節 「プリスカとアクラによろしく。」と、テモテに伝言しているのを見る時、パウロにとってどれ程信頼できる器方だったかが分かる。
実はこの夫婦は、大抵、妻プリスキラが夫アクラより先に名が出て来る。妻が先に回心し、夫を信仰に導いたからなのか ? 従って、夫よりその働きにおいて活発的だったのでは。
『 使徒の働き 』 の著者ルカのプリスキラとは愛称。パウロはプリスカと正式名で呼んでいる点にも、敬意を払っている姿勢が伺えるのでは ?

実に、『 使徒の働き 』 でパウロによる働きが顕著である中、このような献身的な器方の存在によって、聖霊による働きがスムーズに行われていたのだとの事実を見て Message としたい。
エペソに留まった彼らの許に、パウロと入れ替わって、24節a 「アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人が」やって来た時のこと。24節b~26節a 「彼は聖書に通じていた。この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。彼は会堂で大胆に・・・」とある。
26節a' 「それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。」という彼ら二人に、私たちは何を学ぶべき ?

① 福音経験が確かであったこと。

アポロの「ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」とは、第一転機としての 《 悔い改めによる罪からの赦し 》 しか・・・なのだ。説教者アポロは重要な一点、きよめについて知らされていないと洞察し得た、彼らの霊的経験が際立っている。

② 節度をもって、臆することなく、聖霊の導きに従って説明する誠実さ。

③ 実践的協力を惜しまないこと。

アポロは謙虚に「神の道」を受け入れたのでしょう。その後、兄弟たちは27節 ※ アカヤ行きを希望する彼を支持して送り出した。


※ 己を明け渡し、聖霊に従って主と人とに仕えた隠れた存在に励まされ、お互いも適材適所用いられる者でありたい。

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