使徒の働き17章16節~34節
先週は、迫害によってテサロニケから退かざるを得なくされたパウロの一行が導かれたベレヤでのことに注目した。
ⅰ 10節 「ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行った。」と、主に明け渡されたパウロの心について。
休息を取るのでもなく、再びテサロニケでの群れの必要をと切願する中、何も手が付かないのでもない。「会堂にはいって」と、即座にベレヤの町の必要に情熱を注いでいる姿勢。
ⅱ 13節 「パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て」と、「神のことば」が伝えられるところには、決まって抵抗があるとの覚悟について。
5節 「ねたみにかられた」、これが迫害の理由で、究極の敵・サタンの本質的な悪によってのこと。迫害の正体は、実にキリストに敵対するサタンの介入、主への嫉妬によるものと賢く弁( わきま )えておくべきこと。
ⅲ 15節 「シラスとテモテに一刻も早く来るように」との伝言を与えて、一時的な彼らの滞在を許し( 14節 )、《 師弟の信頼関係を築きつつ 》 より多き効果を図ってなされた宣教について。
べレヤに留まるとのシラスとテモテの自主的な行動を認めて遣わしつつも、聖霊の確信をもって ※ 15節 「命令」し、アテネで合流して後、18章5節 「シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると」とあるように、アテネから二人をそれぞれ 《 シラスをピリピへ、テモテをテサロニケへと 》 派遣しては、堅実な宣教の働きを推進している。
※ 聖霊に導かれる彼らの信仰に激励を受けての今日を、と。
今朝は、パウロがアテネで 《 ベレヤに残っていたシラスとテモテが来るのを 》 待っている間での出来事に注目したい。
アテネと言えば、ソクラテス、プラトンなど著名な哲学者を生み出し、アクロポリスの丘にギリシャ建築の冠と言われるパルテノン神殿を戴き、人と出会うよりも神々に出会う方が多いと言われる様々な彫像が散在する美術都市で名高い。この誇り高きアテネの町には、訪れる人々を魅了する数多くの文化的・芸術的遺産が存在していた。
ところが、アテネ入りしたパウロは、16節 「町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。」とあり、17節 「そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ・・・」と、早速、単独で宣教に当たっている。
アテネでの反応には、これまでの様な迫害はなく、18節 「・・・その中のある者たちは、『 このおしゃべりは、何を言うつもりなのか 』 と言い、ほかの者たちは、『 彼は外国の神々を伝えているらしい 』 と言った。」/19節~20節 「そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行ってこう言った。『 あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。・・・ 』 」/32節 「・・・ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、『 このことについては、またいつか聞くことにしよう 』 と言った。」/34節 「しかし、彼につき従って信仰にはいった人たちもいた。」と、極めて静かだった。
パウロが 《 19節 「アレオパゴス」 ⇒ 最高裁判所、法廷の会合場所で、宗教・政治の権威を行使していた 》 に連れて行かれたのも邪険に扱われたのではなく、案内されたというもの。
アテネの人々へのアプローチには他の町とは違って、はっきりとした表現を避けてはいるが、語るべき真理を明確にする姿勢に 《 パウロの彼らへの愛を見て 》 Message としたい。
① その婉曲的な説教の動機に、愛を見る。
彼をして語らざるを得なくさせたその動機は、17節 「そこで」とあり、前節 詳訳 「彼の心は深く悲しんだ、怒りを掻き立てられた」を受けてのことである。
この「憤り」は、偶像礼拝に熱心なアテネの人々を蔑視するのでもなく、彼らを裁く気持ちから出たのでもない。
偶像礼拝の経緯とその愚かさについて言及している 『 ローマ人への手紙 』 では、1章21節~23節 「・・・愚かな者となり・・・」と語っていることから、その典型を、このアテネの人々にも見て 《 魂への激しい重荷 》 に心が締め付けられたからである。
偶像の背景にある彼らの霊的盲目状態を目の当たりにした時、それら彫像にどれ程の芸術的価値があったとしても、礼拝の対象となっていた為に、酔いしれることが出来なかった。
日本古来の仏教的芸術作品においても、同じことが言えるのではないか。彼らの信仰の対象で、芸術作品と評価されるその物を、礼拝の対象として来た人々の魂と切り離しては見ることが出来ないという点である。
この魂への重荷は、決して裁く心にはならない。
パウロはこの現実を見過ごしには出来ず、早速、17節 「会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じ」て、彼らに接近した。
② 婉曲的な説教とは言え、福音を恥とせず【気後れせず、反応を恐れず】に悔い改めを迫った、ここに愛を見る。
パウロが説教の為に案内された場所は、アレオパゴスという 《 最高裁判所 》 で、そこに席を占めている目の前の聴衆は 《 哲学者たち 》 である。説教の切り口が、22節~23節 「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。・・・あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。」という、この始まりには、刺激的な響きはなく、彼らの心を柔らかく包み込むような近づき方である。
しかし積極的に、権威をもって、説教はにわかに核心に入って行く。24節~26節では、神は創造者であられ、非人格的な抽象的な存在ではなく、主【絶対的な主権者】であると権威をもって宣言し、遂には【ここに持って行きたかった】 ※ 30節 「今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」と悔い改めを迫った。説教後、32節を見ると、反応は二手に分かれている。「ある者たちはあざ笑い」とあるのは、恐らく、18節 「エピクロス派」の哲学者と考えられる。何故ならば、快楽主義者だから。一方、同節 「ストア派」と考えられる禁欲主義者は、「このことについては、また・・・」と。
相手が誰であろうと、究極的には全ての人が 《 悔い改めて神に立ち返らなければならない 》 との確信こそが、誠実な愛による態度であると、弁( わきま )えたい。
※ 私たちにも、聖霊の愛の注ぎをもっての魂への重荷を !!
先週は、迫害によってテサロニケから退かざるを得なくされたパウロの一行が導かれたベレヤでのことに注目した。
ⅰ 10節 「ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行った。」と、主に明け渡されたパウロの心について。
休息を取るのでもなく、再びテサロニケでの群れの必要をと切願する中、何も手が付かないのでもない。「会堂にはいって」と、即座にベレヤの町の必要に情熱を注いでいる姿勢。
ⅱ 13節 「パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て」と、「神のことば」が伝えられるところには、決まって抵抗があるとの覚悟について。
5節 「ねたみにかられた」、これが迫害の理由で、究極の敵・サタンの本質的な悪によってのこと。迫害の正体は、実にキリストに敵対するサタンの介入、主への嫉妬によるものと賢く弁( わきま )えておくべきこと。
ⅲ 15節 「シラスとテモテに一刻も早く来るように」との伝言を与えて、一時的な彼らの滞在を許し( 14節 )、《 師弟の信頼関係を築きつつ 》 より多き効果を図ってなされた宣教について。
べレヤに留まるとのシラスとテモテの自主的な行動を認めて遣わしつつも、聖霊の確信をもって ※ 15節 「命令」し、アテネで合流して後、18章5節 「シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると」とあるように、アテネから二人をそれぞれ 《 シラスをピリピへ、テモテをテサロニケへと 》 派遣しては、堅実な宣教の働きを推進している。
※ 聖霊に導かれる彼らの信仰に激励を受けての今日を、と。
今朝は、パウロがアテネで 《 ベレヤに残っていたシラスとテモテが来るのを 》 待っている間での出来事に注目したい。
アテネと言えば、ソクラテス、プラトンなど著名な哲学者を生み出し、アクロポリスの丘にギリシャ建築の冠と言われるパルテノン神殿を戴き、人と出会うよりも神々に出会う方が多いと言われる様々な彫像が散在する美術都市で名高い。この誇り高きアテネの町には、訪れる人々を魅了する数多くの文化的・芸術的遺産が存在していた。
ところが、アテネ入りしたパウロは、16節 「町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。」とあり、17節 「そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ・・・」と、早速、単独で宣教に当たっている。
アテネでの反応には、これまでの様な迫害はなく、18節 「・・・その中のある者たちは、『 このおしゃべりは、何を言うつもりなのか 』 と言い、ほかの者たちは、『 彼は外国の神々を伝えているらしい 』 と言った。」/19節~20節 「そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行ってこう言った。『 あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。・・・ 』 」/32節 「・・・ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、『 このことについては、またいつか聞くことにしよう 』 と言った。」/34節 「しかし、彼につき従って信仰にはいった人たちもいた。」と、極めて静かだった。
パウロが 《 19節 「アレオパゴス」 ⇒ 最高裁判所、法廷の会合場所で、宗教・政治の権威を行使していた 》 に連れて行かれたのも邪険に扱われたのではなく、案内されたというもの。
アテネの人々へのアプローチには他の町とは違って、はっきりとした表現を避けてはいるが、語るべき真理を明確にする姿勢に 《 パウロの彼らへの愛を見て 》 Message としたい。
① その婉曲的な説教の動機に、愛を見る。
彼をして語らざるを得なくさせたその動機は、17節 「そこで」とあり、前節 詳訳 「彼の心は深く悲しんだ、怒りを掻き立てられた」を受けてのことである。
この「憤り」は、偶像礼拝に熱心なアテネの人々を蔑視するのでもなく、彼らを裁く気持ちから出たのでもない。
偶像礼拝の経緯とその愚かさについて言及している 『 ローマ人への手紙 』 では、1章21節~23節 「・・・愚かな者となり・・・」と語っていることから、その典型を、このアテネの人々にも見て 《 魂への激しい重荷 》 に心が締め付けられたからである。
偶像の背景にある彼らの霊的盲目状態を目の当たりにした時、それら彫像にどれ程の芸術的価値があったとしても、礼拝の対象となっていた為に、酔いしれることが出来なかった。
日本古来の仏教的芸術作品においても、同じことが言えるのではないか。彼らの信仰の対象で、芸術作品と評価されるその物を、礼拝の対象として来た人々の魂と切り離しては見ることが出来ないという点である。
この魂への重荷は、決して裁く心にはならない。
パウロはこの現実を見過ごしには出来ず、早速、17節 「会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じ」て、彼らに接近した。
② 婉曲的な説教とは言え、福音を恥とせず【気後れせず、反応を恐れず】に悔い改めを迫った、ここに愛を見る。
パウロが説教の為に案内された場所は、アレオパゴスという 《 最高裁判所 》 で、そこに席を占めている目の前の聴衆は 《 哲学者たち 》 である。説教の切り口が、22節~23節 「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。・・・あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。」という、この始まりには、刺激的な響きはなく、彼らの心を柔らかく包み込むような近づき方である。
しかし積極的に、権威をもって、説教はにわかに核心に入って行く。24節~26節では、神は創造者であられ、非人格的な抽象的な存在ではなく、主【絶対的な主権者】であると権威をもって宣言し、遂には【ここに持って行きたかった】 ※ 30節 「今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」と悔い改めを迫った。説教後、32節を見ると、反応は二手に分かれている。「ある者たちはあざ笑い」とあるのは、恐らく、18節 「エピクロス派」の哲学者と考えられる。何故ならば、快楽主義者だから。一方、同節 「ストア派」と考えられる禁欲主義者は、「このことについては、また・・・」と。
相手が誰であろうと、究極的には全ての人が 《 悔い改めて神に立ち返らなければならない 》 との確信こそが、誠実な愛による態度であると、弁( わきま )えたい。
※ 私たちにも、聖霊の愛の注ぎをもっての魂への重荷を !!
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