使徒の働き17章10節~15節
先週は、ピリピに次ぐテサロニケでの宣教の結果、その影響力を見るに見兼ねたユダヤ人たちによる迫害を余儀なくされたが、その状況下で為された宣教の様子について、『 テサロニケ人への手紙 第一 』 から学んだ。
ⅰ 宣教者パウロの姿勢を :
1章5節 ⇒ 彼の宣教は、全面的に、福音それ自体が持っている力と聖霊【罪からの完全な解放、聖霊によって新しい歩みに導かれる】、更に、彼自身において実証済みの福音によって/2章2節~12節 「激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。・・・母がその子どもたちを養い育てるように・・・ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思った」との姿勢。
ⅱ テサロニケの人々の姿勢を :
1章6節 「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。」 ⇒ 信仰を持つことに伴う苦難をすら受け入れる姿勢/9節 「偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり」 ⇒ 異教との関係を明確にした/2章13節 「・・・人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれた」と、語られているところに神の権威を見て、従わざるを得なくされた姿勢。
※ パウロのテサロニケ伝道の喜びは、テサロニケ人への手紙 第一 1章7節~8節 「あなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっている」にある。聖霊が働かれる時のその拡がりを、今日的にも期待したいと。
今朝は、迫害によってテサロニケから身を引くことを余儀なくされたパウロの一行が、西へ70キロ程にあるべレヤの町に行った時のことに注目したい。
パウロは、テサロニケには今しばらく留まって、生まれたばかりの教会の育成に携わりたいと願っていたが、迫害がそれを許さず、テサロニケの兄弟たちによって止むなく ※ 10節 「夜のうちに・・・べレヤへ送り出」されることになったと、先週学びました。しかしテサロニケから逃れはしたものの、13節 「ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがべレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。」とある。
又もや、14節 「そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせた」とあり、パウロはベレヤから離れざるを得なくされている。こうした記事から、実際的な学びを !!
① 10節 「ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行った。」と、主に明け渡されたパウロの心について。
ふたり( 後の記述を見れば、パウロとシラスの他にテモテも一緒で三人 )の送り出された時の心境は ? 何と言っても、後ろ髪を引かれる思いをもってのこと。テサロニケ人への手紙 第一 2章17節~18節 「・・・あなたがたの顔を見たいと切に願っていました。それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。・・・一度ならず二度までも心を決めたのです。しかし、サタンが・・・妨げました。」とは、ベレヤ滞在中の苦悩だったと考えられる !!
このベレヤという町は、主要道路から離れた静かな町と言われていて、パウロが身を寄せたのもテサロニケでの騒動から逃れるのに最適な場所だと考えられたからであろう。
しかしパウロは、休息を取ろうとするのでもない。又、一刻も早く、再度テサロニケの群れの必要に応えたいと勇み立つ気持ちを抱きながらも叶わないもどかしさの中で、何も手が付かないというのでもない。摂理的に立ち寄った町に到着するや「会堂にはいって」とは !! 即座にその町の必要に応えようと情熱を注いでいる姿勢を見る。
いつでも、パウロの心は 《 主の必要に応える為に 》 開放されているのだ。何処にも、自分の必要に縛られる不自由さがない。柔軟にいつでも何処ででも、主の必要に対して心が開かれている。主の都合がパウロにとっての都合であり、主から離れた自分の都合というものがないからである。概して、一つのことに囚われると心が固まり、他の必要に対して心が用いられなくなるのだが、パウロは自由に行動している。
② 13節 「パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て」と、「神のことば」が伝えられるところには、決まって抵抗があるとの覚悟を。
11節a 「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで」とあるのは、仮にパウロの宣教を受け入れない人々であっても、テサロニケの人々のように働きを阻止したり、危害を加えることはなかったの意。しかしこれは稀なので、敢えて善良だと言っている。
と同時に、パウロの語る所に興味をもった人々の場合に至っては、11節b 「非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。」とあるように、聴かされたことに対する誠実な態度においも善良だった。
何故、そのような中で迫害が起こるのか ?
5節 「ねたみにかられたユダヤ人」と、その理由が明白にされている。マタイの福音書 27章18節 「ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていた」とあるように、自分以外の者が祝福されることに我慢が出来ない、究極の敵・サタンの本質的な悪によってのこと。
迫害の正体は、実にキリストに敵対するサタンの介入、主への嫉妬によるものと賢く弁( わきま )えておきたい。
③ ベレヤからアテネに送り出されたパウロは、15節 「シラスとテモテに一刻も早く来るように」との伝言を与えて、一時的に彼らの滞在を許しつつ【14節 「シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。」】と、《 師弟の信頼関係を築き上げながら 》 より多くの効果を図りながらの宣教を。
ある時には、シラスとテモテの自主的な行動を理解して遣わしつつも、ここでは聖霊による確信をもって ※ 15節 「命令」し、アテネで合流して後、18章5節 「シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると」とあるように、アテネから二人をそれぞれ 《 シラスをピリピへ、テモテをテサロニケへと 》 派遣しては、堅実な宣教の働きを推進している。
テサロニケ人への手紙 第一 3章1節~2節を読む限り、シラス( シルワノ )がピリピへ遣わされたとの記述はないが、シラスとテモテの二人が【マケドニヤ地方】から下って来たとの含みで読むならば、恐らく、シラスはピリピへ派遣されたのでは ? と考えられる。 ⇒ ウェスレアン聖書注解
※ 聖霊に導かれる彼らの信仰に激励を受けての今日を !!
先週は、ピリピに次ぐテサロニケでの宣教の結果、その影響力を見るに見兼ねたユダヤ人たちによる迫害を余儀なくされたが、その状況下で為された宣教の様子について、『 テサロニケ人への手紙 第一 』 から学んだ。
ⅰ 宣教者パウロの姿勢を :
1章5節 ⇒ 彼の宣教は、全面的に、福音それ自体が持っている力と聖霊【罪からの完全な解放、聖霊によって新しい歩みに導かれる】、更に、彼自身において実証済みの福音によって/2章2節~12節 「激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。・・・母がその子どもたちを養い育てるように・・・ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思った」との姿勢。
ⅱ テサロニケの人々の姿勢を :
1章6節 「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。」 ⇒ 信仰を持つことに伴う苦難をすら受け入れる姿勢/9節 「偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり」 ⇒ 異教との関係を明確にした/2章13節 「・・・人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれた」と、語られているところに神の権威を見て、従わざるを得なくされた姿勢。
※ パウロのテサロニケ伝道の喜びは、テサロニケ人への手紙 第一 1章7節~8節 「あなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっている」にある。聖霊が働かれる時のその拡がりを、今日的にも期待したいと。
今朝は、迫害によってテサロニケから身を引くことを余儀なくされたパウロの一行が、西へ70キロ程にあるべレヤの町に行った時のことに注目したい。
パウロは、テサロニケには今しばらく留まって、生まれたばかりの教会の育成に携わりたいと願っていたが、迫害がそれを許さず、テサロニケの兄弟たちによって止むなく ※ 10節 「夜のうちに・・・べレヤへ送り出」されることになったと、先週学びました。しかしテサロニケから逃れはしたものの、13節 「ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがべレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。」とある。
又もや、14節 「そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせた」とあり、パウロはベレヤから離れざるを得なくされている。こうした記事から、実際的な学びを !!
① 10節 「ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行った。」と、主に明け渡されたパウロの心について。
ふたり( 後の記述を見れば、パウロとシラスの他にテモテも一緒で三人 )の送り出された時の心境は ? 何と言っても、後ろ髪を引かれる思いをもってのこと。テサロニケ人への手紙 第一 2章17節~18節 「・・・あなたがたの顔を見たいと切に願っていました。それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。・・・一度ならず二度までも心を決めたのです。しかし、サタンが・・・妨げました。」とは、ベレヤ滞在中の苦悩だったと考えられる !!
このベレヤという町は、主要道路から離れた静かな町と言われていて、パウロが身を寄せたのもテサロニケでの騒動から逃れるのに最適な場所だと考えられたからであろう。
しかしパウロは、休息を取ろうとするのでもない。又、一刻も早く、再度テサロニケの群れの必要に応えたいと勇み立つ気持ちを抱きながらも叶わないもどかしさの中で、何も手が付かないというのでもない。摂理的に立ち寄った町に到着するや「会堂にはいって」とは !! 即座にその町の必要に応えようと情熱を注いでいる姿勢を見る。
いつでも、パウロの心は 《 主の必要に応える為に 》 開放されているのだ。何処にも、自分の必要に縛られる不自由さがない。柔軟にいつでも何処ででも、主の必要に対して心が開かれている。主の都合がパウロにとっての都合であり、主から離れた自分の都合というものがないからである。概して、一つのことに囚われると心が固まり、他の必要に対して心が用いられなくなるのだが、パウロは自由に行動している。
② 13節 「パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て」と、「神のことば」が伝えられるところには、決まって抵抗があるとの覚悟を。
11節a 「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで」とあるのは、仮にパウロの宣教を受け入れない人々であっても、テサロニケの人々のように働きを阻止したり、危害を加えることはなかったの意。しかしこれは稀なので、敢えて善良だと言っている。
と同時に、パウロの語る所に興味をもった人々の場合に至っては、11節b 「非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。」とあるように、聴かされたことに対する誠実な態度においも善良だった。
何故、そのような中で迫害が起こるのか ?
5節 「ねたみにかられたユダヤ人」と、その理由が明白にされている。マタイの福音書 27章18節 「ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていた」とあるように、自分以外の者が祝福されることに我慢が出来ない、究極の敵・サタンの本質的な悪によってのこと。
迫害の正体は、実にキリストに敵対するサタンの介入、主への嫉妬によるものと賢く弁( わきま )えておきたい。
③ ベレヤからアテネに送り出されたパウロは、15節 「シラスとテモテに一刻も早く来るように」との伝言を与えて、一時的に彼らの滞在を許しつつ【14節 「シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。」】と、《 師弟の信頼関係を築き上げながら 》 より多くの効果を図りながらの宣教を。
ある時には、シラスとテモテの自主的な行動を理解して遣わしつつも、ここでは聖霊による確信をもって ※ 15節 「命令」し、アテネで合流して後、18章5節 「シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると」とあるように、アテネから二人をそれぞれ 《 シラスをピリピへ、テモテをテサロニケへと 》 派遣しては、堅実な宣教の働きを推進している。
テサロニケ人への手紙 第一 3章1節~2節を読む限り、シラス( シルワノ )がピリピへ遣わされたとの記述はないが、シラスとテモテの二人が【マケドニヤ地方】から下って来たとの含みで読むならば、恐らく、シラスはピリピへ派遣されたのでは ? と考えられる。 ⇒ ウェスレアン聖書注解
※ 聖霊に導かれる彼らの信仰に激励を受けての今日を !!
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