聖日礼拝 『使徒の働き』 より 25


使徒の働き11章1節~18節

先週は、たった二日前には 《 汚れた動物をほふって食べなさいとの主のご指示に 》 悩んでいたペテロが、聖霊の穏やかな指導に従ってカイザリヤに赴いた時、迎え出ていた異邦人コルネリオに福音が届けられたという感動的場面に学んだ。

ⅰ 聖霊が私たちを 《 いつでも救いを必要としている人々のもとに 》 遣わされるということ。

ⅱ この事実の前には何と言っても、聖霊によって導かれるという 《 一にも二にも霊的経験の確かさ 》 が必要であること。
この一点がおざなりにされた宣教は、少なくとも主の求め、期待しておられる働きではない。仮に目に見える結果として、「・・・行( おこな )ったではありませんか」と言ったところで、「その時、わたしは彼らにこう宣告します。『 ・・・不法をなす者ども。わたしから離れて行け。 』 マタイの福音書 7章15節~23節」とは、厳粛ではないか !! 主は〈 結果があればそれで良し 〉とされるお方ではない。問題は、「不法をなす者 ⇒ 主の戒めを無視する者」である限り、業そのものに意味がないことにある。
ペテロの働きは唯、29節 「それで・・・来たのです。」と、肉を扱って頂いては聖霊に従うだけのことだった。

ⅲ そこには聖霊による 《 渇いた魂の備え 》 があったこと。
ここに、人の介入の余地は全くない。ペテロの目の前には、唯一神に目覚め、ユダヤ的習慣に従う宗教生活をしていたコルネリオによって呼び集められた多くの人々【親族や親しい友人たち】が、渇いて出ていた。聖霊の驚異的干渉の素晴らしさと見るのみ。

※ もっと聖霊の働きを期待する謙遜な者でありたい、と。


今朝は、1節 「さて、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のみことばを受け入れた、ということを耳にした。」とあることから起こった ※ 2節 「非難」に対して、釈明を迫られたペテロに注目致します。
これまで私たちは、教会が徐々に、福音の拡大【エルサレムから出て、「ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地」へと】を見るようにされて来ているのを学んで来た( 9章31節 )。
教会に、積極的なビジョンがあって推し進められた訳ではなく、むしろ、激しい迫害を転機に、一所に留まることが出来ず、散らされることによってであったと。どちらかと言うと教会は外に向かっては消極的だった。教会はあくまでも、福音宣教の拡大を図られる聖霊の導きに従うという位置で、そこから異邦人にまで運ばれて来ているのだ。
このような教会の体質上、彼らの日常生活においては、キリスト信仰に立つ者であるとは言え、依然としてユダヤ的習慣を守ることに何の違和感も、問題意識も、抵抗感もなかったのは当然のことだった。そのような訳で、新しい動きには注意深く、それらを直ちに受け入れることに躊躇する傾向性が。
正に今朝の記事が、この事実の現れである。
2節~3節 詳訳 「そこで、ペテロがエルサレムに上った時、割礼派〈 党派が存在していることの意ではなく、割礼を受けている者、ユダヤ人として生まれた者の意 〉は彼をとがめ〈 敵意をもって分離し、彼に対立し、論争し、争い 〉、『 なぜあなたは無割礼の者たちのところに行って、彼らと食事をともに【することまで】したのか 』 と言った」とある。

生粋のユダヤ人たちにとって、1節b 「異邦人たちも神のみことばを受け入れた」ことへの関心はどうなのか ? 彼らの救いは、教会内で重大な課題となって行く。15章1節 「・・・兄弟たちに 『 モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない 』 と教えていた。」/同 5節 「パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、『 異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである 』 と言った。」とあるように、後、エルサレム会議で協議される程になる。
11章に戻ると、この事態を受けたペテロは ※ 7節~11節で、あのカイザリヤのコルネリオになされた聖霊の働きについて証した。この経験以来ペテロは、異邦人との交わりを実行して行くことになる。
ガラテヤ人への手紙 2章14節c 「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していた」と。ところがどうでしょう !! この言葉に続く ※ 14節e 「・・・のに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。」とは、ペテロの矛盾を叱責したパウロの言葉である。即ち、折角ユダヤ的習慣から離れて、キリスト者の自由をもって生活し始めていたのに、エルサレム教会からやって来た ※ 12節c 「割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。」/13節 「そして、ほかのユダヤ人たちも・・・引き込まれてしまいました。」との指摘である。
あのペテロが !! バルナバまでもが !! このユダヤ的習慣を巡る問題が如何に根強く、教会の本来在るべき互いの関係を揺るがし兼ねないものだったかを窺( うかが )わせる場面である。
産みの苦しみをしつつ成長する教会に、先ず第一歩となる 《 18節 「人々はこれを聞いて沈黙し、『 それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ 』 と言って、神をほめたたえた。」の 》 理解が与えられたことは感謝 !!

ペテロが語った【11章5節~17節】に学ぶべきことは ?

① 4節 「そこでペテロは口を開いて、事の次第を順序正しく説明して言った。」とある、ペテロの冷静沈着な姿勢。

アンテオケでのパウロからの手厳しい抗議は、ペテロが「割礼派の人々を恐れ」た言動へのものだったことから推し量る時、この初めの非難への対応には余程の勇気が必要であったに違いない。

② 8節 「しかし私は、『 主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません 』 と言いました。」と、自らも又同様、非難するあなたがたの心情をしっかり知っているとする姿勢。

とかく非難する者を咎め、有無を言わせまいとする傾向性があるが、「自らも又同じ」と言えることは幸いなのだ。

③ 16節~17節 「主が・・・と言われたみことばを思い起こしました。こういうわけですから、・・・どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」と、聖書的根拠があっての出来事であると宣言する姿勢。

経験も然る事( さること )ながら聖書の事実こそ説得力である。


※ 教会内で起こる問題に恐れる必要はない。成長過程において問題を当然としつつ、対応の姿勢に留意するのみ。

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