使徒の働き9章31節~43節
先週は、回心したサウロが、直ちに主の召命【15節~16節】に従ってキリスト者としての歩みを始めた記事から、23節 「多くの日数」が、ガラテヤ人への手紙 1章17節~18節aの、「アラビヤに出て行」った三年間を意味していると学び、《 「選びの器」としての生涯の鍵が、ここにあった !! 》 と見て、この一点に注目した。
昇天直前、主が弟子に語られた ※ 1章4節 「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」に同じである。
何故 ? ガラテヤ人への手紙 1章13節~14節 「以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は・・・」と語る彼には、いつも涙なくしては語ることの出来ない深い悔恨の過去があり、彼が行く所々で告白せざるを得なくされた 《 彼の過去・・・神の教会を迫害 》 があったから。
晩年、テモテへの手紙 第一 1章12節~17節 「私はその罪人のかしらです。」と告白するのにも、※ 17節 「唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。」との礼拝なくして語れなかった彼。
『 ローマ人への手紙 』 は、彼が後、伝道旅行の折に書き送ったものではあるが、このアラビヤに退いて 《 唯独り、神との交わりに深く沈潜し 》 整理した、彼自身の霊的経験の集大成だったと考えられる。赦されざる罪が赦されたという法外な事実を 《 恵み 》 と繰り返す感動が溢れているのは当然なのだ。
サウロにとっての方向転換には、走りながらでは到底整理し切れない過去があり、砕かれ砕かれて深く地に根を下ろさなければ、決して始められない 《 これからの生涯 》 があるから。
※ 「アラビヤに出て行く」とは、ある特定期間だけを意味しない。主との深い交わりに時と場所とを聖別する必要性を意味し、私たちに「アラビヤ」があるだろうか ? と問われた。
今朝は、31節 「こうして教会は・・・」と伝えられている 《 ほぼ10年の経過を見たと考えられる 》 教会の様子に注目したい。
教会の宣教活動の範囲は拡げられ、「ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて」とある。
教会ではステパノの殉教後、使徒たち以外の者が、8章1節 「ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた」ことによって、初めてエルサレム以外の地域に福音が運ばれることとなった。
その時の様子は特に、ピリポのサマリヤ伝道について、その成果と、エルサレム教会から ※ 8章14節 「ペテロとヨハネ」の派遣があったことが伝えられている。更には、帰途についた使徒たちが ※ 同 25節 「サマリヤ人の多くの村でも福音を宣べ伝えた。」ともある。9章32節~10章全は、ペテロによってそのサマリヤ伝道が継続されたことを伝えている。
唯、「ガリラヤ」地方での働きについては、直接的な記録はないが、散らされた人々が、8章4節 「みことばを宣べながら、巡り歩いた」時、ユダヤとサマリヤのみならず、ガリラヤにまで北上したことによるものだろう。パウロが向かったダマスコは、ガリラヤ地方の北東70~80キロに位置するので、当然多くの散らされた人々が入って行っている筈。
ガリラヤは、主が宣教の拠点を置いて働かれた地であり、そこで人々は、主の山上の説教に与っている。主がなさった数々の奇蹟は殆んど、この地方でのこと。重度の皮膚病人と中風の人の癒し、盲人は目が開かれ、他にも汚れた霊からの解放、パンと魚の奇蹟等々。ここに福音が届けられた時、彼らは信じたのだ。
「教会」とは、20章28節 「神がご自身の血をもって買い取られた神の教会」、即ち、御子の血によって贖い出され、神のものとなる為に召し出された群れ( ギ・エクレーシア・・・召集の意 )。その人々が、「ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地」から召し出され、「・・・信者の数がふえて行った」というのだ。
さて、「こうして教会は」とあるこの「こうして」とは、どの様にしてだったのか ? 『 使徒の働き 』 に出て来る二つ目の「こうして」であることを踏まえて、初めの ※ 6章7節 「こうして」以降の記事から学びたい。その鍵はあくまでも、31節c 「聖霊に励まされて前進し続けたので・・・」にある !!
① 使徒たちは、迫害がなかったならば、恐らく、エルサレムから出なかったのでは ? と見て来た。主が彼らに仰った ※ 1章8節を意識的に拒絶していたとは考えられない。むしろ、その日を待ち望む姿勢はあったのでは ? しかし積極的な意味合いにおいてのビジョンがあったとは考え難い。唯、その意識が希薄だったというところなのでは ?
教会は、内部で発生する諸問題を解決しながら、互いの間の愛を確立し、組織的にも充実が図られ、主の「もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、・・・あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。 ヨハネの福音書 13章35節」の実現を見ることになった。
その教会に突如として襲った迫害は、これまでの迫害とは性質を異にした 《 初めて、殉教者を出すという形 》 での迫害だったが、聖霊はそこに干渉されたのだ。
教会にとっては衝撃的な試練となったが、実は、信仰的な見方をすれば、教会に愛の確立を見るようになって来たからである。時宜にかなって許された、聖霊の意図があっての出来事だったのだ。
聖霊は愛に満ちた教会を打つことによって、福音経験の次のステップを踏み出させようとされた。打たれた教会には生き生きとした信仰( マルコの福音書 8章35節 )を与え、打たれた教会を通して、失われたこの世を救おうと意図されたのだ。
教会は、聖霊によって霊の目が開かれ、徐々に宣教の何なるかを学ぶように導かれて行くことになったのだ。
② 何と言っても、迫害者サウロを回心に導いた聖霊の働きを認めない訳にはいかない。但しここで注目すべきことは、ここで用いられた器の霊的柔軟性である。
アナ二ヤは、ダマスコで評判の良い人であったとは言え、主の ※ 11節 「サウロというタルソ人を・・・尋ねなさい。」との指示には即、従えずに抗議した。しかし、主の説得には従って、※ 17節 「兄弟サウロ。」と、彼を迎えた霊的柔軟性。サウロが、エルサレム教会での理解が得られずに恐れられていた時、27節 「彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行」ったバルナバの霊的柔軟性。聖霊は、13節 「この人が・・・どんなにひどいことをしたかを聞きました。」との教会の 《 先入観にとらわれる肉、固定概念に縛られる肉 》 を扱って起用されたのだ。
※ 顕著な、聖霊の働きによる前進を体得させて頂きたい。
先週は、回心したサウロが、直ちに主の召命【15節~16節】に従ってキリスト者としての歩みを始めた記事から、23節 「多くの日数」が、ガラテヤ人への手紙 1章17節~18節aの、「アラビヤに出て行」った三年間を意味していると学び、《 「選びの器」としての生涯の鍵が、ここにあった !! 》 と見て、この一点に注目した。
昇天直前、主が弟子に語られた ※ 1章4節 「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」に同じである。
何故 ? ガラテヤ人への手紙 1章13節~14節 「以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は・・・」と語る彼には、いつも涙なくしては語ることの出来ない深い悔恨の過去があり、彼が行く所々で告白せざるを得なくされた 《 彼の過去・・・神の教会を迫害 》 があったから。
晩年、テモテへの手紙 第一 1章12節~17節 「私はその罪人のかしらです。」と告白するのにも、※ 17節 「唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。」との礼拝なくして語れなかった彼。
『 ローマ人への手紙 』 は、彼が後、伝道旅行の折に書き送ったものではあるが、このアラビヤに退いて 《 唯独り、神との交わりに深く沈潜し 》 整理した、彼自身の霊的経験の集大成だったと考えられる。赦されざる罪が赦されたという法外な事実を 《 恵み 》 と繰り返す感動が溢れているのは当然なのだ。
サウロにとっての方向転換には、走りながらでは到底整理し切れない過去があり、砕かれ砕かれて深く地に根を下ろさなければ、決して始められない 《 これからの生涯 》 があるから。
※ 「アラビヤに出て行く」とは、ある特定期間だけを意味しない。主との深い交わりに時と場所とを聖別する必要性を意味し、私たちに「アラビヤ」があるだろうか ? と問われた。
今朝は、31節 「こうして教会は・・・」と伝えられている 《 ほぼ10年の経過を見たと考えられる 》 教会の様子に注目したい。
教会の宣教活動の範囲は拡げられ、「ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて」とある。
教会ではステパノの殉教後、使徒たち以外の者が、8章1節 「ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた」ことによって、初めてエルサレム以外の地域に福音が運ばれることとなった。
その時の様子は特に、ピリポのサマリヤ伝道について、その成果と、エルサレム教会から ※ 8章14節 「ペテロとヨハネ」の派遣があったことが伝えられている。更には、帰途についた使徒たちが ※ 同 25節 「サマリヤ人の多くの村でも福音を宣べ伝えた。」ともある。9章32節~10章全は、ペテロによってそのサマリヤ伝道が継続されたことを伝えている。
唯、「ガリラヤ」地方での働きについては、直接的な記録はないが、散らされた人々が、8章4節 「みことばを宣べながら、巡り歩いた」時、ユダヤとサマリヤのみならず、ガリラヤにまで北上したことによるものだろう。パウロが向かったダマスコは、ガリラヤ地方の北東70~80キロに位置するので、当然多くの散らされた人々が入って行っている筈。
ガリラヤは、主が宣教の拠点を置いて働かれた地であり、そこで人々は、主の山上の説教に与っている。主がなさった数々の奇蹟は殆んど、この地方でのこと。重度の皮膚病人と中風の人の癒し、盲人は目が開かれ、他にも汚れた霊からの解放、パンと魚の奇蹟等々。ここに福音が届けられた時、彼らは信じたのだ。
「教会」とは、20章28節 「神がご自身の血をもって買い取られた神の教会」、即ち、御子の血によって贖い出され、神のものとなる為に召し出された群れ( ギ・エクレーシア・・・召集の意 )。その人々が、「ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地」から召し出され、「・・・信者の数がふえて行った」というのだ。
さて、「こうして教会は」とあるこの「こうして」とは、どの様にしてだったのか ? 『 使徒の働き 』 に出て来る二つ目の「こうして」であることを踏まえて、初めの ※ 6章7節 「こうして」以降の記事から学びたい。その鍵はあくまでも、31節c 「聖霊に励まされて前進し続けたので・・・」にある !!
① 使徒たちは、迫害がなかったならば、恐らく、エルサレムから出なかったのでは ? と見て来た。主が彼らに仰った ※ 1章8節を意識的に拒絶していたとは考えられない。むしろ、その日を待ち望む姿勢はあったのでは ? しかし積極的な意味合いにおいてのビジョンがあったとは考え難い。唯、その意識が希薄だったというところなのでは ?
教会は、内部で発生する諸問題を解決しながら、互いの間の愛を確立し、組織的にも充実が図られ、主の「もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、・・・あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。 ヨハネの福音書 13章35節」の実現を見ることになった。
その教会に突如として襲った迫害は、これまでの迫害とは性質を異にした 《 初めて、殉教者を出すという形 》 での迫害だったが、聖霊はそこに干渉されたのだ。
教会にとっては衝撃的な試練となったが、実は、信仰的な見方をすれば、教会に愛の確立を見るようになって来たからである。時宜にかなって許された、聖霊の意図があっての出来事だったのだ。
聖霊は愛に満ちた教会を打つことによって、福音経験の次のステップを踏み出させようとされた。打たれた教会には生き生きとした信仰( マルコの福音書 8章35節 )を与え、打たれた教会を通して、失われたこの世を救おうと意図されたのだ。
教会は、聖霊によって霊の目が開かれ、徐々に宣教の何なるかを学ぶように導かれて行くことになったのだ。
② 何と言っても、迫害者サウロを回心に導いた聖霊の働きを認めない訳にはいかない。但しここで注目すべきことは、ここで用いられた器の霊的柔軟性である。
アナ二ヤは、ダマスコで評判の良い人であったとは言え、主の ※ 11節 「サウロというタルソ人を・・・尋ねなさい。」との指示には即、従えずに抗議した。しかし、主の説得には従って、※ 17節 「兄弟サウロ。」と、彼を迎えた霊的柔軟性。サウロが、エルサレム教会での理解が得られずに恐れられていた時、27節 「彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行」ったバルナバの霊的柔軟性。聖霊は、13節 「この人が・・・どんなにひどいことをしたかを聞きました。」との教会の 《 先入観にとらわれる肉、固定概念に縛られる肉 》 を扱って起用されたのだ。
※ 顕著な、聖霊の働きによる前進を体得させて頂きたい。
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