聖日礼拝 『使徒の働き』 より 21


使徒の働き9章19節b~31節

先週、宣教の働きは圧倒的に聖霊によるものではあるが、あくまでも 《 器を通して 》 であると確認した上で、その場合の問題点を、用いられた器アナ二ヤに学んだ。

ⅰ アナ二ヤが、 《 主の指示 ※ 11節aに、即刻従えなかった 》 点。
アナ二ヤは、耳にしていたサウロについての情報【13節~14節】に縛られていた為、予め、11節c 「彼は祈っています。」/12節 「・・・幻で見たのです。」とまで伝えておられる主に抗議を。
15節 「しかし、主は」と、抵抗を示すアナ二ヤを咎めることなく、「行きなさい」と促された主の忍耐に感謝した。

ⅱ 扱われたアナ二ヤが従ったことを見て、彼を従順に導いて下さった主に感謝した。
主は穏やかに、15節~16節 「あの人はわたしの名を・・・運ぶ、わたしの選びの器です。・・・わたしは彼に示すつもりです。」と、アナ二ヤを説得してくださったからである。
その時アナ二ヤが即刻、17節 「出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。『 兄弟サウロ・・・ 』 」と従った場面は、何と感動的であることか !!
ステパノに、「この罪を彼らに負わせないでください」と言わせた聖霊が、このアナ二ヤにも働き、サウロへの恐怖心を取り除いて、迫害者サウロを「兄弟」と呼ばせたのだ。
コリント人への手紙 第一 13章5節b~6節 「( 愛は )・・・人のした悪を思わず【恨みを抱かない/人の過ちを記帳して執念深く覚えない】、不正を喜ばずに真理を喜びます。」とある通りの結実 !!

※ 主が器を用いようとされる時に妨げとなる 《 肉的性質 》 の一切を日々扱われて、主にお従いする者でありたい、と。


今朝は、回心したサウロがその後、直ちに主の召命【15節~16節】に従ってキリスト者として歩み始めた記事に学びます。
サウロのその始まりは、主が ※ 16節 「わたしの名のために、どんなに苦しまなければならないか」を示すと仰った、彼の生涯を思わせる内容でもある。
彼は回心するや、ダマスコのキリスト者に加わり、20節 「ただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。」とある。案の定、21節では「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか。」と驚かれ、サウロはあくまでも、人々にとっては危険人物であった。22節 「しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人をうろたえさせた。」とある。
23節~25節を見ると、サウロへの反感が募って殺害が謀られるまでになり、遂には人々から逃れる為に、命からがらその土地を去らなければならなくされるという始末。
サウロの場合には、更に加えて直面せざるを得なかった問題が !! 26節 「エルサレムに着いて、弟子たちの仲間にはいろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた」教会の反応である !! しかし幸い、27節 「バルナバ」の執り成しによって受け入れられることになり、徐々に、教会の宣教に携わるようになるが、その結果、サウロへの迫害は本格化して行く。遂に、30節 「タルソ」へ送り出され、11章25節~26節 「連れて来」られるまで待機状態で滞在することに。

ここまで、前置きを長く( 著者である )ルカの記録に従って、サウロの回心後の足取りを辿ったが、今後サウロが、「選びの器」として用いられるに当たって、23節 「多くの日数がたって後」とある語句の重要性に触れて、今朝の Message としたい。

その為、パウロ自らが伝えている 《 ガラテヤ人への手紙 1章11節~24節 》 での証言に注目したい。
使徒の働き 9章23節 「多くの日数」とは、( ガラ )1章17節~18節aのアラビヤでの三年間である。ダマスコで回心した直後の ※ 使徒の働き 9章19節b~22節 「数日の間、ダマスコの弟子たちとともにい」て、諸会堂でユダヤ人をうろたえさせたが、その後、アラビヤへ。
即ち、( ガラ )1章16節~17節 「・・・私はすぐに、人には相談せす、先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。」という説明になる。
従って使徒の働き 9章23節~24節の陰謀は、アラビヤからサウロが戻って来た時に起こった出来事になる。
即ち、「選びの器」としての鍵は、サウロが 《 アラビヤに出て行った 》 ここにある !! と、この一点にのみ注目したい。
実は、昇天直前に主が、十二使徒に ※ 1章4節~5節 「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。・・・あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」と仰った命令に同じなのだ。
主と生活を共にし、身近に引き寄せられて訓練に与っていた弟子たちとは言え、ローマ帝国を相手にする福音宣教には、どうしても明確な聖霊経験が必要とされていたからである。

サウロにとってのアラビヤ行きは、そのような場所として過ごす必要不可欠な備えの場所、期間を意味したのだ。
何故 ? ( ガラ )1章13節~14節 「以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は・・・」と語るサウロには、いつも涙なくしては語ることの出来ない深い悔恨の過去があった。彼が行く所々で告白せざるを得なくされた 《 彼の過去・・・非常に厳しい迫害を指揮 》 があったから。
晩年、テモテへの手紙 第一 1章12節~17節 「私はその罪人のかしらです。」と告白するのにも、※ 17節 「唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。」との礼拝なくして語れなかった。
『 ローマ人への手紙 』 は、アラビヤに退いて 《 唯独り、神との交わりに深く沈潜し 》 整理された、彼自身の霊的経験の集大成だったと考えられる。サウロが、同 5章20節 「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」と言うこの書簡には、赦されざる罪が赦されたという法外の事実を 《 恵み 》 と繰り返す感動が溢れているが、それは当然なのだ。
コリント人への手紙 第二 11章23節で、「私は狂気したように言いますが・・・」と語り始めるサウロに、※ 同 32節~33節【ダマスコの出来事を言及】までの受難を当然のことと喜び誇る信仰が伺える。
サウロにとっての方向転換には、走りながらでは到底整理し切れない過去があり、砕かれ砕かれて、深く地に根を下ろさなければ決して始められない 《 これからの生涯 》 があるから。


※ 「アラビヤに出て行く」とは、ある特定の期間だけを意味しない。主との深い交わりに、時と場所とを聖別する必要性が語られている。私たちに「アラビヤ」があるだろうか ?

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