聖日礼拝 『使徒の働き』 より 18


使徒の働き8章26節~40節

先週は、殉教者ステパノの死後、議会による迫害が過激化する中で、教会がどうしたのかに注目した。

ⅰ 1節d 「使徒たち以外の者」が、散らされることになった。
「使徒たち以外の者」であったことは、攻撃の的がステパノと同族のギリシヤ語を話すヘレニストに限られていたことを意味している。
しかし何という摂理でしょう ! エルサレムに集中していた使徒たちの意識の壁が破られると同時に、生粋のユダヤ人よりも開放的なギリシヤ文化を吸収して育ったヘレニストの気質が用いられて、エルサレムから外へと地域的な壁も破られることになったとは !!

ⅱ 2節 「ステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ」こと。
議会が犯罪人として処刑した者を埋葬することは、明らかに議会への抗議と見做される行為。従って、自らの身に危険を招き兼ねない行為でもあった。しかし彼らが ※ 詳訳 「ステパノを運び出して葬り、彼のために大いに嘆いた」とは、正々堂々とした信仰告白ではないか !!

ⅲ 4節 「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」とあるが、打たれたことへの悲観的な出方はなく、宣教の好機として積極的に受け止めたこと。
何と実に、主の ※ 1章8節 「・・・地の果てにまで、わたしの証人と」なるとの約束の成就が。教会にとっての最悪の事態が、地の果てに向けての宣教に道を備えることになった !

※ 聖霊は圧倒的な指揮をお取りになられながら、教会に働かれるお方。唯満たされて従う者でありたい、と。


今朝の礼拝では、ステパノと共に「評判の良い人」として選ばれた器、ピリポに注目したい。
26節の「ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った・・・」は、ピリポに学ぼうとする時の鍵句である。
主の使いがピリポに言った言葉は、「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」であり、《 何時、何処へ 》 行くべきかの指示は明確だった。しかしその指示は、人間的には耳を疑いたくなるような内容のものだった。
何時 ? に対しては、26節 「ところが」と、※ 8節 「それでその町(サマリヤ)に大きな喜びが起こった」矢先でのこと。多くの男女が ※ 12節 「バプテスマを受け」、使徒たちの派遣によって ※ 17節 「彼らは聖霊を受けた。」とある。サマリヤに生まれたばかりの群れは、これからの信仰生活の為に、指導者を必要としていた筈。7節を見る限り、悪霊の働きが顕著であり、癒された大勢の人々へのフォローも又、必要であった筈。
又、何処 ? に対しては、ガザに下る道へとある。サマリヤの町からガザに下る道は、何本もあるにも拘らず、敢えて、エルサレム経由でガザへとの指示である。しかも行き先のガザは、サマリヤとは打って変わって荒れた土地だと、伝えている。
これらのことから受ける印象は ?
一言二言、理解し難い思いをぶつけて、何故 ? と、尋ねたがるのが、私たちの中に巣食っている肉の性質である。
そこで注目すべきは 《 ピリポの従順 》、彼からは何一つ異議の申し立てがないという従順である。何と言っても「信仰と聖霊とに満ちた人 6章5節」であったからこその従順であると見て、メッセージを。

① 従順は、聖霊の実による。

ガラテヤ人への手紙 5章22節~23節 「御霊の実は・・・柔和、自制」とある。この柔和は、先ず神の聖前における謙遜であり、柔軟な心の態度である。ひとたび主のみ旨が明らかにされたならば、様々な思いが心に行き交ったとしても、主を信頼して、身をお任せするという姿勢である。
自らの無力さを知る人程、従うことが出来る。
ピリポとて、その指示に不思議さを感じなかった訳ではないでしょう。何故 ? との思いが出て来なかったというのでもないでしょう。しかし彼は唯、黙々と従ったのだ。心に生じたかも知れない様々な思念に支配されなかっただけなのだ。
何故 ? が出て来る落ち着きのない霊的状態である自らを見せられたならば、その騒がしい霊性のまま思ったことを口走らずに、やはり静かに受け身の姿勢を取りたい。騒がしい分だけ、肉的であるとの自戒を。
ペテロの信仰生活も、初めの頃はそのようであった。主からの「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。 ルカの福音書 5章4節」との指示に、一言、「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。 同 5節」と異議を申し立てた上で、不承不承従ったことがあった。ところが何と、主の言われる通りの大漁 ! それを見たペテロは自らの罪深さを知って、謙らせられたことがあった。恥ずべきは、その自我意識。

② 従順は、聖霊の働きに道を開く。

やはり聖霊の指示には、人知の及ばない不思議な出会いが備えられていた。その出会いの為に、エルサレム経由のガザに下る道でなければならなかった。しかも、ピリポがしたように、躊躇逡巡せずの即刻の従順が必要とされていた。
何故なら、27節~28節 「そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官( かんがん )のエチオピア人がいた。彼は礼拝のためにエルサレムに上り、いま帰る途中であった。・・・」とあるから。一刻の猶予も許されなかった時の従順、又、次の行動でも、29節 「御霊がピリポに・・・」に対して、30節 「そこでピリポが走って行くと・・・」と、即刻的服従は、賢明な姿勢だったのだ。
宦官が礼拝の為にエルサレムに上っていたのは、ユダヤ教の改宗者だったことを意味する。ピリポと出会ったちょうどその時に読んでいたのが、イザヤ書であったというのも、何という摂理 !! 彼は渇いていた。知りたいと願っていた。そこにピリポが居合せることに ! 彼の言った ※ 36節 「何かさしつかえがあるでしょうか。」とは、感動である。
39節には、「宦官はそれから後彼( ピリポ )を見なかったが、喜びながら帰って行った。」とある。彼は帰って後、アフリカ大陸宣教の先駆者となったというのも、彼のこの霊的経験の確かさから見て、最もだと頷けるのでは !


※ 今教会に求められているのも又、聖霊へのこの従順 !!

この記事へのコメント